登山家・ラインホルト・メスナーの横顔=01/4=

=ラインホルト・メスナー(イタリア)=

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  ラインホルト・メスナー(Reinhold Messner, 1944年9月17日 - )は、イタリア・南チロルの登山家、冒険家、作家、映画製作者。1986年に人類史上初の8000メートル峰全14座完全登頂(無酸素)を成し遂げたことで知られる。

 

イタリア北部のドイツ語圏である南チロルブレッサノーネ近郊のフーネス(ドイツ語名: フィルネス)に生まれる。父親は教師で、7人の兄弟と1人の姉妹と共に大家族で育った。

十代の頃から東アルプスで500回を超える登攀をこなし、1966年、22歳のときにグランド・ジョラス北壁(ウォーカー側稜)を攻略。1969年三大北壁の中でも最も難易度が高いとされるアイガー北壁を当時の世界最短記録で攻略。5年後の1974年にも再びアイガーを攻略し、ペーター・ハーベラーとともに自身が持つ世界最短登頂記録を更新した。

1970年ナンガ・パルバット登頂を皮切りに17年の歳月をかけて1986年には人類史上初となる8000メートル峰全14座完全登頂に成功した。その間に1975年に、ガッシャーブルムI峰でハーベラーとのコンビで世界で初めて8000メートル峰をアルパインスタイルで登頂。1978年、ナンガ・パルバットで世界で初めて8000メートル峰をベースキャンプから単独・アルパインスタイルで登頂。

さらに同年、ハーベラーとのコンビで人類初のエベレスト無酸素登頂に成功。2年後の1980年には途中、一度クレバスに転落する事故を乗り越えてエベレスト無酸素単独登頂の偉業を成し遂げた。

1982年にはカンチェンジュンガガッシャーブルムII峰ブロード・ピークという8000メートル峰を1年の間に次々と登頂。チョ・オユーにおける同年の厳冬期登頂には失敗したものの、翌年春に再挑戦し頂上に到達している。1984年には世界初のガッシャーブルムI&II峰縦走に成功した。

また、登山以外でも、グリーンランド南極大陸1990年に92日間をかけ走破)、ゴビ砂漠タクラマカン砂漠の横断を成し遂げている。

 

2005年9月、1970年ナンガ・パルバット登攀の際に遭難した実弟のギュンター・メスナーの遺体が発見された。 ラインホルトはギュンターと共にこの登山に臨んでおり、一部では弟の遭難死の原因を作ったのではないかと非難されていた。

これに対しラインホルトは弟の遺品が自分の仮説通りの地点で発見されたことで、その疑いは晴れたと訴えた。なお、ラインホルト自身もこのナンガ・パルバット遠征中に、重度の凍傷に罹り足の指を7本切断している。 弟の遺体は家族の立会いの下、地元の村で火葬された。

現在はトレンティーノ=アルト・アディジェ州の名誉市民となり、自身が所有する13世紀頃に建築された城で生活している。

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 裸の山・ナンガ・パルバート 

20世紀の最も先鋭的な登山家として知られたラインホルト・メスナーが、世界第9位の高峰・ナンガパルバット(8,125m、パキスタン)の第2登をした登頂記『裸の山・ナンガ・パルバート』(山と渓谷社、平井吉夫訳)を斜め読みしながら・・・・・。

高度差4500mという世界最大の壁を持つ山・ナンガパルバットを登ることはものすごく難しいことと思われていた。 事実、初登頂されるまでに31人もの命を奪い「魔の山」とか「人食い山」という呼び名を与えられたナンガパルバットは、1953年になってようやくチロルの天才クライマー、ヘルマン・ブールによって登られた。

※;「ナンガ・パルバット」はウルドゥー語で「裸の山」の意味で、その周囲に高い山が無いことに由来する。nangaナンガとは、サンスクリット語でnaked、bareの意である。

南側のルパール壁は標高差4,800 mと世界最大の標高差を誇り、また屈指の登攀難壁(初登攀はラインホルト・メスナーとギュンター・メスナーである)。 西側のディアミール壁も困難な壁である。 南西稜は「マゼノリッジ」と呼ばれ、13kmの間に7000m峰を6つ、6000m峰を2つ含むヒマラヤでも最大級の稜線となっている。

ヘルマン・ブールが1953年7月3日に初登頂するまでにドイツ隊が何度も挑み、多くの遭難者を出したことから「人喰い山」と恐れられた。 2013年にブロードピークの冬期登頂が達成されたため、現在、冬季登頂に成功していない8000m峰はナンガ・パルバットとK2のみとなっている。=山岳辞典より=

 

ラインホルト・メスナーは、ナンガ・パルバットの攻略のとき単独無酸素、無装備ビバークという信じられない方法で初登頂したのです。

しかも単独だから誰も初登頂を信じる者はいないだろうと、証拠として命の杖ともいえるピッケルを頂上に残し、それ無しでベースキャンプまで戻って来ている。

 

