第一次世界大戦の轍=13=

09-22-1

❢❢❢ 英軍が主導権確立・仏軍の戦意消失 ❢❢❢

ヒンデンブルク線への後退計画はアルベリッヒ作戦と名付けられた。 翌1917年2月9日に開始された撤退は4月5日に完結した。 ノワイヨンへの攻撃を意図していたフランス軍の計画はこれによって空振りに終わった。 イギリス軍においては、この後退はソンムでうけた損害によるものであるとの主張がなされ、ドイツ軍が疲弊しているとの印象を与えていた。

一方で4月6日にアメリカ合衆国が連合国側に立って参戦した。 これはUボートによる無制限潜水艦作戦の再開や、ツィンメルマン電報事件が原因である。 一時はイギリスの物資補給に深刻な影響を与えていた潜水艦作戦も、護送船団の導入によって被害数が劇的に減少した。 1917年4月にイギリス軍はアラスの戦いを開始したが、ヴィミー山稜の戦いにおけるカナダ軍団およびイギリス軍第5歩兵師団の成功にもかかわらず、戦線拡大は失敗に終わった。

1917年の冬になると、ドイツ空軍の戦術改善が効果を上げ始めた。 ヴァランシエンヌに設置されていた飛行学校における訓練によって、ロッテ戦術と称される2機の戦闘機を用いた戦術が導入された。 これによって英仏軍の戦闘機には多大な損害が生じた。 特にイギリス軍では機体の更新時期にあたり、新兵の訓練も行き届いていなかった為に大きな損害が生じた。 アラスの戦いにおける搭乗員の損失は、ドイツ軍の114人に対してイギリス軍では316人であった。

 同月にフランス軍の将軍ロベール・ニヴェルは新たな攻勢計画を指令している。後にニヴェル攻勢と称されることになったこの攻撃計画においては、一週間の準備砲撃に後に120万人の兵士が戦車と共に進撃することになっていた。 この時点ではドイツ軍が制空権を手中に収めており、ニヴェルの提唱した移動弾幕射撃の効果は思ったほどあがらなかった。 ヒンデンブルク線における堅固なドイツ軍防御陣地に突撃した兵士の多くが死傷した。 一週間の内に10万人もの死傷者が出た事実に加え、事前にニヴェルが成功を予告していた事が災いし、フランス軍部隊の間に不穏な空気が広がっていった。

5月3日にヴェルダン戦を戦ったフランス第2師団の一部が与えられた命令を拒絶し、酒を片手にして武器を放棄し始めた。 あまりに多くの命令拒否に直面した士官達は兵を罰する事ができず、厳しい処置はとられなかった。 反乱がフランス軍全体を襲い、合計54の師団において同様の事件が発生し、2万名の兵士が脱走した。

愛国心に訴え、環境の改善を図る事で、兵士を塹壕に戻らせる事には成功したが、兵士達が攻撃命令には従わないであろうことは明らかであった。 5月15日にニヴェルは解職されヴェルダン戦前半を指揮したフィリップ・ペタンがその後任に就任した。 フランス軍は翌年になっても防御的な戦略に終始し、攻勢計画は全てイギリス軍にゆだねている。

09-22-2

 6月7日にイギリス軍の攻勢がイーペルの南方のメシヌにおいて開始されたメシヌの戦い。 1914年の第一次イーペル会戦において占領されていたこの地を奪還するために、1915年から工兵がトンネルを掘り進めており、ドイツ軍陣地の直下に455トンもの爆発物が設置された。 4日間の砲撃の後にこの爆発物が点火され、1万人ものドイツ兵が死亡した。 さらに攻撃が続けられたが、陣地の奪取には失敗した。 折からの雨によって地面は泥にまみれており、双方の兵士に手ひどい消耗が生じた。

1917年7月11日、ドイツ軍は新兵器としてガス弾を使用した。 これまでに使用されていた塩素ガスは砲弾につめることができるほどの量では効果が薄かったが、ドイツではマスタードガスを開発し、これを砲弾に積載した。 マスタードガスは糜爛性を有しており使用後数日間は地表近くに堆積したため、兵士のモラルに影響を与えた。 連合国もドイツに続いてマスタードガスやホスゲンガスなどの毒ガスの使用を行った。

6月25日にアメリカ合衆国から初めての兵士が到着し、アメリカ合衆国遠征軍が組織された。 しかしアメリカ軍が塹壕に向かうのは10月の第1歩兵師団まで待たなければならなかった。 訓練を受けておらず、装備も貧弱であったアメリカ軍は当初は副次的な任務に従事している。 しかしアメリカの参戦によって英仏軍の士気は劇的に向上している。

