不沈客船タイタニックの悲劇=07=

08-03-1

☛ ☞   悪条件下をフルスピードで・・・・と映画は

タイタニック号は1912年当時のヨーロッパ社会をそのまま縮図にしたようであった。 階級差別がきびしく、船は3つのクラスに分けられ、客の行き来は厳重に禁止されていた。 それによれば、一等船客の数は325名、名だたる大富豪が目白押しで、それはまさに今をときめく名士語録のようだった。 一等のチケットは8日間の船旅で約550万円もしたらしい。 とりわけ2部屋しかない特別スイートルームなど、専用の遊歩デッキを持ち各部屋の調度品は豪華このうえなく、費用はなんと1千万円もした。 二等船客は285名、一等よりもやや落ちるが、それでも他の船の一等に相当するほどで200万円もした。 乗客の大多数を占める3等客は706名で費用は5万円前後。 三等客は船底近くの薄暗い相部屋に押し込められていた。 言うなれば、船の余ったスペースを埋めるだけの存在であると言ってもよかった。

甲板、機関、事務などを担当する船の乗組員は880名。つまり船客と乗組員、合わせて2207名がタイタニック号に乗り込んでいたのである。 しかし階級こそ違っても、彼らに共通して言えることは、誰もが未来に希望を託しアメリカンドリームを夢見ていたことであろう。 一等サロンの内部。 人々はここでくつろぎの時間を送った。きっと、様々な成功談話が花開いたにちがいない。 出港して四日後、4月14日、日が暮れてもタイタニック号は22ノット(43km)という高速で暗い夜の海を突っ走っていた。 4月の北大西洋は非常に寒いうえに流氷が多い。 特に夜の航行には注意が必要である。 しかし、スミス船長は朝から氷山に注意せよという警告を何度も受け取っていたにもかかわらず速度を落とすことをしなかった。

見張り番はマストの上で警戒にあたっていたが、あいにく、双眼鏡がロッカーから取り出せないという不慮の事故で、仕方なく目を凝らして前方を注視していた。 だが、これは不運の始まりだった。 氷山という代物は大部分が海中に潜んでおり、夜になればことさら発見しにくい目標になる。 とりわけ水平線の彼方に溶け込んだ氷山の黒いシルエットを識別するのは慣れた見張り員でも困難だ。 唯一、衝突を回避する方法は、月明かりのもとに生じる氷山の立てる白波をいち早く発見する以外にない。 だが皮肉にも、その夜に限って月がなく波も穏やかで静かな夜であった。 つまり遠方から氷山を発見するには難しい条件が重なり過ぎていた。   午後11時過ぎ、いきなり前方の暗い海上にヌッと大きな氷山のシルエットが姿をあらわした。

かなり接近してからの発見にマストの上の見張り員は動揺した声で叫ぶ。 「前方に氷山!」緊迫した声が響くと同時に警報のベルが鳴り響く。 艦橋にいた一等航海士のマードックはただちに転舵を命令した。 「面かじ、いっぱーい!」 タイタニック号の巨大な船体がゆっくりと向きを変えてゆく。 しかし前方の氷山の方がそれよりも早く急速度で迫って来る。 果たしてかわしきれるのか!誰もが固唾を飲んで目前に迫って来る巨大氷山を見守っている。 緊迫の一瞬が続く。 その間わずか30秒足らず。

だがついに氷山が船体の側面を引っ掻いた。 「ズーン、ドドーン!、ギィィー・・・」鈍い音を立てて船体がきしみ、こすれた氷山の欠片がバラバラと甲板上に降り注いで来た。 タイタニック号は止む終えず停船する。鈍い衝突音を聞いて、何人かの客が部屋から飛び出して来たが、ほとんどの客は何が起こったのか気づいてもいなかった。 客の何人かは、珍しがって甲板に転がっている氷山の氷の欠片を蹴って遊んだりしている。 サロンにいた一等船客の一人は、グラスの中にいれてオンザロックにするのだと言ってしゃれ込んでいた。

