杉原千畝が専行、「命のビザ」=04=

08-18-1

40歳で、6000余名とも言われるユダヤ人の命を救うビザ発給を決断する。 本国の外務大臣の訓告を無視しての決断であり、杉原千畝の人生を賭す決断は彼の前半生の過程がこの決定を促したのであろうとの推定は説明するまでもないであろう。 彼 千畝は、早稲田大学の学生時代、後の早稲田教会となる早稲田奉仕園の信交協会に一時期属しており、満洲に赴任する前にすでにキリスト教と出会っていた。 そして、在満の時期に、千畝は正教会の洗礼を受けていた。 これらの経緯は前述第一節≪外交官になるまで≫に記しているが・・・・・・・・・。

杉原千畝が満州で本格的に外交官として夢を追い始めたころ、日本を重苦しい雲が覆うようになっていた。 欧米列強に追いつけとばかりに急速に軍需力を拡張、拡大した触手を中国に向けた。 その結果は泥沼に踏み込んで身動き取れなくなった状態の日中戦争に突き進んで行ったのである。 そして、関東軍は、1932年 満州国を建国した。 前年の満州事変により、日本は強引に満州を占領。 国際社会から激しく非難された日本に対して、千畝は胸を痛めていたことであろう。

同年、1932年(昭和7年)に千畝は満州国外交部事務官に転じた。 彼は、帝政ロシアが建設した「北満鉄道」を、その権益を引き継いだソ連から買収するという一大プロジェクトに書記長として参画した。 千畝は卓越したリサーチ・調査力と交渉力を駆使して、ソ連交渉団の予測を覆した。 ソ連団は大幅に譲歩を余儀なくされ、千畝は外務大臣をも舌を巻かせる大手柄を打ちたてる。 ソ連の外交部は杉原千畝をマークした。 交渉の結果は、ソ連の希望額6億2500万円=当時の日本国家予算約20億円=に対して、総計1億7000万円で決着をした。 これにより、千畝の知名度は外務省内で一気に上昇した。

しかし、1936年(昭和11年)末、念願のモスクワへ二等通訳官としての任官・赴任を命じられるものの 満州国で飲まされた雪辱の「シッペ返し」を受けるのである。 ソ連が彼の入国ビザの発行を拒否した。 異例の事態に外務省は強行に抗議したが聞き入れられなかった。 ソ連側が、反革命的な白系ロシア人との親交を理由に、ペルソナ・ノン・グラータを発動して千畝の赴任を拒絶のだ。 当時の『東京朝日新聞』(直年の3月10日付)は、「前夫人が白系露人だったと言ふに理解される」と報じている。

08-18-2

 杉原千畝=26歳の若さにして、ロシア問題のエキスパートとして外務省内で頭角を現す=の落胆振りは想像にかたくないが、もし ここで彼がモスクワに赴任していたら、6000余名のユダヤ人の運命も変わっていただろう。 運命の糸はリトアニアに繋がっていたのであろう。 1937年(昭和12年)8月、千畝はフィンランドのヘルシンキ公使館勤務を命じられた。 ソ連ルートの旅程が認められないため、太平洋を渡り アメリカ合衆国を横断、更に 大西洋を経てヨーロッパに到達している。 二年前の35年に結婚=二度目、前婦人はロシア人=した幸子=菊池文雄(香川県志度商業高等学校校長)の長女=夫人と昨年誕生した長男・弘樹 そして 幸子夫人の妹・節子を伴っての渡航であった。

話は前後するが、満州で外交官として歩き始めた頃から杉原千畝は「日本の軍国主義」を冷ややかな目で見るようになっていた。 彼の手記には、「当時の日本では、既に軍人が各所に進出して横暴を極めていたのであります。私は元々こうした軍人のやり方には批判的であり、職業軍人に利用されることは不本意ではあったが、日本の軍国主義の陰りは、その後のヨーロッパ勤務にもついて回りました」と、千畝にはまれな激しい言葉が見られる。

千畝の拒絶に対し、関東軍は、前妻クラウディア=3歳年上のロシア貴族=が「ソ連側のスパイである」という風説を流布し、これが離婚の決定的理由になった。 満洲国は建前上は独立国だったが、実質上の支配者は関東軍だったので、関東軍からの要請を断り同時に満洲国の官吏として勤務することは、事実上不可能だった。 彼の満洲時代の蓄えは、離婚の際に前妻クラウディアとその一族に渡したため、ハルビンに渡った時と同じように、千畝はまた無一文になった。 そこで、弟が協力して池袋に安い下宿先を見つけてくれ、帰国後の千畝は、知人の妹である菊池幸子と結婚したのだ。 満洲国外交部を辞めた理由を尋ねられた際、関東軍の横暴に対する憤慨から、「日本人は中国人に対してひどい扱いをしている。 同じ人間だと思っていない。 それが、がまんできなかったんだ」と幸子夫人に答えている。

杉原千畝は日本の外務省に復帰するが、赤貧の杉原夫妻は、結婚式を挙げるどころか、記念写真一枚撮る余裕さえなかった。 幸子夫人はもともと岩手県遠野出身。 教師だった父親が香川県の高校に校長として赴いた関係で幸子夫人も香川県で教育を受けた。 香川県立高松高等女学校を卒業したが、父親が亡くなり 東京で働いている兄を頼って上京、保険会社勤務の兄が外務省に出入りしていた。 そこで、杉原千畝と知り合い、自宅に千畝を食事に呼んだことが幸子と千畝の交際の始まりだという。

08-18-3

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Mn0QOAKp_10

動画;  ユダヤ人, 日本への脱出 / 杉原千畝

08-18-4

 

前節へ移行 ; https://thubokou.wordpress.com/2015/08/17/

後節へ移動 ; https://thubokou.wordpress.com/2015/08/19/

 

※ 下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます ⇒ ウィキペディア=に移行
*当該地図・地形図を参照下さい

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】 http://bogoda.jugem.jp

【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/

【壺公慷慨;歴史小説】 http://ameblo.jp/thunokou/

ブログランキング・にほんブログ村へ クリック願います 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中