登山家・ラインホルト・メスナーの横顔=04/4=

=ラインホルト・メスナー(イタリア)=

【ラインホルト・メスナー氏のホーム・ページ;動画・写真・私設山岳博物館】

http://www.reinhold-messner.de/

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ラインホスト、メスナーは真の「超人的アルピニスト」か。 その二 ★

2005年7月20日  松浦 剛のコラムより・・・・・・・

2、日本人2人の登攀記録

山岳同志会、群馬山岳連盟の素晴らしいヒマラヤでの活躍があるが此処ではアルピニストを二人に絞って登攀記録を整理してみたい。 二人とは“山田 昇”と“山野井泰史”であるがメスナーとほぼ同時代に活躍した山田昇とスタートに20年の開きのある山野井泰史では記録の評価は異なるが、登攀記録を比較してみたい。 日本における世界レベルの登攀の代表としては、小西政継の山岳同志会の活躍と、群馬山岳連盟の山田昇、そして単独登攀の山野井靖史の活躍が上げられる。

3-1山田 昇の登攀記録

私は山田昇こそ日本最高のアルピニストであると思っている。 記録、人格、アルピニズムに対する考え方、いずれを取っても素晴らしいアルピニストである。 お金に恵まれなかった山田昇が此れほどまでの記録が築けたのも、その人格の良さに多くの人が引き付けられたからに他ならないと思う。 メスナーの個人主義に対し、山田昇のパートナーやパーテーを大切にする思いやりは、対照的かもしれない。以下に山田昇の登攀記録を示す。

1)、8167m峰ダウラギリの南東稜の初登攀(1978年)

2)、8167m峰ダウラギリの北壁ペアルートの初登攀(1982年)

3)、8516m峰ローツェの西壁の初登攀(1983年)

4)、8078m峰アンナプルナの南壁の冬期初登攀(1987年)

5)、8611m峰K2の南東稜の第3登無酸素での初登攀(1985年)

6)、1985年と1988年は1年間で8000m峰を3回登り、世界的にも珍しい。

7)、10年間で8000m峰を12回登り、8000峰を9座登る。

8)、1988年には5大陸の最高峰を世界最速のわずか5ヶ月(135日)で登っている。

9)、1988年にエベレストを北稜から南東稜へ世界で初めて縦走する。

以上であるが山田昇が最初に初登攀したダウラギリの南東稜はアメリカ、ヨーロッパの多くのアルピニストの攻撃を退け、遭難者も出し「自殺ルート」と呼ばれていた大変困難なルートである。 メスナーもこのルートを狙ったが登れなかった。

アンナプルナの南壁は1970年にイギリスのクリス、ボニントン隊が初登攀したルートの第2登となるが、ヒマラヤの厳しい冬期の初登攀である。 世界第二の高峰K2の南東稜も第3登ではあるが、初めて無酸素で登っており、メスナーはこのルートでなく、一般ルートとされるアブルッツ稜よりK2を登っている。

山田昇の4つの初登攀はメスナーの4つの初登攀より登攀ルートのレベルは高いと考えられる。 山田昇はメスナーと異なり、ヒマラヤの8000峰の壁や稜の初登攀を狙い多くの山行をしており、一般ルートと異なり登頂率は実に低い。 しかしそうした中でも8000m峰を12回も登り、9座に登頂している事は驚きである。

1年間で3回も8000m峰を登頂したのも、メスナーと他に数人しかいないであろう。 山田昇は若くしてマッキンレーで命を落としてしまったが、メスナーのように長く登山活動が出来れば、より素晴らしい記録を残したかもしれない。

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3-2山野井靖史の登攀記録

山野井靖史のヒマラヤにおける登攀活動は1992年のアマダムラム西壁がスタートで、メスナーや山田昇より20年あとになる。 20年の開きは登山方法、登攀技術、装備などあらゆる点で先の2人より有利な状態にあるので、その記録を同一に比較する事は出来ない。 山野井靖史の登攀記録を以下に記す。

1)、6812mアマダムラムの西壁の単独初登攀。(1992年)

2)、8201mチョーオユー南西壁新ルートの単独初登攀。(1994年)

3)、8550mK2峰の南南東リブの単独初登攀。(2000年)

4)、7952mギャチュン、カンの北壁の単独初登攀、第2登でもある。(2002年)

