第一次世界大戦の轍=26=終節

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❢❢❢ パリ講和会議の終了後の世界 ❢❢❢

この会議で制定された一連の講和条約が結ばれ第一次世界大戦は終戦することになる。これ以降ヨーロッパにおいては「ヴェルサイユ体制」と呼ばれる秩序が、ロカルノ条約で修正されながらも、世界恐慌期後のファシズム勢力台頭まで続くことになる。また講和会議の結果成立した国際連盟や国際労働機関の設立、国際河川制度の確立などの国際協力の動きは現代にも大きな影響を与えている。

また会議で提起された軍縮問題は、ワシントン会議等で協議され、極東と太平洋には「ワシントン体制」と呼ばれる体制が成立した。しかし連合国間の均衡ある軍縮は達成できず、ドイツの武装解除によって大きな力の空白地が生まれたため、秩序維持のための連合国負担が増加することにもなった。また軍縮問題の協議は、やがて日本とその他の国の軋轢を生むことになる。

さらにこの講和会議の原則として提唱されながら、しばしばないがしろにされた「民族自決」・「民主主義」の概念は、世界において脱植民地化や民主化の動きを促進することになる。

☛ ☞  アメリカ

講和会議の中でウィルソンとランシング、エドワード・ハウスといった閣僚・側近との溝は広がり、条約批准という山場を迎える中ウィルソンは孤立を深めていくこととなった。

講和会議で成立した三条約に内包されている国際連盟規約10条には、加盟国が侵略を受けた際、アメリカを含む国際連盟理事会が問題解決に義務を負うと言う規定が存在し、アメリカ合衆国上院の外交問題委員会はこの条項に留保条件を付けることを主張した。
しかしウィルソンは妥協に応じず、上院での批准は成立しなかった。さらにウィルソンが脳梗塞で病身となったこともあり、1920年の大統領選挙では共和党のウォレン・ハーディングが民主党のジェイムズ・コックスを大差で破った。

ハーディングは国際連盟不加盟を決め、独自の講和条約=1921年8月11日の米独平和条約、8月24日に米墺平和条約、8月29日に米洪平和条約=を結んだアメリカは再びモンロー主義に回帰していくことになる。 陸軍・海軍・国務省では、山東問題や南洋諸島を獲得した日本への警戒が増加し、1920~1921年の建鑑競争を招くこととなった。

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☛ ☞  イギリス

戦争に勝利したものの、膨大な戦費によってイギリス経済は深刻な不況を迎えることになる。また膨大な人員を提供したイギリス帝国内の自治領の発言力が増大し、帝国は緩やかな連合であるイギリス連邦へと変化していくこととなった(バルフォア報告からウェストミンスター憲章)。イギリスは19世紀末から20世紀にかけ帝国の大衆化が進展し、1911年には議会の庶民院を貴族院に優越させる重要な取決めが合意されたばかりであった。

その直後に発生した第一次大戦による膨大な人的損失は貴族院の世襲議員の権威をさらに弱めた。ロンドンの大衆はウィルソンの理想主義に熱狂したが彼の掲げた民族自決や内政不干渉原則、秘密条約の廃止といった「新外交」の理念はイギリスの帝国維持に重大な脅威をもたらした。とくに民族自決という観点は、アイルランド自治問題アフガニスタン問題に直ちにつながり、インドの独立運動派に大きな影響をもたらすこととなる。

☛ ☞  フランス

 講和条約の結果、フランスはドイツの賠償支払いの大半を手に入れることとなったが、ドイツの支払いはスムーズに行われず、また賠償として流入するドイツの産品がかえってフランス国内の産業を圧迫することに繋がった。フランスは賠償金として1320億金マルクをドイツに請求し、約200億金マルクに相当する現物給付を受けていたが、現金での支払いをもとめ1923年1月11日にルール地方を占領した。この国家実行はドイツ国民の受動的ボイコット運動とハイパーインフレをまねきドイツ経済を破綻の淵に追いやったばかりでなく、ドイツの民族主義者を刺激しのちの大戦(第二次世界大戦)の重要な契機となる。

フランス政府はドイツからの賠償支払いを前提に大幅な赤字財政をとっており、賠償金の支払いが期待できないことが明らかになり始めた1923年以降、フランは為替相場で下落しインフレが昂進した。フランの下落はフランスの輸出産業を刺激し大戦後の好景気をもたらした。一方で大戦の教訓からフランス政府は金塊の備蓄政策を採用したため、このフランスの金塊の吸収がドイツ諸邦およびロンドンへの圧力となり1929年から始まる世界恐慌を悪化させる要因となった。

