剛毅なる魂、外交官・小村寿太郎 (14)

Portsmouth-1

➥ ➥ ➥ ロシヤ皇帝の野望

一方、講和をうけて立ったロシヤの内情は、日本よりもっと悪い。 連戦連敗を続けている満州では総司令官が三人も交代し、奉天の大敗後、本国からドシドシ補充してはいたけれども、兵隊の間に革命的気分がきざしており、山県たちが心配したほど強大な軍隊ではなかった。 海軍は虎の子のバルチック艦隊を失い、黒海艦隊の戦艦ポチョムキンは叛乱を起し、数日の間、その艦上高く革命の赤旗がひるがえった。
バルチック艦隊全滅ののち、思い切りの悪いニコライ二世もようやくルーズベルトの講和提順に応じて全権の選任にとりかかった。 先帝アレクサンドル三世以来の功臣で、大蔵大臣、大臣委員会議長を勤め、ピーター大帝以来の大政治家とまでいわれたウイッテを、皇帝は毛嫌いしていた。
「神か我か」という地上最大の独裁君主であるニコライ二世は、ウイッテのいう通り、「王者の責務を持たない君主」であり、しかもこの暗君は、その頭のなかに「実に偉大な計画」を蔵していたと極東軍総司令官だったクロポトキンは書いている。

その偉大な計画とは、満州をとり、朝鮮を手に入れ、チベット、ペルシャを併合し、黒海の出口であるボスポロス海峡から、ダーダネルス海峡まで支配しようというのである。 満州と朝鮮を支配し、そこにジョルト・ロシヤ(黄色のロシア)を創造しようとした皇帝の野望こそ日露戦争の原因だったということができる。

ポチュムキン

➥ ➥ ➥  ウイッテの信念

かねて日露戦争を「一種の罪悪」として反対し、旅順陥落の前にも講和に動いたウイッテは、外相ラムスドルフからロシヤが危機に臨んでおり、このさい講和の成立を絶対必要とすると口説かれて首席全権たることを承諾し、ついで正式に皇帝から任命された。

このとき皇帝は彼に向って、「衷心から和議の成立を希望するが、しかしそれはロシヤの体面を疵つけないものでなければならぬし、また、いかなる場合でも、一ルーブルの償金も一握りの領土も譲渡するものであってはならぬ」と厳命した。 敗戦と革命の序幕にある故国を発ち、パリに寄ってからシェルブールで乗船、ニュ-ヨークに向ったウイッテは、六日間の大西洋の航海中、彼のいう「ウイッテ・小村の外交競技」に対する作戦を練り、次の五つの行動方針にもとづいて外交戦に臨もうと決意した。

一、どんなことがあっても、われわれが講和を望むような態度をみせないこと。
≪ロシヤの皇帝陛下がわざわざ自分を講和全権に任命したのは、別に講和そのものに重きを置いた訳ではなく、周囲の諸国が一般に戦争の継続を望まないようであるから、その意を容れたにすぎぬという態度を示すこと≫
二、自分は大国ロシヤの全権代表者であるという顔をして、大きく構えること。
≪大国ロシヤは最初からこんな戦争を重要視していないから、その勝敗については少しも痛痒(つうよう)を感じない態度を示して、相手を威圧すること≫
三、アメリカにおける新聞の勢力の強大なのにかんがみて、新聞記者に対しては、とくに愛想よく心安く待遇すること。
四、極端に民主的であるアメリカの人気を得て、これを味方にするためには、尊大ぶるような態度を示さぬよう注意すること。
五、アメリカとくにニューヨークで、ユダヤ人と新聞の勢力の強大なことを打算して、少しでも彼らの不快を招くような挙動のないよう細心に注意すること。

以上が講和のテーブルに就くに当たり、決意したウイッテの行動方針であった。

さてアメリカに着いた日本全権は、世界最大の陸軍国を打ち破った東洋の小国の代表だというので、米国民の人気に投じ、いたるところで凱旋さながらの歓迎をうけた、と当時の外電は報じている。 この日本全権にたいする自然的な人気に対して、戦敗国の代表ウイッテは船中で練った作戦計画にもとづいて、あたかも「大舞台に立った俳優」のような細心の演出を行って、序々にアメリカ人の人気を盛り上げていった。

Witte_Portrait

➥ ➥ ➥ ルーズペルトの警告

ウイッテは、いかなる場合でもお世辞と愛嬌を惜しまず、アメリカ人を満足させた。 乗物から降りると、必ず運転手と握手する。 そういう小さなことが人気を左右することを、計算していたのである。 彼はこういう「役者のような所作」をすることはずいぶん重荷であったと述懐しているが、その効果は絶大であった。
これに反して小村の方は、尊大ではなかったけれども秘密癖が強く、その外貌のように陰気な雰囲気があってだいぶ損をしている。 だからウイッテは、日本全権の秘密主義を利用して、談判の開始にあたり、あらかじめ日本の反対を予期しながら、毎日の交渉経過を新聞に公表するように提議した。 はたして日本側は同意しない。 このことは、すぐ新聞記者の知るところとなって、ウイッテは大きく点を稼いだのである。

さすが日本贔屓のルーズベルトも、民主主義国の大統領として、この世論を無視することはできず、「交渉の進むにつれて米国民の一般の同情が、著しくロシヤ側に有利に傾いてきたから、交渉が決裂した場合、日本はもはやアメリカから、いままでのような同情は期待しがたいと覚悟しなければならぬ」と日本に警告している。

講和会議

➥ ➥ ➥ 「外交競技」始まる 

小村とウイッテの初会見は、大統領別荘に近いオイスター・ベイの大統領ヨット、メー・フラワー号で行われた。 ルーズベルトは、小村、ウイッテ以下、両国全権、随員を、それぞれ紹介し、食堂で乾杯、甲板で記念撮影をしたのち、両全権団は別々に用意された軍艦に乗り込んで、ニューハンプシャー州のポーツマス軍港に向った。 ルーズベルトはヨットの甲板からシルク・ハットを打ち振り「ボン・ポワヤージュ」と、航路の平穏と講和の成立を祈った。

かくてポーツマスにおいて、八月九日の予端会談を皮切りに十日本会議に入り、九月五日の調印まで、ピーター大帝以来露国第一の政治家ウイッテと小村全権が、それぞれの祖国の安否をかけた「外交競技」を展開するのである。 八月十日の第一回本会議では、ウイッテの要求により、日本側から十二項の講和条件を提出した。

この十二項のうち絶対的必要条件として、これだけは譲られないと決めていたのは、韓国に対する日本の宗主権、ロシヤの満州撤兵、遼東半島の租借、東清鉄道の譲渡であり、次に比較的必要条件として賠償、中立港に避難したロシヤ軍艦の交付、樺太の譲渡、北洋漁業権の許与があり、その他ロシヤ極東海軍力の制限等は、全権の裁量する付加条件とするというのが日本側の心底であった。

日本が絶対に譲らないと決意していた四項目の絶対的必要条件をはじめ、大部分をウイッテは案外簡単に承諾したが、賠償と樺太譲渡、中立国抑留軍艦の交付と極東海軍の制限は、どうしても承知しない。 そこで小村は譲歩して、あとの二者をとりやめにし、談判は償金と樺太の二項に焦点を絞って虚々実々の駆引きが行われた。

講和調印

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===== 続く =====

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