不沈客船タイタニックの悲劇=17=

08-13-1

第3回 引き揚げ遺品で汚名返上

☛ ☞  RMSタイタニック社に正文さんの手記を預け、その調査によって新たにわかったのは、どのようなことだったのですか。
実際はどういう集団か、得体の知れないところがあったのですが、調査はしっかりしたものでした。学者もそろっていましたしね。 当時の証言や資料をいろいろ集めてくれて、それでわかってきたことがいくつかあるんです。
たとえば、それ以前は祖父がどの救命ボートに乗っていたのかが、はっきりしませんでした。そのせいで「他人を押しのけてまで」といった風評が立ったところがあるようです。しかし、RMSタイタニック社の調査で、祖父が10号ボートに乗っていたことが判明しました。 10号ボートの船員が、乗っていたのはアルメニア人が2人だと証言したために、祖父の存在が不確かだったのです。ところが、そのアルメニア人が後に回想録を出していることがわかって、日本人と一緒にボートを漕いだと書いていたんです。祖父はアルメニア人と間違われたのでしょう。
当時のヨーロッパ人には、東洋人の区別がつかなかったでしょうし、日本人に対する偏見もあって、誤解が生じたんだと思います。 その調査結果は当時、手記の存在とともに新聞や雑誌でとりあげられました。

☛ ☞  一気に汚名返上ですね。頭の上の暗雲が去った。
ええ、ずっとタイタニックにつきまとわれている感じでしたからね。  僕ばかりではなく、親戚一同が同じ気持ちでしたから、皆が一堂に会してお祝いをしましたよ。 「ああ、これで終わった」と。  でも、まだつきまとわれていますね。 こうして取材を受けるんだから(笑)。

☛ ☞  タイタニック沈没から100周年ですからね。
しかたないかな。 そういえば当時、RMSタイタニック社に預けた祖父の手記が行方不明になるという事件などもありましたね。

08-13-2

☛ ☞  えっ、なくなったんですか。
結局は取り戻せたんですが、大変でした。  RMSタイタニック社は、海底のタイタニックから遺物を引き揚げていた集団で、当時あちこちで遺品展を開催していました。
それは、まあいいですが、僕の窓口役をしていたアメリカ人が、そのうち個人的に遺品展を開くようになったんです。それに祖父の手記を持って行ったまま行方がわからなくなった。  メールでやりとりして、ようやく取り戻したのですが、半年かかりました。おかげで、メールでの交渉術を覚えましたね(笑)。

☛ ☞  それも何か映画みたいな話ですね。
いろいろな話が持ちかけられましたよ。タイタニックまで潜水艇で潜れとかね。断りましたけれど。 彼はまるでショービジネス的な、測り知れない面もあったけれど、そう悪い人間ではない。 むしろ、僕は感謝しているんですよ。 彼が僕を訪ねてきたことがきっかけで、祖父の汚名がそそがれたわけですから。

☛ ☞  潜水艇はともかくとして、タイタニックが沈んだ場所に行ってみたくはないですか。
行ってみたいなとは思いますよ。沈んだ場所ではないですが、4月、NHKの旅番組でカナダのハリファクスに行くんです。  タイタニックには8人の楽団員がいたらしいですが、そのうち3人の遺体がこの港町の人々によって引き揚げられ、同地に葬られたそうです。
最後まで楽団が残っていたというのは、映画のラストシーンでも取り上げられますが、同じ音楽をやる身として、とてもすごいことだと思います。
今まで、僕はハリファクスのことを知らなかったのですが、救助された人たちもそこに立ち寄っているそうです。ニューヨークへ行く前に、祖父もそこに立ち寄ったのかな。確認してきたいと思います。

☛ ☞  では、最後に、タイタニック沈没から100年後の今、その歴史的な事件をどうとらえているかをうかがいましょう。

08-13-3

第4回 タイタニックは人類への警鐘である

☛ ☞  ここまで話をうかがって思うのですが、歴史的な大事件で悪役にされたら、その子孫は大変ですね。
そうですよ。祖父がタイタニックの船上で正しい行動をとったのなら、僕は祖父の生還を誇りに思うでしょう。でも、もし卑劣な行動をとったのが事実だったとしたら、僕はとてもそうは思えないでしょうね。  それは、祖父の因果を子孫の僕が背負わされるということです。ですから、僕らも子孫に対しては責任があるんだと思います。

☛ ☞  タイタニックが建造された20世紀初めは、欧米で機械文明が花咲いた時代ですね。大衆車の走りであるT型フォードの誕生が1908年。 飛行機も1903年のライト兄弟による初飛行以後、急速な進歩を遂げています。
ある意味、タイタニックは象徴的で、人間の驕りを諭されたような事件ですね。  人間は科学技術を優先させることで、傲慢になってしまう。  当時、不沈客船といわれたタイタニックですが、乗員乗客あわせて2200人も乗せながら、救命ボートはその半分余りの人数分しかなかった。  ひどいものです。
何か、最近起こっていることと似ているな。今の日本、救命艇のない国に住んでいるという感じでしょう。

☛ ☞  それは3.11後に起きた原発事故のことですか。
図式が同じですよね。  科学技術に対する盲信、驕りという意味では、原発はダメ押しですね。  この先、同じことがあってはならないと思います。  でも、どうなんでしょう。  祖父の孫である僕は今「タイタニックから100年経ったのか」と思うわけですが、最近も豪華客船の座礁事故があったり、船内火災があったり。  人間は、過去に大きな過ちがあっても忘れてしまいますからね。
僕も娘が1人、男の子の孫が1人いますが、タイタニックの因果はぼくの世代で終わって欲しいものです。

08-13-4

☛ ☞  今を生きる世代として、何か伝えておくべきことはありますか。先ほど、子孫に対して責任があるといわれました。
ことさらに何かを伝えることはないですね、それぞれの生き方があるから。災害でも、震災でも、ひとりひとりに物語がある。ひとまとめに語れる言葉などないと思います。
ただ、タイタニックは、常に警鐘を発し続けるのだと思います。
去年の3.11と原発事故は、歴史的にけっして忘れ去られることはないでしょう。太平洋戦争、広島長崎もそうです。皆が忘れられないのは、何がしかその時代を映す事件だったからではないかと思います。
タイタニックが沈んだあと、そこから何かが変わらなければならなかったはずだし、変わった部分もあったはずです。
でも、最近起こっていることを見ると、本質的には何も変わっていない。タイタニックは、それを考えるきっかけになります。

☛ ☞  その警鐘を聞き取るアンテナを失わないことが、いつの世代でも大切だということですね。
僕は、タイタニックという名前を聞けば、そういう警鐘だと受けとめます。生還した祖父の存在があるから、とくに敏感にそう反応するのだと思います。文明に頼りすぎることへの警鐘は、何らかのかたちで伝えられると思う。キャメロンの映画もそうですしね。
僕は映像作家ではないけれど、祖父の視点でタイタニックを映画化したらどうなるだろうと、つらつら想像したことがありますよ。でも、音楽なら、いずれタイタニックを、自分なりに表現することがあるかもしれないですね。

イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)

1978年に結成。細野晴臣(エレクトリックベース、シンセベース)高橋幸宏(ドラムス・ヴォーカル)坂本龍一(キーボード)1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(解散)するまでの5年間で日本を席巻した。英語圏で著名な日本人ミュージシャンでもある。1993年に一時的に「再生」(再結成)しており、また2007年にも再々結成している。

08-13-5

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===== 続く =====

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