パリ講和会議で一応成立したフランスの安全保障構想は、アメリカの連盟不参加により、早くも見直しを迫られることとなった。フランスはポーランドやルーマニア・チェコスロバキア・ユーゴスラビア間の連合小協商に接近し、東からドイツを牽制した。また不戦条約を国際社会に提案し集団安全保障体制を強化した。

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☛ ☞  ドイツ

ドイツ側では講和条約に対する反発が根強く、受諾への動きを見せたエルツベルガーですら、「悪魔の仕業」と呼んでいた。ドイツの大半は戦火に巻き込まれなかったため、ドイツ一般市民には敗北感が薄く、さらにヒンデンブルクが議会証言で、革命派による「背後の一突き」によってドイツが休戦に追い込まれたと主張したことで、「不当な休戦」によってもたらされた「過酷な講和条約」に対する怒りはドイツ国民間に広く浸透した。

これを好機と見たヴェルサイユ条約の軍備制限に反対するヴァルター・フォン・リュトヴィッツ元ベルリン防衛軍司令官は、1920年3月13日にヴァイマル共和政打倒のクーデターを敢行するが、市民の支持は集まらず失敗した=カップ一揆=。しかし講和条約を受諾した以上、ドイツ政府は講和条約を実行する「履行政策」に勤めざるを得なかった。しかし賠償金支払いは困難を極め、インフレがじわじわと進行した結果に賠償金支払いが滞り、フランスのルール占領を呼び込むこととなった。ルール占領によってインフレーションは破滅的な規模に拡大し、ミュンヘン一揆等、左右両翼の暴動・反乱が相次いだ。

しかしグスタフ・シュトレーゼマン内閣以降はドイツ経済と政情も一時的に安定し、ロカルノ条約の締結と国際連盟加盟実現により、ドイツは事実上国際社会に復帰した。しかし世界恐慌以降は再び条約に対する不満が惹起され、ナチ党の権力掌握を招くことになる。

☛ ☞  イタリア

フィウーメを得られなかったイタリアでは、講和に対する反感が次第に強まり、 大戦の戦勝も「骨抜きにされた勝利」であると認識された。1919年9月12日、愛国派詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオらのグループがフィウーメを占拠し、イタリアへの併合を訴えた。国際関係悪化を恐れたイタリア政府は投降を求めたが、ダンヌンツィオらはフィウーメの独立を宣言した。その後イタリア政府の攻撃により、自由都市フィウーメを経てイタリアに併合された。この動きはベニート・ムッソリーニらのファシズム運動にも影響を与え、イタリアとユーゴスラビア間での領土問題はこの地域の不安定要因となった。

☛ ☞  ポーランド

パリ講和会議の結果、100年ぶりの独立を回復したポーランドだったが、住民投票で帰属を決定する地域ではドイツとの間で熾烈なプロパガンダ合戦や、武力抗争が頻発した=シレジア蜂起=。住民投票の結果、ポーランドはシレジアの工業地帯を手に入れ、ドイツにおける領土回復運動の目標となった。

☛ ☞  旧オーストリア=ハンガリー帝国

膨大な領土を失ったオーストリアは、深刻な経済不況に見舞われた。このため国際連盟による援助がいち早く行われ、賠償も免除されている。講和会議終了後の8月になってハンガリー・ルーマニア戦争は終結し、トランシルヴァニアの帰属はルーマニアに確定した。1920年3月に成立したハンガリー王国では失地回復を願う声が高まり、政権の右傾化が強まった。

独立を果たしたチェコスロバキアであったが、ドイツ・オーストリアとのズデーテン地方問題、ポーランドとのチェシン問題は後々まで紛争の原因となり、チェコスロバキア解体の遠因となった。

☛ ☞  バルカン半島

セルビア王国主導のユーゴスラビア王国樹立は列強によって事実上承認され、汎スラヴ主義者の念願が達成された。しかしクロアチア、モンテネグロ、マケドニア等ではセルビア人と王家カラジョルジェヴィチ家への反感が高まり、反政府蜂起や暗殺事件が頻発した。この地域の民族問題は第二次世界大戦とその後の不安定要因となり、ユーゴスラビア紛争が終結する21世紀まで尾を引くこととなった。

