杉原千畝が専行、「命のビザ」=03=

08-17-1

❢❢❢ 大国に挟まれ、その狭間で喘ぐ小国に赴任 ❢❢❢

第二次世界大戦中、1100人余りのポーランド系ユダヤ人が強制収用所に送られ 自由を奪われる事はともかく、死に至らしめられるのを阻止し、スティーヴァン・スピルバーグが映画化した事によって世界的にその名を知られるようになったオスカー・シンドロームに擬え 後に 『日本のシンドラー』と呼ばれる事になる杉原千畝。 千畝がリトアニアで過ごした期間はわずか一年。 しかし、このわずか一年未満のおかげで、命を救われたユダヤ人の数は6000人余りにのぼる。

日本領事館がなぜリトアニアの首府であるヴィリニュスではなく、カウナスに設けられたのか。 ここで、簡単に当時 リトアニアが置かれた状況を俯瞰しておく。 前記のように バルト海沿岸に広大な領土を治めていた国家として中世ヨーロッパの地図に記されていたリトアニア王国であったが、大国に挟まれた他の幾多の小国同様の波乱に満ちた歴史を歩む宿命を地勢的に背負わされていた。

1568年には隣国ポーランドと連合、リトアニア・ポーランド連合王国と成るが、東のロシア 西のプロイセン(後のドイツの一部) 南のオーストリアによる三度の分割=1772年・93年・95年=を経験する。
このうちの1795年の第三次分割では、ポーランドが国としていったん消滅したように、リトアニアも大部分が帝政ロシアに併呑された。リトアニア語使用禁止を含む、強硬な植民地化政策に曝された。ロシアからユダヤ民族が流入した。

長い抵抗運動の末、リトアニアは1918年には一時的な独立を勝ち取ったものの、こんどは ポーランドに領土の一部を割譲するという憂き目に会う。 まさに、弱肉強食の東欧世界であった。 さらに、1939年のナチス・ドイツによるポーランド進攻によって ポーランド占領状況は終焉し、開放される。 だがしかし、今度は ソ連 更には ナチス・ドイツに占領される。 狂信的なナチス・ドイツの風圧に苛まれ、暴力的なソ連の圧政に国土は荒び、第二次世界大戦後も苦舌苦難の時代が続いた。 リトアニアが真の自由を勝ち取る独立を勝ち取りえたのは1991年、今からわずか24年前のことである。

この約200年にも渡る受難の歴史の中で、杉原千畝がリトアニアに関わったのは 前述のとおち、約一年。 そのころのリトアニアでは、繰り返しになるが 国土の一部がポーランドの支配下にあり、首都・ヴィリニュスも占領されていた。 そして、カウナスが臨時の首都として機能していた。 日本人が一人もいないというリオトアニアに、情報収集を実際の任務目的とする日本領事館開設を杉原千畝が命じられた。 千畝は家族とともに1939年8月28日、リトアニアに到着。 時を浪費することなく、まもなくカナウスに領事館を置いたのだった。

08-17-2

 日本人がまったくいないカウナスに杉原千畝が着任し、日本領事館を開設した当時のポーランドとリトアニアには、ミルやテルズなどユダヤ人社会に知られたユダヤ教の神学校があり、ヨーロッパ中から留学生が集まっていた。 そのなかに祖国がドイツに降伏したため無国籍になったオランダ出身のナタン・グットヴィルトとレオ・ステルンハイムがいた。

グットヴィルトは、オランダ領事ヤン・ズヴァルテンディクに出国の協力を求めた。 ズヴァルテンディクは、今日でも有名なオランダ企業フィリップス社のリトアニア支社長だったが、1940年(昭和15年)5月、バルト諸国担当のオランダ大使 L・P・デ・デッケルの要請を受けて、ナチス共鳴者のティルマンス博士に代わりカウナス領事に就任していた。

祖国を蹂躙したナチスを強く憎んでいたズヴァルテンディクはグットヴィルトらの国外脱出に協力を約束し、6月末グットヴィルトは、ワルシャワ大学出身の弁護士でユダヤ難民たちのリーダー格だった、ゾラフ・バルハフティクに対して、この件について相談した。 ズヴァルテンディク領事は、「在カウナス・オランダ領事は、本状によって、南米スリナム、キュラソーを初めとするオランダ領への入国はビザを必要とせずと認む」とフランス語で書き込んでくれた。

ズヴァルテンディクによる手書きのビザは途中でタイプに替わり、難民全員の数を調達できないと考えたバルハフティクらはオランダ領事印と領事のサインの付いたタイプ文書のスタンプを作り、その「偽キュラソー・ビザ」を日本公使館に持ち込んだのである。 ドイツ軍が追撃してくる西方に退路を探すのは問題外だった。 そして、今度はトルコ政府がビザ発給を拒否するようになった。 こうして、トルコ領から直接パレスチナに向かうルートも閉ざされた。 もはや逃げ道は、シベリア鉄道を経て極東に向かうルートしか難民たちには残されていなかった。 難民たちが、カウナスの日本領事館に殺到したのには、こうした背景があった・・・・・・・・。

08-17-3

08-17-4

  動画 ; そのとき歴史が動いた =杉原千畝の決断の時=

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=iMBtkZhdwd8

 

前節へ移行 ; https://thubokou.wordpress.com/2015/08/16/

後節へ移動 ; https://thubokou.wordpress.com/2015/08/18/

 

※ 下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます ⇒ ウィキペディア=に移行
*当該地図・地形図を参照下さい

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】 http://bogoda.jugem.jp

【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/

【壺公慷慨;歴史小説】 http://ameblo.jp/thunokou/

ブログランキング・にほんブログ村へ クリック願います 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中