登山家は一度誰かに初登頂されると、まだ誰の侵入も許していない別な処女峰に関心が移るものだが、ナンガパルバットはすこし違った事情があった。 ブールの初登頂後も、一人のドイツ人を中心にずっと攻撃され続けたのである。

ブール初登頂のときも遠征隊長を務めたカール・ヘルリヒッコファーがその人である。 彼は1934年にナンガパルバットで遭難死したウイリー・メルクルの義弟に当たり、「ドイツ人にとって怨念の山ナンガパルバット」の全部を征服したいという復讐心に燃えた、いささか偏執狂的執念に取り憑かれた人物だった。

しかし、自らは登山経験のないヘルリヒッコファーは、もっぱら有能なクライマーを募って登頂させ、自分は彼らの体験を本などに出筆させることで義兄の復讐劇を完成しようと目論んでいたのだ。 鵜飼いの鵜匠のように手下の鵜が獲った獲物を頂くという計画を考えていた。

だが、いざ現地に来ると山の経験のないヘルリヒッコファーは、トンチンカンな命令を出して現場を混乱させた。 アタックキャンプで登る気満々で待機するブールに撤収命令を出すのである。 だが、「登れる」と判断したブールは、命令を無視して単独でアタックし、初登頂に成功してしまうのだ。

結果としてそれで遠征は成功したのだが、ブールは隊長の命令を無視したことを問われ、帰国後二人の関係は険悪なものになっていった。 その後、ブールは自伝「8000mの上と下」でこのときの経緯を書いていて、まだ岩登りに夢中だった小生たちは、能力が無いくせに上役ツラをする人を見ると「ヘルリヒッコファーだ」とあだ名を付けて呼ぶほど無能で評判の悪い人というイメージが出来上がってしまっていたのです。

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 初登頂はしたものの、ブールはドイツ人ではなく、オーストリア人だったし、自分に対する評判も芳しいものでないことを気にしたヘルリヒッコファーは、「自分のコントロール下」に置かれた登攀を完成させようと、その後も再三ナンガパルバットの再登頂を目指すのです。

そしてラインホルト・メスナー兄弟が参加した1970年のドイツ、オーストリア合同隊の年がやってきた。 この時も同じ問題が起こったのである。 オーストリア人であるメスナーが、最終アタックキャンプ(C5)で登頂隊のためのフィックスロープを設置せよというヘルリヒッコファー隊長の命令を無視して、単独で頂上アタックに出発してしまうのだ。 ザイルもビバーク用ツエルトや寝袋も持たずにです。

ところが、彼が出発してしばらくして、ラインホルトの弟、ギュンター・メスナーが「俺も行く」とフィックスロープ作業を放り出して兄の後を追いかける。 前代未聞の兄弟命令無視です。

 

ほぼ垂直に近い岩と氷の大岩壁の最終部分での登攀がどんなに困難なものかは、我々には分からない。しかし、メスナーの文章を読むと、読者はまるでナンガパルバットの大岩壁で実際に岩を攀じ、固い氷壁にアイゼンのツアッケ(爪)を食い込ませながらじりじりと登っていく臨場感溢れる場面のなかに放り込まれてしまう。 しかも、その場所は地上と比べて酸素が3分の1しかない標高が8000mの苛酷な場所である。・・・・・・・・・

 

薄い酸素で高山病の幻覚に悩まされながらも、兄弟はナンガパルバットの頂上に達した。 しかし、ここで彼らは不思議な判断をする。今まで登って来たルートを戻るのではなく、全然知らない西側の壁を降り始めるのだ。

そちらはディアミール大岩壁と言われ、4500mものものすごく急峻な壁が落ち込んでいる場所である。そして、彼らは岩壁の下降で絶対に必要なザイルを持っていないのだ。山をやっている人ならほんのちょっとした岩場でもザイルがないと、登りより下りの方がはるかに難しいことは知っているだろう。それなのにマッターホルンの北壁を4つ重ねたほどの高さがある大岩壁をザイル無しにどうやって下ろうというのだろうか。

自分たちが登ってきたルートを戻れば、アタックキャンプもあれば、寝袋も食料もある。 フィックスロープで安全に下ることができるだろう。 だが、ディアミール壁にはそんな物もないし、仮に下降できても下で彼らを暖かく迎えてくれる人もいないのである。

しかし、高山病の幻覚で正常な判断力を失っている弟ギュンターが「こっちの方が下るには楽そうだ」という言葉にラインホルトも従ってしまう。

彼らは危険なルビコン川を渡ってしまったのだ。 下降は困難を極め、すぐに夜がやって来た。 ツエルト無しにマイナス40℃の極寒をやりすごすことはさしものメスナーでも難しかったようだ。 あまりの寒さに体を動かさないと凍り付いてしまいそうになり、ついには危険な夜間も下降を続けることにするのである。

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===== 続く =====

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