創作; “光の庭”のうたた寝 =041=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

葦原ー2

❝ =第一章第3_10 五原脱出

「阿骨打(アコッダ)には正嗣は四五名のはずだが、いずれも年少の公子。 彼には何時も行動を共にする同母弟の 呉乞買(ウチマイ)がいる。 彼は兄の補佐に当たり、宋との経緯や天祚帝への兄の考えをわきまえていよう。 がしかし、金軍に囚われの身となった折に接した印象から、人格者の阿骨打と違い、呉乞買は勇猛果敢で果断な実行力に富むが猪突猛進の激動型性格と思われる。 もしかすると、ウトゥルにて呉乞買の激情が爆発したのかも知れぬが、阿骨打は徳の高さで諸将に慕われている。 呉乞買も阿骨打に楯突く行動などは起こせないとわきまえているはず。 時の報告を聞くに、伽を強要してきたのは呉乞買であろう。 阿骨打は病を得ていたのであろう、そして・・・・・」

「統帥、いや 兄上のお考えはともかくとして、金と宋との関係から宋は阿骨打の身辺に密偵網を張っていたでしょう。 南京(燕京)の安禄明様の情報と時殿の現地報告から宋の動きを考えと金の親征軍の状況を読み取るならば、 呉乞買は燕雲十六州への侵攻に勇み立つ気持ちを兄に抑えられての進軍途上で停滞を余儀なくされた。 箝口令を敷かねばならないほどの重大事が進軍中断を余儀なくしている。 阿骨打の死去と呉乞買の即位がウトゥルで発生したと考えなければならないでしょう。 厳重なウトゥル封鎖があった以上、呉乞買の即位はともかくとして、阿骨打の死去は間違いないようです。 さすれば、呉乞買の性格を推し量れば 西京の統括・耶律余睹将軍の人質を取った上で、数万の援軍を余睹将軍に委ねて、郝仲連の数万軍勢と一体になって宋軍勢を打ち破らせましょう。 他方、天祚帝追討の軍勢は精鋭の少数にてこの地に襲い掛かってくるでしょう」と 耶律楚詞が明晰な分析を話す。

「統帥さま、 これらの情報を天祚帝の一派は掴んでおりましょうか・・・」

「昨日、耶律尚将軍と話し合ったがその気配は無かった。 天祚帝の身辺は耶律撒八がごとき、佞臣ばかりで盲の集団にすぎぬ。 いずれ知ろうが、こちらの準備が整えば知らせてやるのも一考かもしれぬ・・・・・・」

「ゥ・・・・と 申されますと、 今夜の集まりは、我等が北帰行の決行時期を判断する会合だと申されますか・・・・」と 耶律康阮が覚醒したかのように周りを見回し、大石統帥をみつめている。

九曲黄河
枯れた、葦原の間道を 馬の口に馬銜に絡ませた手綱を噛ませて嘶きを制し、足元には布を履かせて足音を消し、五原の間道を湖面に向かう武装した集団があった。 頭の芯まで縛り付けるような寒気の中、その一群は無言のまま馬を曳いて、一人で二頭を曳く兵士もいる。 彼らは葦原の海を南に向かっていた。 12月3日の夜半、彼らの頭上には満天の星に上弦の月が寒さを増すように輝いている。
日が落ち、闇が迫ると事前に準備していた城壁の穴から 王庭を離れた五十名の騎馬武者達であった。 控えの馬は数頭、兵糧を両脇に振り分けて積んでいる。 手綱を短く鞍に結わえ、馬の首が立ち上がらぬように工夫をこらした馬を、無言で曳いている。 表土は凍てつき 立ち枯れる葦は一群の姿を埋没させ、ゆっくり進む彼らを安堵させている。五十名の騎馬武者は湖畔に達した。 葦原の先に広がる湖面は鈍い白さで広がっている。 眼前の湖は氷付き、音すら凍てつくさま 駱駝ですら凍死する世界である。 星の輝きだけが救いであった。 湖畔にて騎馬の隊は馬脚を蔽っていた布を外し、代わりに厚手の皮をその四脚に強く括り付け、馬首の束縛を外し、鞍と手綱を点検して騎乗した。 五十騎は一斉に鞭を入れ 湖畔沿いに南方目指して歩みを速めた。 厚い革で覆われている馬の蹄は氷を噛み、氷の小片が飛ぶ。 騎馬武者たちは、凍てる湿地帯を一丸となって走る。 湖畔を疾走することで暖が取れるのである。 蒙古馬は小型だが強靭である。 寒さにも強く、持久力は中近東の馬より数段高い。湖面を50数余の騎馬が一体と成って乗り入れようと割れる心配などは不要であった。 陽光がさし来る前に、寒さを忘れた騎馬の一軍は黄河本流の河原に達しにていた。 目前の黄河も凍りつき、その表面には薄く雪があった。 流木がそこらかしこに散在している。
荒涼とした黄河の河原で 夜明け前の簡単な朝餉を済まし、氷りついた黄河の渡行点を星明りで探している内に東の空が赤く染まり出した。 一刻の後、朝日を受けて赤く燃える黄河が広がった。 見晴らしが効く河原の高地にて虎視していた耶律康阮が初めて声を放った。 「あの地点で黄河をわたる。 渡り終えれば、一気にオルドスを南下していく。 目指すは万里の長城。 一気に駆け抜ける」

五十有余の騎馬の蹄が南に走る。 その背面の黄河は、今尚 赤く燃えていた。 万里の長城はオルドスの西側を北上する黄河と東側で南下する黄河を東西に結び、このオルドス草原地帯を南北に分けている。 康阮が率いる騎馬武者五十騎は雪が薄くある茶色の草原を駆ける。 黄河の東部を巡視しているであろう南宋の動きを偵察する使命を耶律大石統帥から耶律康阮は、一昨夜 受けていた。

歴史ー1

2015-02-27_1

=== 続く ===

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