ところがこの時、想像を絶するような恐ろしいことがタイタニック号の船体に起きていることなど誰も予想だにしなかった。 目では見えない海面下数メートルのところを氷山の鋭い爪によって90m以上にもわたって切り裂かれていたのである。 リベットが次々と吹っ飛んで、6つの区画内に大量の海水がドッと侵入して来た。 第六ボイラー室では1分間に2mの割合で浸水し、炉の中で真っ赤に燃えていた石炭はジューッと音を立ててたちまち消えてしまった。 郵便室に至っては、海水はまたたく間に膝まで達し、5分後には放棄せねばならなかった。 海水は壁面を破ってどんどん侵入して来る。 船員たちは我を争って、ラセン階段で上へ上へと避難せねばならなかった・・・・・とタイタニック (1997年の映画)

07-31-5

❢❢❢ 豪華客船、海の底へ ❢❢❢

4月14日23時40分、北大西洋のニューファンドランド沖に達したとき、タイタニックの見張りが前方450mに高さ20m弱の氷山を肉眼で発見した。 この海域は暖流と寒流がぶつかりちょうど境界面に位置するため、世界的にも海霧が発生しやすい海域として有名であり、タイタニック号が氷山に遭遇したころも直前まで海面には靄が漂っていた=当直見張員フレデリック・フリートの証言による=。

また双眼鏡がなく(但し、双眼鏡自体は『遠くにある物を見る』機能しかもっていない為、タイタニック号が置かれた状況下では、あっても役に立たなかった可能性が高い)、月のない星月夜の海は波もなく静まり返っていたため、氷山の縁に立つ白波を見分けることも容易でなく、発見したときには手遅れだった=タイタニックの高さは、船底から煙突先端までで52.2m。氷山はその10%程度しか水上に姿を現さないので、水面下に衝突する危険が高い=。

見張り員のフレデリック・フリートはただちに鐘を3回鳴らし、ブリッジへの電話をつかんだ。 応答したのはジェームズ・ポール・ムーディ6等航海士だった。

  • フリート「Is anyone there?(訳:だれかいないのか?)」
  • ムーディ「Yes, what do you see? (何があったんだ?)」
  • フリート「Iceberg rightahead! (前方に氷山がある!)」
  • ムーディ「Thank you. (わかった。)」

ムーディはただちに指揮を執る一等航海士のウィリアム・マクマスター・マードックに報告した。 マードックは即座に「Hard starboard!(取舵一杯)」と操舵員のロバート・ヒッチェンスに叫び、それからテレグラフ(機関伝令器)に走ると、「Full Astern(後進一杯)」の指令を送り、喫水線下の防水扉を閉めるボタンを押した。 だが、回避するにはあまりにも時間と距離が足りなかった。 氷山まではおよそ400~450mであったが、22.5ノット(およそ秒速11.6m)から停止するまでに、実に1200mもの距離が必要だったからである。 船首部分は回避したが、船全体の接触は逃れられなかった。 氷山は右舷をかすめ、同船は停止した。

このとき、左へ舵を切ると同時にエンジンを逆回転に入れ、衝突の数秒前に船舶の操縦特性である「キック」を使うため右へ一杯舵を切った。 舵は速力が高い方が効きやすいので、「速力を落としたために、ただでさえ効きのよくない舵が余計に効力を発揮しなくなった。 速力を落とさずにいれば氷山への衝突は回避できた」と主張する説もあるが、あくまで結果から見た推論に過ぎない。

そもそも、衝突時にはかなりのスピードが出ていたと推測される上に、氷山発見から衝突までの時間はせいぜい30秒程度しかなかった(説によっては氷山を前方100~200mほどまで発見できなかったため10秒しかなかったとも言われる)ため、速度はほとんど変化せず、舵効きにも影響しなかったようである。

=映画等の影響で、防水扉の閉鎖は衝突後だった、缶部員はすぐに逃げ出したとの誤解もあるが、缶部・機関部員で実際に持ち場を離れた者は非常に少なかった。 ベル機関長は浸水状況が悪化した後に彼らにも職務からの解放を命じたが、ほぼ全員が最下甲板に留まり汽缶稼働・排水・電力供給を続けた=。

