登山家・ラインホルト・メスナーの横顔=03/4=

=ラインホルト・メスナー(イタリア)=

【ラインホルト・メスナー氏のホーム・ページ;動画・写真・私設山岳博物館】

http://www.reinhold-messner.de/

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【ラインホルト・メスナー氏、8000メートル峰14座の登頂記録】/ 全て無酸素で登頂

その他の登頂(抜粋)

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★  ラインホスト、メスナーは真の「超人的アルピニスト」か。 その一 

2005年7月20日  松浦 剛のコラムより・・・・・・・

1、はじめに

ラインホスト、メスナーはイタリアの登山家で現代最高のアルピニストと言われているが、はたして本当だろうか。しかし現在の山好きな人々から見たらメスナーが世界最高のアルピニストである事に何の依存があるだろうか。

メスナーは初めてエベレストを無酸素で登り、エベレストを初めて単独で登った「超人」であり、初めてヒマラヤの8000峰14座を全て登るという記録も持っている。 またヒマラヤの8000m峰の壁4つを初登攀している。

世界七大大陸の最高峰も世界で始めて極めようとしたが、残念ながら他の人に先んじられてしまった。こうした一般的に偉大な記録保持者であるメスナーは確かに世界最高のアルピニストであることに依存はない。

しかし私はイタリアのアルピニスト「ワルテル、ボナティー」が50年前にアルプスの岩壁で行った、時代に先駆けた究極の登攀活動に比べ、また近代のアルピニズムの「より困難への兆戦」と云ううたい文句より評価した場合、メスナーの記録は何か物足りないと言う疑問を持っていた。

この疑問は日本の偉大なアルピニスト小西政継の本を読んでから、いっそう強まった。 小西政継はメスナーを余り認めていないからだ。 以下にメスナーの登攀記録と日本の代表的アルピニスト“山田昇”と“山野井靖史”のヒマラヤにおける登攀記録をピックアップして考えてみたい。

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 2、ラインホスト、メスナーの登攀記録 

 ヒマラヤにおけるメスナーの登攀記録は以下の通りである。

 1)、8125mナンガパルパットのルパール壁の初登攀(1970年)

2)、8163mマナスル南壁の初登攀(1972年)

3)、8068mヒドンピーク南西壁の初登攀(1975年)

4)、8125mナンガパルパットのディアミール壁単独初登攀(1978年)

5)、8848mエベレストの無酸素における初登頂(1978年)

6)、8848mエベレストの単独における初登頂(1980年)

7)、世界で初めて8000m峰14座全てに登頂

 以上であるが8000峰の難易度の高い以下のバリエーションルートの登攀には失敗している。

 1)8481マカルーの南壁に敗退

2)8516mローツェの南壁に敗退

3)8167mダウラギリの南壁に敗退 

 以上がメスナーの最も力を注いだ登攀活動の結果である。 此れを見るとバリエーションルートとして開拓したルートはナンガパルパットのルパール壁とマナスルの南壁、ヒドンピークの南西壁、ナンガパルパット、ディアミール壁の4本である。 

 その他はいずれも一般ルートの単独登頂と無酸素登頂であり、決して当時の記録としても「より困難な究極の登攀」とは言いがたい。 もし敗退した3つの壁のどれかを初登攀していれば素晴らしい記録であるが、成功した4つの壁は決して当時初登攀された他の8000m峰のバリエーションルートと比較して難易度の高い壁ではない。 

 しかし難易度は余り高くないが8000m峰であるナンガパルパットのディアミール壁を、世界で初めて単独でアルパインスタイルの登攀で登り切ったことは時代に先駆けた特記すべき事である。 しかしこの壁はかってルパール壁初登攀のとき下山路に利用しており、氷壁の傾斜も緩くそれほど困難な壁ではない。 

 メスナーが活躍した当時、他のアルピニストにより初登攀された8000m峰のバリエーションルートは以下の様なものがある。 

1)、8078mアンナプルナの南壁の初登攀(1970年)イギリス

2)、8481mマカルーの西稜の初登攀(1971年)フランス

3)、8125mマナスルの西壁の初登攀(1972年)日本

4)、8848mエベレストの南西壁の初登攀(1975年)イギリス

5)、7710mジャヌーの北壁の初登攀(1976年)日本

6)、8597mカンチェンジェンガ北壁の初登攀(1980年)日本

7)、8848mエベレストの北壁の初登攀(1980年)日本

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  以上メスナーが活躍した1970年~1980年の記録であるがいずれも難易度が高いルートであり、考えてみるとメスナーの登攀は初期の4つの壁の初登攀以外は一般ルートに味付けしたもので、バリエーションルートの困難な初登攀や厳冬期の厳しい登攀など困難な山のバリエーションルートの登攀はない。 

 メスナーが大きな嶮しい壁や稜の、より困難なバリエーションルートを初登攀出来なかったのには理由があると思う。 メスナーは初登攀したナンガパルパットのルパール壁の登攀でパートナーの実弟をディアミール壁の下山時に遭難で亡くし、その行動が隊の方針にそむくという事で、隊長から責められ訴訟を受け法廷に立たされた。 

 次のマナスル南壁の初登攀時はパートナーがバテて動けなくなり、すでにルートも易しい雪の斜面のみなのでパートナーの了承を得て単独で山頂に至ったが、帰路パートナーを見つけ出せずアタックキャンプに戻るが、探しに行った隊員も戻らず、2人の隊員を遭難で亡くしてしまう。 

 厳しいヒマラヤの8000峰の初登攀ではやむおえない事ではあるが、個性も強く、力も有ったメスナーはこうした経験より登山隊に属する事が合わず、8000m峰を単独で登ることを考えるようになった様だ。 

 こうした事からメスナーは大きなパーテーに属す事を嫌い、小パーテーで登攀することが多くなり、大きな壁は狙えなくなったものと思う。 単独や小パーテーで登れる壁は傾斜の緩い氷壁でなければならない。 以上の様な事を考えるとメスナーの最終到達点はエベレストの単独登頂であったと思う。

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===== 続く =====

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