不沈客船タイタニックの悲劇=05=

08-01-1

❢❢❢ 悲劇を生んだ船上の不運 ❢❢❢

出港から2日後の12日、2つの氷山目撃情報がブリッジに届けられ、海図にその位置が記される。 これはタイタニック号からは1800キロ以上離れており、また進路からも外れていた。 さらに2日後。 問題の14日午前9時ごろ、キュナード・ライン社のカロニア号から「大小の氷山と浮氷原が北緯42度、西経49度から51度付近にあり」という第1の無線が入り、これも海図に記された。 また同日午前11時40分ごろにも、別の船からほとんど同じ海域に氷山があるという第2の連絡が届く。

そして2時間後、同じホワイトスター・ライン社のバルティック号からも第3の情報がもたらされる。 「〔タイタニック号船長宛〕ギリシャ船アテネ号より、本日北緯41度51分、西経49度52分にて氷山と大量の浮氷原に遭遇した、との報告あり。 貴殿とタイタニック号の成功を祈る。 船長」。 これはタイタニック号の前方460キロを意味した。
そのすぐ後、ドイツの定期船アメリカ号からも、北緯41度27分、西経50度8分にて2つの大きな氷山のそばを通過したとの連絡を受信。 さらに午後7時40分には、英レイランド・ライン社のカリフォルニアン号から第5の無線が入る。 これによると、タイタニック号は氷山が漂うエリアまで約90キロの距離に到達していた。

刻一刻と運命の時が迫る一方で、これらの情報は航海士の間で共有されることはなかった。 寄せられた情報を一つひとつ海図上に記入して総合的に検討すれば、タイタニック号の行く先に流氷の帯が広がっていることがわかったはずである。 しかし、この日、カロニア号から届いた警告しか海図に記されなかった。 他の無線連絡は、生還した航海士たちの記憶にも残っていなかったという。

このように情報伝達がスムーズに行われなかった理由のひとつは、無線設備を取り巻く当時の状況にある。1896年にイタリアのグリエルモ・マルコーニが無線の実用化に成功し、翌々年に英国王室用のヨットに無線が設えられた。 これ以降、無線は急速に発展していったが、それでもまだ当時には珍しい通信装置。 遭難などの緊急時に役立つものとして認識されるようになりつつあったが、危険を事前に知らせ合う手段としての本領が発揮されるまでには有効活用されていなかったようである。

また、通信士は船会社所属ではなく、電信会社から派遣されて乗船しており、通信士にとっては緯度や経度、船の運航に関することよりも、むしろ誰に宛てたものかが重要だった。 そのため、彼らは航行と関係のない通信――例えば「船酔いまったくなし。 ポーカーの成績良好」といった乗客の私信のやり取りに、勤務時間の大半を費やしていたのである。

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グリエルモ・マルコーニGuglielmo Marconi1874年4月25日ボローニャ – 1937年7月20日ローマ)は、イタリアの無線研究家、発明家である。無線電信の開発で知られている。マルコーニ無線電信会社を創立した。1909年には、無線通信の発展に貢献したとして、ブラウンとともにノーベル物理学賞を受賞した。

1902年12月17日、北米側からの初の大西洋横断無線通信に成功。 発信地はカナダのノバスコシア州東端のグレスベイである。 1903年1月18日、マサチューセッツ州サウス・ウェルフリート(ケープ・コッド)の無線局(1901年建設)にてセオドア・ルーズベルト大統領からイギリス国王エドワード7世へのメッセージを発信。 これがアメリカ合衆国から発信した初の大西洋横断無線通信となった。 しかし、安定した通信はまだ難しかった。なお、この無線局はタイタニック号の遭難信号をいち早く受信した無線局の1つでもある。

タイタニック号の遭難の際には、無線電信会社社員が同乗し救難信号を送信している。 タイタニック号に乗船していた2人の無線技師は、ホワイト・スター・ラインに雇われていたわけではなく、マルコーニ無線電信会社の社員だった。

タイタニック沈没後、生存者がキュナード・ラインカルパチア号に救助された。生存者名簿を無線で最初に受信したのもマルコーニ社の社員だったデイヴィッド・サーノフである。 カルパチア号とサーノフは72時間に渡って通信したとされているが、近年の歴史家にはサーノフの関与を疑問視する向きもある。 カルパチア号がニューヨークに入港すると、タイタニック号に乗船していて救助された無線技師と話をするため、マルコーニはニューヨーク・タイムズの記者に同行して乗船した。 1912年6月18日、タイタニック沈没の件を調査する法廷で、マルコーニは船舶電信の機能と緊急時の規定についての証拠を提出した。 イギリスの郵政公社総裁は「救助された人々はマルコーニ氏と氏の素晴らしい発明に救われた」と述べている。(ウイキペヂアより)=

