地中海で戦った日本・特務艦隊=06=

09-05-1

❢❢❢駆逐艦「榊」の被雷 ❢❢❢

1917年6月9日、第二特務艦隊=計12隻の駆逐艦が佐藤皐蔵少将を司令官の指揮下に編成されていた=に仰ぎ第十一駆逐艦隊の「柏」、「松」、「杉」、「榊」のうち、榊と松の2隻はエーゲ海の奥、ギリシャ領サロニカまでの護衛を終え 根拠地のマルタ島への帰路についていた。 護衛すべき船舶は無く、2艦のみの航行だった。 二隻は途中 ミロス島とミュドロス島に寄航し、11日10時30分 ミロス島を出港、潜水艦出没警報が出ていたギリシャとクレタ島間の海峡を通過してマルタへ帰還すべき航路を選択して、先行した。

駆逐艦「榊」はここで潜水艦の攻撃を受ける事になる。 当時の天候は晴れ、北の風で波が立つが航行には支障なかったが モヤが立ち 視界は良くなかったと言う。 両艦の間隔は300m、両艦は左後方に「榊」 右前方に「松」を確認できる隊形で互いに周囲の警戒を怠り無く西行していた。 途中、12時30分前後に英国の駆逐艦・リブル(Ribble)がギリシャからクレタに向かって両艦の前方を横切っていった以外は変わったことも無く、彼らの警戒は緩んでいたかもしれない。

13時32分、北緯35度15分・東経23度50分 「榊」は隊形外側200メートルから、突然 魚雷による攻撃を受ける。 攻撃を行ったのはオーストリアの潜水艦・U-27であったとされている。 機関部には 突然 全速全快が発令される。 同時に、取り舵(右旋回)が行われる。 次の瞬間、駆逐艦全体に大きな衝撃が走った。

「榊」艦橋(ブリッジ)にいた乗員の証言が残されていないので、その時「榊」艦橋で何が起こりどのような対処が為されたのかは詳細は判らない。 ただ、他の記録などを併せて判断すると、「榊」は接近する魚雷を発見、直ちに 右旋回して 魚雷を避けようとした。 しかし、発見した時点での距離があまりにも近かった為、どうしようもなかったと言える。

魚雷は艦首12cm砲の直下に命中、おそらく 搭載していた砲弾も誘発したのであろう 船首が吹き飛んでしまう被雷であった。 船体の三分の一が完全に破壊され失った「榊」は取り舵のまま、ゆっくりと右回頭する。 そして、進行していたのとはほぼ正反対の東側を向いた状態で、自然に停止してしまった。

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 ☛ ☞  同航艦・ 「松」 の行動

「榊」の被弾を目撃した駆逐艦・「松」は直ちに総缶点火、接近する「榊」を避けて右回頭を行い、船首を破壊された榊の後ろを廻って、魚雷が発射されたと思える地点に爆雷を投下した。 見えぬ敵のUボートに攻撃を加える。 水圧を加えて、敵潜水艦にダメージを与え 願わくば浮上させようとした。 日本海軍が初めて使用する爆雷であり、実用使用の瞬間であった。 「松」は約1000キロの距離を「榊」との間に置いて不規則に旋回しる。 敵潜水艦からの次なる攻撃を警戒した。

一方、被雷した「榊」は艦橋を失ったため、操艦能力は回復不可能な状態であった。 鑑体後部にいて助かった吉田庸光大尉は機関停止を指示、次いで 後進を指示する。 「榊」はゆっくりと後退させる。 吉田大尉は無事だった後部8cm砲を指揮して、周囲への威嚇射撃を行わせた。 「榊」は一時間に渡って、この威嚇行為を続け、搭載していた砲弾のほとんど全てを消耗して14時34分に砲撃を停止した。

「榊」の被害は、当時 艦橋にいた士官のうち、艦長・上原太一中佐は爆発で吹き飛ばされての戦死認定。 機関長・竹垣純信機関中佐は重症を負い、その後死亡。 艦橋当直士官・庄司大尉は重症を負った。 死者は上記の士官二名のほか、准士官二名と下士官28名、水兵および機関兵等が27名が犠牲になった。 准士官と士官で30名と、死者の半数以上を占めえるのは、魚雷命中箇所の直後に准士官室があり、また 艦前方に据えられていた12cm砲の砲弾庫が併発したから そこにいた全員が死亡したのである。

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 ☛ ☞  日英の協力

「松」から発信された救援信号・SOSを受信した連合軍艦船は、直ちに「榊」遭難現場へ急行した。 真っ先に到着したのは「榊」被雷前に進路上の前方を通過した英国駆逐艦「リブル」であった。 14時50分現場到着。 危険海域にもかかわらず、「榊」の横に停止した。 直ちに短艇を降ろし、士官と水平を「榊」に乗船させようとする。 「榊」ではこの様子を判断し 15時05分 機関を停止した。

直ちに乗船した英士官は、「榊」後部で指揮を執っていた吉田大尉に、「艦損害は甚大と判断するので、生存者全員を移乗させて、艦を放棄しよう」と提案した。 この提案を理解したうえで吉田大尉は後部マストに掲げている戦闘旗=軍艦旗=を指差して、「ノー」と拒否した。 本艦は未だ戦闘旗を掲げているいじょう、戦闘放棄はしないとサムライ魂を吐露したのであろう。

このあたりは、世界最大の海軍力を誇る大英帝国海軍と、新興国大日本帝国海軍との意識の違いが現れているのだが、日英の共同作業は美しい。 因みに、英国士官は《これだけ甚大な損害の被害をうけた駆逐艦は放棄して新しい艦体を造ったほう合理的》と考えたのであろうが、日本人にとって《まだ、浮いている艦を放棄するなどとんでもない、これは 天皇の駆逐艦なのだ》と考えたのは当然だったでしょう。

英国士官は吉田大尉の意図を理解したのであろう。 まず、短艇で負傷者を「リブル」に収容した後、「榊」曳航の準備に入った。 英士官の指示はテキパキと無駄が無い。 その作業手順は日本側から見て極めて手際よく、「リブル」の乗組員は「榊」の乗組員を労わり、作業を進めた。 このようすは、全ての日本側文献で賞賛されている。

曳航準備が完了し、曳航が開始されたのは15時34分。 この頃になると他の船団を護衛していた第二特務艦隊の他の駆逐艦も現場に到着し、「リブル」に曳航される「榊」を護衛する体制をとる。 途中、17時40分と20時00分に曳航索が切断するが、「リブル」は 未だ危険をはらむ海域で曳航索を取り付け直し、23時30分、無事クレタ島スダ湾スーダ英軍基地に到着した。

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===== 続く =====
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