不沈客船タイタニックの悲劇=04=

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❢❢❢ 大観衆に見送られた処女航海 ❢❢❢

 豪華客船・タイタニック、この船の指揮をとったのはホワイトスター・ライン社きってのキャプテン、エドワード・スミス(Edward John Smith、1850~1912年)である。 1850年、英中部スタフォードシャーのストーク・オン・トレントで生まれたスミスは、13歳のころにリヴァプールで船乗りとしての修行を開始。 30歳でホワイトスター・ライン社に入ると、みるみるうちに頭角を現し、7年後にはキャプテンを務めるまでになる。

乗客や乗組員から慕われ、上流階級の人々に人気の「大富豪たちのキャプテン」として知られるようになった。 タイタニック号の乗客の中には、北大西洋を横断するなら絶対にスミスの船に乗りたいと、わざわざ自分のスケジュールを調整して乗船した者もいたという。 豪華客船タイタニック号の処女航海は、引退を目前にしたスミスの最後を飾るにふさわしい晴れ舞台に思われた。

彼の事跡を調べれば、彼が重大事故とは無縁ではない記録が浮かび上が。 1895年から9年間、スミスは客船マジェスティックの船長を務めた。 1899年第二次ボーア戦争が始まると、スミスはマジェスティックとともに徴用され、ケープ植民地で軍隊の輸送にあたった。南アフリカへの2回の航海では何も事件が発生せず、スミスはこの輸送で1903年エドワード7世から「Transport Medal」を授かっている。 スミスは「安全な船長」という評価を受けることとなった。 ただし、3回の座礁、3回の船内火災と、決して無事故ではなかった。

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1911年9月20日、オリンピックは初めて大きな事故を起こした。 イギリス海軍防護巡洋艦ホークと衝突し、ホークは船首を破損した。 この衝突でオリンピックの防水区画のうち2つが破壊され、プロペラシャフト1つが折れ曲がったが、自力でサウサンプトン港に戻ることができた。 事故調査に際して、海軍側は事故の原因がオリンピックにあるとして訴えた。 すなわちオリンピックが巨大であったため、その吸引力によりホークが引き込まれたというものであった。 この事件の最中、ブリッジにはスミスがいた。

このホークとの事故は、ホワイト・スター社にとって経済的な痛手となり、大型船にとって営業できない時期というのはさらに事態を悪いものにした。 オリンピックはベルファストに戻り、その修理を急ぐこととなった。 これによりハーランド・アンド・ウルフはタイタニックのプロペラシャフトの一つをオリンピックに使い、タイタニックの完成を遅らせざるをえなくなった。

1912年2月、海上に戻ったオリンピックだが、プロペラブレードを破損し再びドックに戻って応急修理を行うこととなった。 オリンピックを直ちに運航できるようにするため、ハーランド・アンド・ウルフはそちらに力を注ぐことになり、タイタニックの処女航海は3月20日から4月10日に延期となった。

そして、エドワード・スミスがタイタニック号の処女航海を操舵する船長に任命された。 通例、ある船会社で首席の船長は、その会社で最高の客船であるフラッグシップ(いわば新造船)を指揮する特権があった。 オリンピックはタイタニックが完成するまでホワイト・スター・ラインのフラッグシップであり、その船長だったスミスはホワイト・スター・ラインの最も誉ある立場におり、船乗りとしての最後の海上生活の華を飾る航海に、当時建造されたばかりのタイタニックが付与されたのは全くもって普通のことだった。

それまでのトラブルにも関わらず、タイタニックがサウサンプトンから処女航海に発つ際に、スミスは船長として再び任命された。 62歳となったスミスがタイタニックの処女航海を最後に引退するということが決まっていたという説があるが、1912年4月9日のハリファックス・モーニング・クロニクルには、スミスがタイタニックを「会社がより大きく、より豪華な汽船を完成させるまで」担当し続けると伝えている。

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4月10日、スミスは外套に山高帽という服装で自宅からタクシーでサウサンプトン港に向かい、午前7時にタイタニックに乗り込んだ。 午後12時ちょうど。 英南部サウサンプトン港は、タイタニック号の華々しい出発を一目見ようと押し寄せた観衆で溢れかえっていた。 早春の晴れやかな空が広がる下、港にある専用の埠頭であるオーシャンドックからニューヨークへとむけた処女航海に出航した。 タイタニック号は大きな汽笛を響かせながら、米ニューヨークに向けてゆっくりと港を離れていった。 一等船客337人、二等船客271人、三等船客712人、乗組員892人の計2212人を乗せ、意気揚々と北大西洋へ旅立っていく。

