地中海で戦った日本・特務艦隊=09=

09-03-1

❢❢❢ 活かされなかった教訓 ❢❢❢

第二特務艦隊の目覚しい活躍で国際連盟の常任国となり、国威が世界列強の一員に期した。 しかし、ベルサイユ条約でアジアにおけるドイツの権益を信託統治領として譲り受けた日本は、この時点で 中国から強い反感を買った。 また、アメリカとの利害が対立し始め、世界から孤立し始めた。 英国を助けて戦えば世界での立ち位置が強まると信じて戦ったものの、その英国すらドイツが敗北した途端 日本との同盟関係を維持継続する必要性に疑問を抱くようになった。 そして、1921年のワシントン会議では日英同盟の更新は行わない事が決定された。 中国における日本の権益は認められず、日本は国際的に孤立の一途を辿る事になる。

その歴史的な背景は、アメリカは太平洋地域に権益を持つ自国と日本、イギリス、フランスとの間における太平洋における領土と権益の相互尊重と、諸島における非軍事基地化を取り決めた「四カ国条約」の締結を提唱し、同盟国であり歴史的に関係の深いイギリスにこれを強く進言した。 日本を5大国の一国に押し上げる原動力の1つとなった日英同盟を妨害する意図があったとも言われる。 結果的に1921年に「四カ国条約」が締結され、満期の来た日英同盟は更新されなかった。 これは二国間同盟に基礎を置く排他的敵対的な安全保障体制から多国間安全保障体制への発展であるとして「発展的解消」とも言われたのだが、日本は孤立して行き、ドイツと同盟を結ぶ道に追いやられていく。

そして、第二次世界大戦では、日英の強い絆を相互に確信していた蜜月時代を忘れてしまったかのような敵対関係になった。 世界の海の覇者である大英帝国を敵に回してしまった。 第二次世界大戦のわが国の敗因は海上輸送護衛の軽視であったと言われている。 艦隊による決戦に作戦の重きを置き、護衛の重要性を欠いたため、生命線である資源輸送の段階で潜水艦や飛行機の爆撃を受け 為すままに自滅していった。 生命線を絶たれれば、資源なき島国の崩落は時間の問題であった。

09-08-2

 第一次世界大戦で犠牲を払いながら学んだ地中海での第二特務艦隊の経験、護衛作戦や駆逐艦の有効性、対潜水艦作戦などの貴重な海軍の体験を軍部学び取らなかった。 日本は残念ながら 地中海で決死の活躍した第二特務艦隊の経験を最大限に活かす事ができなかったのである。

ここに、実際に戦地に赴いて任務遂行に心血を注いだ将兵と、当初から欧州派兵に対して無関心、あるいは後ろ向きであった当時の日本政府や海軍内部、ひややかな陸軍との信じがたい温度差が第二次世界大戦の敗北に至るまで影を落としていたのである。 この食い違いが、日本を孤立させ、輝かしい第二次特務艦隊の史実を埋没させてしまったと言える。 海軍をテーマにする著作が多いことで知られる阿川弘之さんがC.W.ニコル『日本海軍地中海遠征記―若き海軍主計中尉の見た第一次世界大戦』によせた序文の中で、「日英同盟を破棄せず、あと22-3年、お互いに海の友邦でありえたなら 日本中の大都市が焼け野原になり、全領土を接収される第二次世界大戦の悲劇的結末は避けることが出来たにと思ふ」と語っている。

 歴史を変えることは出来ない。 しかし、変えられないのなら 特務艦隊の功績も埋もれさせるわけにはいかない。 日本を列強の一員にするべく 命を懸けて戦い、“地中海の守護神”と称えられた彼らの誇り高い大和魂は、何時の時代も我々日本人を鼓舞する史実であろうから。

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☛ ☞  追記; 《地中海の日本海軍慰霊碑》
甲飛喇叭隊 第11分隊 News Letter 第1号 2014年8月11日 発行より=
http://11division.info/index.html

地中海にマルタ島という島が浮かんでいます。 ちょうどイタリア半島の靴先の島、シチリア島からさらにこぼれ落ちた砂粒といったところで、淡路島の2/3ほどの小さな島が、一つの国家を形成しています。 古くはマルタ騎士団で知られ、紺碧の海からそびえ立つ中世の要塞に囲まれた街は狭く、宝石箱みたいに教会がひしめき合っています。 だいたいのんびりとした島で、太刀魚と兎が名物らしく、マーケットでもよく見かけます。
この島に「大日本帝國第二特務艦隊戦死者之墓」と彫られたオベリスクが建っています。 少し奥まった静かなところで、たまたま観光客が訪れるというような場所ではありません。 これは第一次世界大戦の時の墓碑であり慰霊碑です。

今から100年前の19144年(大正3年)6月にフランス、イギリス、ロシア、イタリアなどの連合国とドイツおよびオーストリア=ハンガリーとが干戈を交える、ヨーロッパを二分する大戦争が始りました。 この第一次世界大戦は遠い対岸の火事では済まず、日英同盟によって連合国の一員となったわが国にも大きく関わってきました。日本は開戦早々ドイツ海軍極東の大拠点、膠州湾の攻略を行いましたが、これは日本海軍初の航空戦として映画「青島要塞爆撃命令」(東宝1963年)の題材に採り上げられています。

戦争は大方の楽観的予想に反して長期化して行きました。 航空機のみならず、鉄道、戦車、毒ガス、そして海には潜水艦と、新兵器の登場は戦場の景色を旌旗堂々の騎士道的物語から、国家の総力を投入した大量殺戮の場へと変貌させていました。

連合国側は西部戦線の膠着状況を突破するため、米国からの兵員と物資を欧州へと送る必要がありましたが、それには輸送船が地中海を横断していかなければなりません。 しかし、その前にドイツとオーストリアによる無制限潜水艦作戦が立ちはだかりました。 連合国側の全船舶を標的とした無警告攻撃のUボートの跳梁に、兵士や弾薬を満載した輸送船が次々と沈められていったのです。 開戦から三年、連合国側は満足に船舶を護衛する能力も乏しくなっていました。 地中海はすっかり「魔の海」と化していたのです。

09-02-2

===== 続く =====
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