杉原千畝が専行、「命のビザ」=16・終節=

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☛ ☞   公式の名誉回復へ向けて

東京大学理学部を卒業の後 三井物産に勤務していた古崎博は、1940年(昭和15年)、重要な軍事物資だった水銀調達の相談のために、大連特務機関長・安江仙弘大佐を訪問した際、「リトアニアにいた日本領事が、外務省の反対を押し切って、満洲に逃げてくる千人近いユダヤ人に査証を発行して、これをすくったことがある。 この領事は外務省から叱られて本国召還をくらったようですがね」と、安江が述べたことを記録している。 そして、

同年-1940年(昭和15年)-のこの面談の日付は明示されていないが、難民たちがカウナスの領事館に殺到した7月から、安江がまだ予備役に編入される前の9月、の間であることは間違いない。 「本国召還」などは史実と相違しているが、「カウナス事件」という名前で外務省内で問題視されていた千畝にまつわる事件が、在欧武官府から東京の陸軍中央まで伝えられていた事実を証言している。

千畝の依願退職に関しては、戦後日本の省庁機能を再建する際に、外務省関係者の間で「カウナス事件」における不服従が問題になり、終戦連絡中央事務局連絡官兼管理局二部一課から、千畝の解雇が進言された事実が、堺屋太一加藤寛渡部昇一らの対談によって、具体的に証拠立てられた。 渡部昇一がその著作で「杉原は本省の命令を聞かなかったから、クビで当たり前なんだ。 クビにしたのは私です」と証言したとする曽野明に対して、加藤寛がその内容を照会したところ、「日本国を代表もしていない一役人が、こんな重大な決断をするなど、もっての外であり、絶対、組織として許せない」と曽野が述べたという。

この曽野明と、曽野に引き抜かれた都倉栄二、そして先の新関欽哉こそ、杉原なき外務省で戦後の対ソ外交を主導したキャリア官僚三人であった。

政治学者の小室直樹は、「これは人道的立場からのやむを得ざる訓命違反であって、失策ではない。 杉原千畝元領事は、戦後直ちに外務省に呼び戻すべきであった。 日本外務省は、日本の外交的立場をぐっと高めるに足る絶好のチャンスを、みすみすと失ったのである」と、杉原の免職を批判している。 2006年3月24日の小泉純一郎総理大臣の答弁書(内閣衆質164第155号)によると外務省には懲戒処分の証拠文書がないようである。

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 1991年(平成3年)10月には、鈴木宗男・外務政務次官(当時)が幸子夫人を招き、杉原副領事の人道的かつ勇気ある判断を高く評価し、杉原副領事の行動を日本人として誇りに思っているとし、併せて、半世紀にわたり外務省と杉原副領事の家族との間で意思の疎通を欠いていた無礼を謝罪した。 しかし、当時まだ外務省に在職していた佐藤優は、『国家の罠』(2005) において、その名誉回復すら「当時の外務省幹部の反対を押し切」ってなされたものであったとし、千畝の不服従に対する外務省関係者の執拗な敵意の存在を証言している。

「外務省が詫びる必要はない、と会談そのものに反対したという」などと『朝日新聞』(1994年10月13日付)で取り沙汰され、杉原の名誉回復に反対したと一部マスコミで報じられた当時の外務事務次官小和田恆(元国連大使)は、「そういう報道は心外です。私としては、反対したという記憶はありませんし、私自身の考え方からしても反対するはずがない」とし、自身が杉原領事の立場にいたらどうするかという『アエラ』(2000年11月13日号)の取材に対して、「組織の人間として訓令に従うか従わないかは、最終的にその人が良心に照らして決めなければならない問題」と答え、千畝の行為に一定の理解を示した。

1992年(平成4年)3月11日の第123回国会衆議院予算委員会第二分科会において、草川昭三議員の質問に対して、兵藤長雄・外務省欧亜局長は、「確かに訓命違反、その時の服務命令の次元で考えればそうであったけれども、しかしもっと大きな次元で考えれば、(・・・)数千人の人命を救うかどうかという、より大きな問題がそこにかかわっていたということで、結果的に見れば我々もこの話は美談だったというふうに今見るわけでございます」と、確かに「訓命違反」ではあるが、「数千人の人命を救うかどうかという、より大きな問題」があったとして、切迫した状況における杉原領事の判断を支持した。

前節記載のように、2000年(平成12年)、河野洋平・外務大臣の顕彰演説によって、日本政府による公式の名誉回復がなされた。 それは、千畝の没後14年目のことであった。

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❢❢❢ 終わらざるドラマ ❢❢❢

2000年10月 10日、杉原千畝の誕生日を記念して 様々な行事が執り行われた。 その一環として、外務省の外交資料館に千畝の功績をたたえる“顕彰プレート”が設置され、除幕式が行われた。 外務省内での杉原千畝の復権が正式に成ったのである。その場に千畝の姿が無かった事が悔やまれ、惜しまれた。また、この2000年に、あるプロジェクトがリトアニアで始まった。杉原千畝の功績を後世に永久に伝えるため、平和のシンボルとして 日本から運び込んだ桜の木を植えようという活動が始まった。