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見張り用の双眼鏡がなくなる 

当時見張りをしていたのはフレデリックとリーでした。 しかし見張り用双眼鏡が何故か無いのでした。 それにより氷山の発見が遅れた最大の原因とも言われています。 なぜ双眼鏡がなくなったのか・・・それはなんとある乗務員が自分の部屋にしまいこんでいたと言うのです。 当時出航間際に高級船員の入れ替えがあり双眼鏡責任者の乗務員が乗船しなくなってしまったのでした。 タイタニック号の姉妹船オリンピック号には双眼鏡専用のロッカーがあったのですがタイタニック号にはなかったため不便したそうです。

タイタニックを降りる事になった乗務員デイビット・ブレア(※)は双眼鏡を自分のキャビンのロッカーにしまい込んでしまったのです。 ブレアは双眼鏡のありかを告げるのを忘れたのかはたまた告げたもののありかを聞いた者が忘れてしまったかです。 =当時高級船員の入れ替えがありましたが、航海士長になるはずだったマードックは大型客船の経験がないために1つ格下げされ、1等航海士に。 航海士長はヘンリー・ワイルドに。2等航海士だったブレアですが2等航海士からは役が定着しており2等航海士ライトラー(以下乗務員通路参照)だったので降りる事になったのです。=

 他の船からの氷山警告 ;他客船からの警告をまとめれば・・・・・・・・・
①4/14AM9時、カロニア号  ②PM1時42分、バルティック号(直接船長に届けられイズメイ氏に知らされるが イズメイ氏はその知らせの紙をポケットにしまう)  ③PM1時45分、アメリカ号  ④PM7時半、カリフォルニアン号  ⑤PM9時40分、メサバ号  ⑥PM10時半、ラッパハノック号  ⑦?時、カリフォルニアン号

いずれの知らせも、海図に全て書いていれば氷山の大体の位置は特定できたのだが、海図に書かれたのは4等航海士ボックスホールによってかかれた1通だけだった。

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☛ ☞   タイタニックの事故を予知した人々! 其の5/5

小説家のモーガン・ロバートソンは予言のような小説『タイタン号の遭難』を書き、牧師のモーガンは予知夢を見た。 ここに「モーガン」という名が共通するが、さらに驚くべきことに、タイタニックの真の所有者もモーガンという名前だ。  J・P・モーガンは、IMMという会社の経営者であり、ホワイト・スター・ライン社は、この会社に買収されていた。 もともとの経営者であるイズメイは、そのまま社長の座に残ったものの、すでに子会社扱いとなり、実質上のオーナーはモーガンに変わっていたのである。 そして、J・P・モーガンは、まるで事故を察知したかのように直前になってタイタニックの乗船をキャンセルしている。 三人のモーガンは、いずれも惨事を予知していたかのようにみえる。 これは、偶然という確率を超えているといってもいい。

事実、「船を所有していたホワイト・スター・ライン社が財政難になっており、タイタニックの保険金を得るために故意に沈めた」とする、つまり陰謀だったとする「陰謀説」がある。

説の「根拠」として、タイタニック号を管理していたのはホワイト・スター・ライン社であったが、その事実上の所有者はホワイト・スター・ライン社に出資していた国際海運商事の社長であるジョン・モルガンであった。 そのモルガンはタイタニック号のスイートルームに乗船予定だったが、直前に病気を理由にキャンセルし、代わりに別の大富豪の夫妻が乗船することになったが、この夫妻もキャンセルし、結局ホワイト・スター・ライン社の社長であるブルース・イズメイがこの部屋に収まった。 しかし、病気のはずのモルガンは、同時期に北アフリカからフランスにかけて旅行をしていたことが後になって判明しており、イタリアでは愛人にも会っている。 しかも、キャンセルした客の中にモルガンと非常に深いつながりがある人々が数名いることも判明しているため、「モルガンはこの処女航海中に何か起こることを知っていたのではないか」とするものである。

また、モルガンはタイタニック号で運ぶはずだった私的な貨物も、直前に運ぶことをキャンセルしている。 しかし本人が乗船をキャンセルしたこともあり、それに伴い私的な貨物を同時にキャンセルするのは当然であるという意見もある。 また、乗船キャンセルの原因となった「旅行」の目的自体が何であったかは明らかになっていない上、この事故は不注意な運航による予知しようのないものであったし、仮に航海士たちが巨額の資金で買収され、わざと氷山に衝突させたのなら航海士に死人は出ないはずであり、やはりこの「陰謀説」は「説」の域を出ないものである。

なお、「タイタニック号への乗船を直前にキャンセルしたのは50人を越す」とされているが、これを証明するものはない上、これが事実だったとしても、数パーセントの直前の乗船キャンセルが出ることは客船にとって通常の範囲のことである。

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===== 続く =====

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