不沈客船タイタニックの悲劇=16=

2208-12-1

 1912年4月15日、「絶対に沈まない」といわれていた豪華客船タイタニックが沈没した。 そのタイタニックに1人の日本人が乗っていた。 細野晴臣さんの祖父、細野正文さんである。正文さんは辛くも沈没船から逃れ生還したが、のちに厳しい非難の声が湧き起こることに――。 沈没からちょうど100年を迎えたいま、正文さんがたどった運命と、その汚名がそそがれるまでを晴臣さんにうかがった。

インタービューアー; 高橋盛男(たかはし もりお) 1957年、新潟県生まれ。フリーランスライター。自動車専門誌の編集を手がけたのちフリーライターに。JR東日本新幹線車内誌「トランヴェール」、プレジデント社「プレジデント」「プレジデントファミリー」などに執筆。

第1回 唯一の日本人にして生き残りだった祖父

☛ ☞    祖父、細野正文(まさぶみ)さんがタイタニックの事故から生還されたというのを、最初に知ったのはいつですか。
小学校3年のころだったかな。 両親から聞かされました。 タイタニックの映画『SOSタイタニック/忘れえぬ夜』(1958年)を見に連れていかれたんですよ。 国映画のシネマスコープで、まだモノクロでした。 ネス・モアが主演だったのを覚えています。 その帰りに、ボソボソッと父親が、あまり多くは語らなかったのですが「タイタニックにおじいさんが乗っていた」と教えられました。

☛ ☞    驚かれたでしょう。
映画を見たあとですからね。  「えっ!」と思いましたよ。 歴史的な大事件ですからね。 祖父は、九死に一生を得て生還しながら、その後は長く誹謗中傷にさらされました。 両親はそういう話はしませんでしたが、何か口ごもりながら話していたのを覚えています。 両親も、祖父から直接にはタイタニックの話をほとんど聞いていなかったようです。 祖父は寡黙な人だったとも聞いています。

☛ ☞  正文さんへの中傷とは、生還後に「他人を押しのけてまで生きて帰った卑怯者」という世論が巻き起こったことですね。そのことについて伺う前に、正文さんはヨーロッパで何をされていたのですか。
祖父は、鉄道院の第1回留学生としてロシアのサンクトペテルブルクに赴いていました。 2年ほどロシアにいて帰国するとき、知人のいるイギリスに寄り、そこからタイタニック号に乗ってニューヨーク経由で帰国することにしたようです。 日本人の乗船客は祖父1人でした。

☛ ☞  正文さんが卑怯者呼ばわりされたことを、詳しく知ったのはいつごろですか。
高校生のころでしょうか。 週刊誌の記事などから知りました。 でも、遠い過去のできごとですからね。 実感がわかないんですよ。 祖父は1939年に68歳で亡くなっています。 僕が生まれる前ですから、直接会ってはいないし、顔も写真でしか知りません。 祖父が乗っていたと知ってから、タイタニックの事故のことは、ずっと胸のどこかに引っかかってはいました。 しかし、どこかロマンチックな話としてとらえていました。

☛ ☞  ロマンチックな話ですか?
僕の両親は洋画好きで、よく映画館に連れていってくれました。 家にはSP盤レコードがあって、ハリウッド映画やドイツ映画の主題歌でした。 母親が好きだった映画に『歴史は夜作られる』(1937年)という作品があるのですが、これもタイタニックの事故をモチーフにしたものです。 良い映画で、見た記憶がありますけども。 最初に、映画を見てからタイタニックと祖父のことを知りましたからね。 映画のなかにはラブロマンスも織り込まれているし。 あの事故が事実で、歴史的なできごとだというのは理解していたのですが、何といいますか、タイタニックのことも、祖父のことも、ずっと映画や物語世界の話のような感覚でとらえているところがありました。