リトアニアの首都・ヴィリニュス(ビリニュスの桜公園)と機縁の町・カウナスに、一箇所ずつ“桜パーク”と呼ばれる公園・植樹地の建設が始まった。 リトアニアの冬は厳しすぎて、枯れる苗木は補充された。 また、公園内には杉原千畝の功績をたたえる美しい石碑が建設され、大きな胸像のレリーフが嵌め込まれている。 天皇ご夫妻が欧州親善旅行の折に訪れられている。 吹き付ける雨風、耐え忍ばねばならない寒気の風雪、厳しい環境に根を張った桜の今日の姿は 千畝の生涯に重なっている・・・・・・・・。

2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生し、地震と津波による甚大の被害が世界中に報道されるや、内外のユダヤ人社会から、第二次世界大戦時にユダヤ難民の救済に奔走した、杉原の事績を想起すべきとのアピールがなされた。 3月21日、イスラエルの有力紙『エルサレム・ポスト』は第二次世界大戦中、「在リトアニア日本公使、チウネ・スギハラが、訓令に反してビザを発給し、6,000人のユダヤ人を救った」ことに注意を喚起し、「在日ユダヤ人共同体が協力し、すべてを失い窮状にある人々の救済を始め、在京のユダヤ人たちは募金のための口座を開いた」と報じた。

東日本大震災によって被災した人々に対する義援金を募るにあたり、米国のユダヤ人組織であるオーソドックス・ユニオンは、会長のシムカ・カッツ博士と副会長のスティーヴン・ヴェイユ師の連名で、以下のような公式声明を発した。 ≪窮状にある人々に手を差し伸べることは、主のいつくしみの業に倣うことである。 1940年、杉原領事夫妻は身職を賭して通過ビザを発給し、6,000人のユダヤ人の命を助けて下さった。 いまこそわれわれがその恩義に報いるときである。≫

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 6月23日、ロサンゼルスのスカイヤボール文化センターで俳優の渡辺謙が、メッセージ「日本のための団結」を読み上げた後、千畝を描いた米国映画 “Sugihara:Conspiracy of Kindness”が上演され、収益が全額「日本地震救済基金」に寄付される。
10月24日、早稲田大学出身の超党派の国会議員を中心に「杉原千畝顕彰会」が発足し、平山泰朗・衆議院議員の提唱により、杉原千畝を顕彰する顕彰碑(書・渡部大語)が母校内(早稲田キャンパス14号館脇)に建立され、その碑文には、「外交官としてではなく、人間として当然の正しい決断をした」が選ばれた。

12月24日、「第二次世界大戦中、リトアニア領事として同国からアメリカへ脱出する多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝への恩を忘れないとの思いから」、アメリカのリトアニア人居住地区から、東日本大震災で秦野市内に避難している子供たちに対し、クリスマスプレゼントとして、ノートとクレヨンが寄付された。

2012年(平成24年)2月20日、来日したリトアニアのクビリウス首相が野田佳彦首相に対して、「日本は地理的には遠いが親近感を抱いている。 故杉原氏がユダヤ人を助けたことはリトアニアの日本理解に大きな影響を与えている」と述べた。

3月22日、フロリダ州ボカラントン市で、千畝の功績を記念する式典が挙行され、ニューヨーク総領事館から川村泰久首席領事をはじめ約100人が出席した。 4月26日、カナダ航空宇宙博物館において在カナダ日本大使館及びリトアニア大使館、ブナイ・ブリス・カナダとの共催で映画『命のビザ』を上演。

10月16日、千畝の母校である愛知県立瑞陵高校(旧制愛知五中)に、在日イスラエル大使館から感謝のためのオリーブの木が贈られ植樹式が行われた。

2013年、5月10日、カナダ在住のジャーナリスト・高橋文が、日本経由でカナダに渡ったユダヤ人7家族15人の証言を集めた記録映像『スギハラ・チウネのメッセージ』を八百津町の赤塚新吾町長に贈った。

9月10日、千畝のひ孫の杉原織葉(おりは)が、ミュージカル「SEMPO」に出演(難民の少女ニーナ役)。

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 ・  「私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」。
·    「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。しかし、私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった」]
·    “Vaya con Dios!” –千畝の激励としてソリー・ガノールが記憶している言葉。
·    「世界は、大きな車輪のようなものですからね。対立したり、あらそったりせずに、みんなで手をつなぎあって、まわっていかなければなりません・・・。では、お元気で、幸運をいのります」 –ビザ発給の際にある難民にかけた千畝の励ましの言葉。
·    「旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか? それがはたして国益に叶うことだというのか?」
·    「新聞やテレビで騒がれるようなことではない」。
·    「大したことをしたわけではない。当然の事をしただけです」。
·    「難民たちには、男性だけでなく、女性や老人、子供までいた。みな明らかに疲労困憊している様子だった」。
·    「あの人たちを憐れに思うからやっているのだ。彼らは国を出たいという、だから私はビザを出す。ただそれだけのことだ」– モシェ・ズプニックが聞いた言葉。

— 杉原千畝 語録

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動画 ; 天皇皇后両陛下、リトアニアに到着・・・大歓声(リトアニア国営放送)
https://youtu.be/iTrIhEFO37o
・・・・・・・・・・・・・・
動画 ; https://youtu.be/f6BvmObdR-g
動画 ; https://youtu.be/lllbzyeUa6Q

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