さらにイギリスの同盟国である日本が、巡洋艦「明石」及び樺型駆逐艦計8隻からなる第二特務艦隊を派遣、後に桃型駆逐艦などを増派し合計18隻を派遣し、インド洋と地中海でイギリスやフランスなどが持つ世界各地の植民地からヨーロッパへ向かう輸送船団の連合国側商船787隻、計350回の護衛と救助活動を行った。

特に、1917年後半から開始したアレクサンドリアからマルセイユへ艦船により兵員を輸送する「大輸送作戦」の護衛任務を成功させ、連合国側の西部戦線での劣勢を覆すことに大きく貢献したものの、多くの犠牲者も出した。=当ブログ前作“地中海で戦った日本海軍”全10節にて詳細記載積み=

10月にイーペル付近で行われた戦闘はパッシェンデールの戦いとして知られている。 カナダ部隊および、長年の戦闘で消耗していたアンザック部隊は10月30日にパッシェンデールの村を占領した。 激しい雨によって土地は泥まみれとなっており、この戦闘は後に泥の戦いとして記憶されることになる。 これまで何度も見られたように、攻撃側は防御側に比べて極めて多い損害が生じた。 軟弱な地盤と砲弾穴によって補給はほぼ不可能であり、両者あわせて50万人もの兵士が死亡している。

09-22-3

☛ ☞   ❝ カンブレーの戦い ❞ 

イギリス軍は11月20日にカンブレーの戦いにおいて、世界初となる大規模な戦車の投入を行った。 イギリス軍の作戦は、第9歩兵師団の砲兵司令官ヘンリー・ヒュー・チューダーの構想から始まった。 1917年8月の時点で彼は准将であり、彼と指揮下の部隊が配置についたIV軍団の場所で、奇襲攻撃の着想を得た。 チューダー准将は歩砲連合を主とする攻撃を提案した。 またこの作戦は、ドイツ軍の保持するヒンデンブルク線の突破口を確保するため、戦車部隊で支援されうるものだった。

ドイツ軍の防衛力は恐るべきものであった。 カンブレーはそれまで前線における静かな区域であったため、チューダー准将の計画は砲兵と歩兵の戦法に重点を置いた兵科連合における新戦術を試み、強力なドイツ軍の防御陣地に対してこれらがどの程度効果的かを確かめようとするものだった。 チューダー准将は、音源標定(敵の砲位置を発砲音から推定する技術)の使用と、敵の砲に反撃しない「無言の標定」を主張し、即座の制圧射撃と奇襲を達成しようとした。

チューダー准将はまた、広大な有刺鉄線による防御を排除するために戦車の投入を試み、機甲部隊の支援として、榴弾の爆発によってクレーターができないように設計されたNo. 106榴弾信管を用いることにした。 2個師団のドイツ軍に対して合計324台もの戦車が使用された。 奇襲攻撃を重視したため、事前砲撃は行われず、煙幕をはって戦車の進撃をカモフラージュした。  塹壕と幅4メートルほどの対戦車壕を乗り越えるために、戦車の上面には木材が備えられていた。

第51スコティッシュ・ハイランド師団を除いた師団による攻撃は成功を収め、4ヶ月間のイーペル戦で占領できなかった地点までたった6時間で到達した。 損害は4,000名であり、攻勢計画としては極めて少ないものであった。

この攻撃によって形成された突起部は11月30日のドイツ軍の反撃で奪い返された。 しかし戦車の有用性がはっきりと認識され、これ以後の戦闘では戦車を中心とした戦術が採用される事になった。 一方ドイツ軍は、この戦闘で西部戦線としては初めて突撃歩兵による浸透戦術を使用した。 この戦術は第二次世界大戦に機甲師団が登場するまで、歩兵戦術の基本と見なされていた画期的なものである。

犠牲者は両軍ともに約45,000名である。11,000人のドイツ人と9,000人のイギリス人が捕虜として捕えられた。領土に関しては、ドイツ側は初期に被った失地の大部分を回復し、他の場所で僅かな領土を得たが、足し合わせても若干の失地があった。 この戦闘はイギリスにとっては、最も頑強な塹壕防御でさえ、新規に可能になった戦法と兵装を用いての奇襲的な歩砲連合の攻撃、そして追加投入された大量の戦車の攻撃をもって挑めば、乗り越えられることを示すものだった。

またドイツにとっては、当時ロシア軍に対抗するためにフーチェル将軍により開発されたばかりだった、突撃歩兵が行う浸透戦術の有効性を示すものだった。 これらの戦訓は、後に両軍によってうまく遂行された。 イギリスからの攻撃のショックからのドイツが復活したことはドイツの士気を高めた。

1918, France --- British tanks with trench-crossing equipment, advance with troops in support, during trench warfare in France during the First World War. --- Image by © Hulton-Deutsch Collection/CORBIS

1918, France — British tanks with trench-crossing equipment, advance with troops in support, during trench warfare in France during the First World War. — Image by © Hulton-Deutsch Collection/CORBIS

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