5)、8047mブロードピーク登頂(1991年)

6)、8034mガッシャブルム2峰登頂(1993年)

以上が完登した記録であるが、以下に敗退した記録を示す。

1)、7925mガッシャブルム4峰の東壁で敗退

2)、6473mメラピークの西壁、5700mで敗退。

3)、8463mマカルーの西壁、7300mで敗退。

4)、8163mマナスルの北西壁、6100mで敗退。

山野井靖史はスポンサーを持たず、自分で稼いだお金で自分の好きなスタイルの山登りを追及したアルピニストで、金銭的には大変苦しい登山活動であった。 このために登攀記録の数は少ないが、いずれも困難なヒマラヤのバリエーションルートにチャレンジしギリギリの登攀をしている。 =スポンサーが付くという事は、登山内容にも条件がつき完全に自由な山登りが出来ないので、一般にスポンサーは付けたくないが、大きな登山計画の場合1回限りの条件で協賛してもらう事がある。=

ヒマラヤでの大きな壁8回のチャレンジに対し4回単独初登攀しており、立派な記録であり、また山野井靖史はヒマラヤ以外でも世界の困難な岩壁も数多く単独登攀している。 ヒマラヤの壁は山が大きいので全てが垂直なところはなく、平均45~65度の傾斜の氷壁に所々岩場が混じるもので、単独で登る場合はスピード、ビレーを考えると、岩場は大変不利であり氷壁の多い壁が狙い目となる。

現状では大きな岩壁のあるヒマラヤの8000m級の山の壁は危険が多く無理であろう。 ヒマラヤの8000m級の高峰の壁を単独登攀することはリスクが大変大きく、何回もチャレンジすれば何時かは命を落とす事となる。

ギャチュン、カンの登攀では命からがらに下山出来たが、一歩間違えれば遭難は免れなかった登攀であった。 ギャチュン、カンの登攀により凍傷で指を切断した山野井靖史にこれ以上危険な登攀をさせない為に神が与えた試練かもしれない。

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4、 メスナーは真のアルピニストであり超人か。

以上3人のアルピニストの記録と概略を記してみたが、世界にはまだまだ遥かに優れたビックウオールの登攀記録を持っているアルピニストがいる。 メスナーは金を出してくれるパトロンが居たり、多くのスポンサーに金を出してもらい多くの山を登ったが、山を商売として利用もしてる。

純粋に自分のためにより困難なルートに挑戦する真のアルピニストの姿からすると少し外れているような気もする。 しかしメスナー自身は何時も自分の為に登攀していると自己主張している。 初期の初登攀にしても決して日本の2人のアルピニストと比べ秀でているとは思えないし、記録の中心となるエベレストの無酸素初登頂も、エベレスト単独登頂も一般ルートから行ったもので、時代にショックを与えるほどインパクトはないが、その体力は「超人」と云うに相応しいかもしれない。

その意味では超人である事には間違いはない、しかし戦前のイギリスのアルピニスト達が現在から80年も前に8600mまで無酸素でエベレストを登っていることを考えると、装備、高所医学、登攀技術の発達した現代において、メスナーのチャレンジは並外れた革新的なものではないと言えるのではないか。

時代の最先端を行く者は必ず世の中から誹謗される、世界最強と言われたイタリアのアルピニスト“ウヮルテル、ボナッティー”はその最大の被害者だ。 ボナッティーは余りに時代に先駆けた登攀をし過ぎて、危険で常識はずれのアルピニストとマスコミや登山界から誹謗され続けた。

その為に最後は35歳の時、当時究極の登攀といわれた、マッターホルン北壁の厳冬期単独ダイレクトルートの初登攀という誰もが考えても見なかった登攀を行い、わずか36歳で登山界を去って行った。

この点を考えるとボナッティーは決して名声を求める為に登攀をしては居ない、名声をえて山で金を稼ぐ事を嫌ったボナッティーは、山は商売の道具ではなく人生の道場と考えていた。 故にまだ登れる最高の時に引退をしてしまう。 アルピニズムが商売になっている現在、純粋なアルピニズムを追及するのであれば山野井靖史のように自分で稼いだ金で山を登ることが大切になる。

