創作; “光の庭”のうたた寝 =034=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

夕焼けー6

  ❝ =第一章第3_04= 五原脱出
  耶律大石は四辺の状況を考え続けていた・・・・・ 北宋の童貫(ドウカン)は阿骨打(アコッダ)を”海上の盟”で誘って、遼に進軍させた。 南下した阿骨打、金の騎馬軍団は予想以上に猛勇果敢であった。 彼らは遼の国土を馬蹄で蹂躙した。 気が付いた時には、遼と北宋の確執に金が漁夫の利を得ていたのである。 その結果、北宋は黄河の南に閉じ込められた。 元々、宋は建国当初より太祖・趙匡胤(チョウキンイン)の方針により、文治主義が国是であり軍隊は弱体であったのだ。

このため常に西方のなど周辺諸国の軍事的脅威に晒されて来た。 我が遠祖・耶律阿保機(ヤリツ・アボキ、太祖)が強力な王朝を開闢したのだが、燕雲十六州の領土問題という火種は歴代の皇帝は解決できずに 時が流れた。 この地には、多くの遼の皇族が封領地を有して居住し、遼王国の実効支配で遼の地域にして来た。 しかし、今 金と北宋が約定を交わした北宋が領主になった。 だが、金と西夏が盟約すれば、北宋は北進して己が旧領である燕雲十六州すら奪回できかねる状態に追いやられよう。

北宋は阿骨打と約定に関わらず、未だに 50万以上の将兵を燕雲十六州攻撃に北上させている。 阿骨打は、余裕を持って北宋に燕雲十六州を金銭で割譲した後に、実弟の呉乞買(ウキツバイ)に30万の兵を率いさせて燕雲十六州に送り込んでいる。 その先兵として、客将と成った遼皇族の耶律余睹を宋対策の将軍として西京の大原に派遣している。 金の政権は遼の統治方法を真似る新政権を打ち立てようとしていのだ。 事実、遼の優秀な文士公僕たちが阿骨打に従服している。 同族の耶律余睹将軍のように。 天祚帝は北宋に向かうであろうが、耶律余睹がかの地の将軍として立ち振る舞っている以上は天祚帝の挙動はすぐに知られる。 今は、西夏は天祚帝が自国領内北方の過疎地での仮寓を黙認しているが・・・・北宋の北進も・・・・・黄河を挟んで金と宋が覇権を争い始めれば、西夏は・・・・

我は、二年前、居庸関・八達嶺長城で阿骨打の迎撃を試みが失敗し、金軍に捕らえられた。 あの折、阿骨打は捕虜である我を厚遇した。 彼は金軍の南攻統師将軍として宋を攻めろと言った。 宰相・李処温が宋と密約を交わし、北遼と宋で金の南下を阻止する陰謀を計っているとも言った。 それゆえの我は宰相・李処温を誅殺したのだが・・・・・ 阿骨打の考えていることは見える。 今、海上の盟は破棄され、阿骨打は宋への侵略を考えているに違いない。 西方から呉乞買に攻め込ませ、東方から親征軍がなだれ込む挟撃戦に・・・・。 されば、北宋は燕雲十六州を捨てて黄河の南にまで退却して防衛線を構築するであろう。

なれば、当面、阿骨打は南京(燕京)の差配と北宋との戦いに思惑を集中しなければならず。 この五原に阿骨打は現れるのであろうか・・・・・。 遼の残兵討伐に親征はおろか大量の将兵を向けることはすまい。 また、その必要もない。 天祚帝の事など、鼠をいたぶる猫のはず。 天祚帝の動く時が殺される時に成るはず。 それゆえの、”北帰”策なのだが・・・・・・この冬を如何にせん、故地に辿り着くまで如何にせん。 帝都の安禄明や安禄衝殿は動けまい・・・・・・・草原が緑で覆われている時なら・・・・・耶律大石の思考は 同道巡りのようであった。

遺構ー2
フフホト(呼和浩特)は南ゴビ砂漠に南縁に位置する。 遊牧民は“緑に茂る森の場所/青い城郭”と呼んでいる。 尻無し川がこの地にて表れ、どこかに消える。 耶律時が率いる25騎の騎馬武者は遅い朝餉を済ませ、騎馬して南東に進んでいった。 樹木帯は何時しか潅木地帯に変わり、荒地に変わり、砂漠草が現れだした。 馬にとって自然な速歩である斜対歩で前方の丘陵地を目指して行く。 緩やかに上昇する、東西に長く連なる前方の丘陵地帯山稜に万里の長城が横横たわっているのである。 長城の北側は村落が希薄である。 しかし、遼帝国の権勢が消えようとし、金の阿骨打がこの地の統治者と成った今、邑には金の間者が居るであろう。耶律時は率いる隊を五名一組の五班に分けて次の目的地・張家口に向かわせた。 中間地点であるウランチャブを通過すれば、張家口までは丘陵地帯、遊牧民の村落はない。 ウランチャブは五原から常歩の馬速で二日の行程。 時にはこのウランチャブの邑に情報収集を行いえる密偵の確保が課題であった。 腹案はある。 耶律大石統帥に心服して主従の契りを一方的に立てた蒙古族の苞力強が昨夜、書面手渡してくれた。 姉ウランチチカが嫁ぎ先がウランチャブの郷士であると言った。

張家口は燕雲十六州の軍事的な要塞。 張家口には帝都・南京(燕京)の風聞が伝わり来る。 また、張家口は漢北の軍事情報が流れ来る。 居庸関(キョヨウカン)・居庸関長城、挿箭嶺長城(ソウセンレイ)で見聞きした話が人の行き来と共に集まってくる。 また、張家口は西方の大同に集まる燕雲十六州の動きをも感知できる場所である。 フフホト邑外で朝餉を取った折、全員に張家口が金への密偵活動には最適であると説明したうえで、先行して張家口に向かう一隊の分散行動を命じた。 その小隊には、張家口城内には入る必要はないと訓令し、手前にある万里の長城が南北の通行門である長城大境門北側近くの適地にわれ等が長期の野営を密かに行える秘密基地を設営する任務も命じていた。

梁白山一派

=== 続く ===

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