一等船客たちは華麗な船内を見て回り、デッキをそぞろ歩いて海の風を楽しむ。 贅を尽くした料理に舌鼓を打ち、楽団が奏でる音色に聴き入りながら、タイタニック号の最初の乗客であることに酔いしれた。 その中にはイズメイの姿もあった。 方々から聞こえてくる称賛の声に、彼は誇らかな顔をしていたに違いない。 一等特別室は、6日の航海の費用4,350ドルと伝えられている。

サウサンプトン港出航の直前、ワイルド航海長の着任に伴った上級船員の異動により、降格となったブレア前二等航海士が双眼鏡を二等航海士キャビンにしまったことをライトラー二等航海士に引き継がないまま下船してしまい、双眼鏡はそのまま行方不明となった。 このため、周辺の監視を双眼鏡を使わずに肉眼で行うしか方法がなかった。

さらに 12時の出発後、港に係船されていたシティ・オブ・ニューヨークが、タイタニックが通過する際のスクリューの水流に巻き込まれ、係留具が外れてタイタニックに向かってしまった。 処女航海に就いた直後のタイタニック号は客船ニューヨークと衝突しそうになったが、スミスの迅速な行動により この時は間一髪で回避 処女航海があっという間に終わることは避けられた。 そのままフランスのシェルブールとアイルランドのクイーンズタウン(現コーヴ) に寄港し、アメリカのニューヨーク港に向かった。

航海士たちは毎日正午に集まり、一日で進んだ距離を計測。 その距離や速度は公表され、日に日に速度を増していくタイタニック号は、航行速度で賭けに興じる乗客たちを大いに楽しませた。 イズメイは手応えを感じていた。 「このまま行けば、オリンピック号の記録を更新できるぞ!」。

ところが、こうして順調に航海を進めているように見えたのは表面上だけで、氷山に関する情報はすでに続々と無線室で受信されていた。 14日午前よりたびたび当該海域における流氷群の危険が船舶間の無線通信として警告されていた。 少なくともタイタニックは同日に6通の警告通信を受け取っている。 しかし、この季節の北大西洋の航海においてはよくあることだと見なされてしまい、航海士間での情報共有も徹底されなかった。 また、気密性の高い石炭庫で石炭の粉塵に引火したことが原因で火災が発生していた。 その気密性のゆえに自然に鎮火するので、船体に延焼が起きるという事はほぼ否定できるのだが。

さらに混信があり、衝突の40分前に近隣を航行するリーランド社の貨物船「カリフォルニアン」から受けた流氷群の警告も雑音として見過ごされてしまった。 タイタニックの通信士たちは前日の無線機の故障もあり、蓄積していた旅客達の電報発信業務に忙殺されていた。 スミス船長は氷山の危険性を認識しており、航路を通常より少なくとも18㎞南寄りに変更していた。

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 ☛ ☞   タイタニックの事故を予知した人々! 其の4/5

フィンランド人女性のライティネンは、タイタニック号に乗船するべくフィンランドを出発する前日に、次のような夢を見た。夢の中で彼女は、手にひしゃくを持ったまま、数名ほどの仲間とともに井戸のそばに立っていたそうだ。そのひしゃくがするりと手からこぼれて、井戸の中へ落ちたため、ライティネンは身を乗り出して、ひしゃくを拾おうとしたが身体のバランスを失って、氷のように冷たい水をたたえた井戸の底へ転落してしまった。

「ここの水はいつもこんなに冷たいの?」、彼女は仲間の一人にそう問いかけた。「ああ」と仲問は答えた。「おまけに流れてもいる」。その後、ライティネンはタイタニック号と最後を共にする。 カナダに住むメソジスト教会の牧師で、チャールズ・モーガンという男性がいた。  4月11日、夕方の礼拝で祈りを捧げていたモーガンは突然、眠りに誘われた。そして見た夢は、大型客船が衝突事故を起こす内容だったのである。混乱する人びと、沈みゆく船、甲板で演奏される賛美歌…。  それは、あまりにもリアルな夢だった。

タイタニック号が氷山に衝突したのは、モーガンが夢を見た数時間後だった。  翌日、鮮烈な夢が忘れられないモーガンは、朝の説教のなかで、その夢の内容を話したが、そのときはカナダの沖でタイタニック号が沈んだことはまだ伝わっていなかったのである。  タイタニック号沈没の公式発表がされたのは、14日になってからのことだった。その報道を聞いて、モーガンも説教を聞いた人びとも驚いた。 さらに、生存者のインタビューにより、夢の具体的な内容が、事実と細かく一致していることもわかったのである。   モーガンの夢は予知夢として人びとの驚きを呼んだ。

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===== 続く =====

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