08-03-2

 午前0時が過ぎたころ、カリフォルニアン号の三等航海士チャールズ・グローヴスは、その日の仕事を終え、無線室へと向かった。 好奇心旺盛な彼は、無線室をたびたび訪れては通信士から信号の読み方や器械の操作方法を教えてもらっていたのである。 「どんな船がいるんだ?」と尋ねると、通信士は「タイタニック号だけだ」と答えた。 氷山の警告を送ってやったにもかかわらず、タイタニック号から一方的に通信を切られた通信士は、午後11時半には無線を切り、そろそろ眠りにつこうとしているところだった。

当時、24時間態勢の無線監視を義務づける規制はなく、通信士たちは船長が指示するスケジュールで仕事をしていた。 カリフォルニアン号には通信士が1人しか乗っておらず、先ほどのタイタニック号とのやりとりの後、この日の勤務を終了している。 グローヴスはヘッドフォンをあててみたが、無線はすでに切ってあり、何も聞こえてこなかった。 やがて諦めて無線室を出ていった。

ちょうどそのころ、タイタニック号からは必死の遭難信号が狂ったように発信されていた。 その信号はフランクフルト号、オリンピック号、マウント・テンプル号など、いくつかの船にキャッチされたが、どれもタイタニック号から遠く離れた所におり、救助を期待できるものではない。 目と鼻の先にいるカリフォルニアン号も、無線が切ってあっては遭難信号は届かない。 早朝、ようやくこの緊急事態を知ったカリフォルニアン号は、停泊場所から1時間半でタイタニック号の遭難場所にたどり着いている。 タイタニック号が2時間40分で沈没したことを考えると、もしカリフォルニアン号が無線を切らずにいたら、救出に間に合ったかもしれない。 この少しの運命のいたずらが、乗客・乗員救出のチャンスを奪ってしまったのだ。

午前0時25分、タイタニック号からの救援要請にカルパチア号が「全速で急行する」と応答。 しかし、タイタニック号との距離は107km、カルパチア号の最大スピード14ノットで走っても到着までには4時間を要する。 マウント・テンプル号も遭難信号を受信すると、すぐに救助の準備を始め、遭難現場へ急行。 しかし、浮氷原との遭遇に一時停泊を余儀なくされ、結局到着したのはカルパチア号よりも遅かった。

制御不能なほどの浸水を起こした『楽園/タイタニック号』は徐々に体勢を崩しはじめると、船首が黒い水に引きずり込まれ、船尾は水面から持ち上がるような格好になった。 船尾が宙に浮くにつれ、船全体がじわじわと前傾し、傾きがみるみるうちにきつくなる。 人々は急斜面と化したデッキの坂を我先にと『登った』。 足の遅い人や高齢者は次々と迫ってくる水にさらわれていく。 やがて耳をつんざくような不協和音を立てながら船体は崩壊を開始。 船内で固定されていないものは、すべて海に吸い込まれていった。

船尾部分が空中に立ち上がると、船は轟音を立てて2つに折れた。 船尾は水平に戻るようにして海面に叩きつけられた後、船首に引きずられるようにして、黒く冷たい海へと飲み込まれていった。 15日午前2時20分。 辺りは恐ろしいほどの静寂に包まれた。

このとき避難する乗客たちは、遥か彼方に船の灯りを目撃したという。 それは遭難信号に気がつかなかったカリフォルニアン号だったのか、救助に向かったものの停泊を強いられていたマウント・テンプル号だったのか、あるいはたまたま近くを航海中のアザラシの捕獲船だったのか。 海に浮かぶ希望の光は、ただ失望をもたらしただけだった。 最初の救助船カルパチア号がようやく現れたときには、沈没からすでに1時間40分以上が過ぎていた。

1178人が乗れたはずの救命ボートで実際に助かったのは、約700人。 不沈客船タイタニック号の処女航海は1500人以上の犠牲者を出す未曾有の海難事故となってしまった。

08-03-3

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===== 続く =====

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