☛ ☞  旧ロシア帝国

内戦が続くロシアに対する列強の足並みはそろわず、シベリア出兵が行われたものの、ボリシェヴィキ政権のソビエト連邦成立を防ぐことは出来なかった。また旧ロシア帝国からのアルメニア、フィンランド、バルト三国の独立は承認されたものの、連合国がこれらに積極的な支援をすることはなく、アルメニアやバルト三国はソビエト連邦の圧迫を受け、独立を失うこととなった。

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☛ ☞  トルコ・中東

敗戦によって統一と進歩委員会政権は瓦解し、スルタンメフメト6世は連合国軍を利用して皇帝専制の復活を目論んだ。しかしムスタファ・ケマルらは1920年4月23日、アンカラ大国民議会を設置し、帝国政府に対抗した。帝国政府は8月10日にパリ講和会議の結果をふまえたセーヴル条約を締結したが、この過酷な内容は講和条約を受諾した皇帝に対するトルコ国内の反発を招いた。
1921年1月6日、コンスタンティノス1世率いるギリシャ軍は、さらなる領土を狙って進軍を開始した=希土戦争 (1919年-1922年)=。ムスタファ・ケマルらの大国民議会軍はギリシャ軍を圧倒し、1922年11月1日にはスルタン制が廃止され、トルコ共和国が成立した。連合国は新たな講和条約締結する必要に迫られ、1923年7月24日にローザンヌ条約を締結した。トルコはセーヴル条約で失った領土の内東トラキアを回復し、ギリシャとの住民交換を行われ、民族問題が緩和された。
またオスマン帝国の支配地であったシリア・レバノン・メソポタミアはサイクス・ピコ協定通り英仏に分割され、その治下で民族主義者が新たな政権樹立をめぐって争うこととなる。

☛ ☞  日本

パリ講和会議の結果、日本は正式な列強の一つと数えられるようになった。しかし山東問題での対応は、アメリカの警戒を招くことになった。ワシントン会議ではアメリカの主張で日英同盟は廃止された。国際外交の理念や手段が激変する1920年代から30年代にかけて、国内与論や大衆、軍隊や官僚組織への指導力に欠けた日本の内閣及び議会政治は国際連盟での協調に失敗し孤立化の道を歩むことになる。

☛ ☞  中華民国

中華民国は山東問題の扱いを不服としてヴェルサイユ条約を調印せず、1922年5月15日に中独平和回復協定を締結してドイツと講和した。またヴェルサイユ条約を不服とする民衆が大規模な抗議運動=五四運動=を起こし、日貨排斥を訴える動きが広がった。対日感情は山東還付の後も改善されず、日本問題が中国における国権回復運動の主要な目標とみなされるようになる。

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☛ ☞  今も残る大戦の遺産 “ヒットラー”

第1次大戦は、あるオーストリア出身の流れ者の人生に意味と方向性をもたらした。その20年後には彼は欧州で第1次大戦以上に大きな虐殺に及んだ。

開戦前には無名だったアドルフ・ヒトラーは、戦争なくしては無名のままだったことだろう。美術学校に不合格となった後はホームレスにまで転落したヒトラーだったが、その後は水彩画を描くことでかろうじて生計を立てた。

ヒトラーの伝記の著者、カーショー氏は「戦争の経験、敗北の屈辱、革命の大変動がなければ、失望したアーティストで社会からの脱落者が政界入りし、伝道者やビアホール調のデマゴーグとしての得意分野を見いだすことでその人生を過ごす方法を発見することもなかっただろう」と記している。

敗戦によってドイツの政治は過激化し、熱狂的愛国主義者による憎悪が広がった。ドイツの敗北後の混乱のなかで、ヒトラーは自身がこうした分野で本領を発揮できることを発見した。特に、ユダヤ人がドイツ帝国の敗北と崩壊の原因だと主張して彼らに怒りをぶつけたことは、スケープゴートを求める国家主義者の間に反ユダヤ主義を燃え上がらせた。

時勢と扇動の才能、さらにベルサイユ条約に向けられた怒りの組み合わせは、1920年代半ばまでにヒトラーをドイツの極右勢力の間で圧倒的存在に押し上げるのに十分だった。しかし、ナチスはドイツの経済や民主主義の安定化が続けば末端の運動にとどまったことだろう。28年のドイツの選挙では、ナチス党の得票率はわずか2.6%だった。

大恐慌によってナチスは一大勢力へと台頭した。ワイマール共和国は、敗北の中で誕生した汚名のらく印が残り、自国のエリートからの支持に乏しかった。彼らはヒトラーが共和国を破壊するままにした。

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===== 続く =====
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