☛ ☞  しかし、実際は、あの事故から生還した正文さんはその後、大変な目に遭います。 そのお話を次に聞きましょう。

2208-12-2

第2回 戦後まで引き継がれた汚名

☛ ☞  未曾有の事故から生還したとなれば、拍手で迎えられても良さそうなものですが、正文さんは世間の中傷にさらされます。
明治の末年から大正時代にかけてのことですからね。 タイタニックには、緊急時に救命ボートに乗るのは、婦女子が優先というルールがあったそうです。 そのため、多くの人が犠牲になったのに、なぜおめおめと生き残って帰ってきたか、と思う人も少なくはなかったのではないでしょうか。 かなり執拗に攻撃されたようです。

☛ ☞  しかし、正文さんは、それに一切反論しようとはしなかった。
明治生まれの気骨でしょうか。 あるいは、多少は生きて帰ったことを恥じる気持ちもあったのかもしれない。 祖父は、その中傷のせいか、生還後に鉄道院の役職を解かれています。 忸怩たる思いがあったでしょうね。

☛ ☞  生きて帰ることが、よしとされないとはね。
その時代の風潮をよく知りませんから、何ともいえないのですけれどね。しかし、それは僕にとっては大問題なんですよ。 祖父は当時まだ41歳で、帰ってきてから父が生まれたわけです。 もし、生還しなければ、僕は生まれていない。 これは宿命ですよ。僕は自分の力で生きているし、自分の運命は自分のものだと思います。 運命は自分で何とかできる。 でも、生まれのことはどうしようもない。

☛ ☞  そのご先祖が、歴史的に事件にかかわって、中傷される存在となると。
これは困りますね。「何でお前は生まれてきた」と言われているようなものですから。 ロマンチックだ、物語世界の話だといっていられない。 居たたまれない気持ちになりますよ。

☛ ☞  結局、正文さんの汚名がそそがれるのは、戦後、それも90年代になってからですが、発端は何ですか。
叔父の細野日出男(元中央大学教授、故人)が、1942年に祖父の遺品を整理していて手記を見つけたんです。 タイタニックが沈んだ4月14日の夜から、救助されてニューヨークに送り届けられる18日までのことが、タイタニックの船室にあった便箋に書き綴られていました。 その内容を読むと、祖父は決して卑劣な行動はとっていない。 婦女子優先を守って、船と一緒に沈む覚悟でいたんです。

しかし、救命ボートに空きがあるというのを聞いて、ボートに向かって飛び降りた。 警備の船員が持つ拳銃に打たれてもやむを得ないという決死の判断でした。 叔父は、手記でそのことを知って、汚名返上のためにさまざまな取り組みをしたようです。 しかし、なかなか汚名をそそぐことができなかったらしい。 戦時中のことでしたから。 それは戦後も続きますが、祖父を中傷していたのは、ある特定のジャーナリストだったようです。 僕の両親も、とてもいやな思いをしていて、叔父はその人の書いたものに対して反論していたそうです。 1950年代ごろのことです。

☛ ☞  それが大きく転換するのは、タイタニックが沈んで80年以上経ってからですね。
ええ、実はそのきっかけをつくったのがジェームズ・キャメロン監督の映画『タイタニック』(1997年)だったんです。

☛ ☞  レオナルド・ディカプリオ主演で、アカデミー作品賞をとったあの映画ですか。
そう。映画公開に合わせた話題づくりでもあったらしいんですが、タイタニック財団(RMSタイタニック社)が調査に来たんです。 それまで外に出したことのない祖父の手記を貸したのですが、その調査によって、それまでわかっていなかったことが、いろいろと明るみに出ました。

☛ ☞  どんな事実が判明したのでしょう。

2208-12-3

※ 下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます ⇒ ウィキペディア=に移行
===== 続く =====

                         *当該地図・地形図を参照下さい


 

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】 http://bogoda.jugem.jp

【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/

【壺公慷慨;歴史小説】 http://ameblo.jp/thunokou/

ブログランキング・にほんブログ村へ クリック願います 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中