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その点メスナーは記録にもあるように決して時代に先駆けた、感動的な登攀は余りしていない、エベレストの無酸素登頂も単独登頂も一般ルートから行われたもので、単に記録に挑戦したに過ぎないという考えもある。

8000m峰14座総てを登ったのも記録を作る意味合いが大きい。 メスナーは記録と云う分かりやすい点でマスコミを味方にして自分の名声を上げ、マスコミに売り込み商売をし、むしろマスコミを味方にした。 時代に先駆けた登攀がマスコミに理解されず、「危険、邪道、」とマスコミから誹謗された革新的な登攀を数多く行ったボナッティーとは大きく異なる。

アルピニズムにおける登攀記録とは「いかに革新的で困難なバリエーションルートを開拓したか」にかかっている、ボナッティーは山を商売に使う事を最も嫌がったアルピニストである。 こうした考えから見るとメスナーの商売がらみの山登りは多くのアルピニストから嫌がられ、ねたまれている事も事実である。登攀回数なども全てを自分のお金で山登りをした山野井靖史とパトロンを持ち、スポンサーを付け、マスコミと商売をして裕福なメスナーとでは比較にならない。

しかし私は登山回数こそ少ないが、山登り一筋に打ち込んだ山田昇や山野井靖史の登攀記録のほうが感動を受ける。 私は世界の多くのアルピニストの本を読んでいるが、メスナーの本には余り感動は受けなかった。

50歳を過ぎ第一線から身を引いたメスナーが「最近のアルピニストは記録のみを追い求めている。」と批判的な言葉を言った時、私の最も尊敬するボナッティーは以下のように云っている。 「記録を追い求めたのはメスナー自身であり、その影響を多くのアルピニストが受けている、その責任はメスナー自身にある。」

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5、おわりに

こうしてみると難易度は低いがメスナーは4回もヒマラヤの壁を初登攀し、無酸素でエベレストに登頂し、単独でエベレストに登頂している。また世界で初めてアルパインスタイルで単独で8000m峰の初登攀もしているスーパースターである事には違いないが、やはりその当時として世界で最も困難な壁にはチャレンジしていない事が気になる。

大きな壁を登る為にはパーテーが必要であり、自己主張の強いメスナーにはパーテーに入る事が無理だったのかもしれない。 かといってエベレスト登頂以外単独での素晴らしい登攀記録もない。

メスナーと同時代には、エベレスト南西壁の登攀隊長“クリス・ボニントン”、ヒマラヤビックウォールのチャレンジャー“ダグ・スコット”、8000峰の壁の単独登攀者“トモ・チェセン”、大変困難なヒマラヤの多くの壁を登攀している“イェジ・ククチカ”、イタリアの“レナード”、“カーザレット”など素晴らしいアルピニストが居るがこれらの資料が手持ちになく、今回は比較できず残念である。 次回資料が集まれば、世界の登攀記録を纏めてみたい。

・・・・・・・・・と転記させてもらいました。

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=参考資料=

  • 横川文雄訳『第7級:極限の登攀 技術=トレーニング=体験』(山と渓谷社,1974年)
  • 岡沢祐吉訳『マナスルの嵐』(二見書房,1978年)
  • 横川文雄訳『挑戦:二人で8000メートル峰へ』(山と渓谷社,1978年)
  • 横川文雄訳『大岩壁:その歴史・ルート・体験』(山と渓谷社,1978年)
  • 横川文雄訳『エヴェレスト:極点への遠征』(山と渓谷社,1979年)
  • 横川文雄訳『冒険への出発:五大陸の山々で』(山と渓谷社,1979年)
  • 横川文雄訳『ナンガ・パルバート単独行』(山と渓谷社,1981年)ISBN 4-635-04706-7
  • アレッサンドロ・ゴーニャとの共著,尾崎二治訳『K2-七人の闘い』(山と渓谷社,1982年)ISBN 4-635-31807-9
  • 尾崎二治訳『死の地帯』(山と渓谷社,1983年)ISBN 4-635-17805-6
  • 横川文雄訳『チョモランマ単独行』(山と渓谷社,1985年)ISBN 4-635-31808-7
  • 横川文雄訳『生きた、還った:8000m峰14座完登』(東京新聞出版局,1987年)ISBN 4-8083-0251-9
  • 松浦雅之訳『ラインホルト・メスナー自伝:自由なる魂を求めて』(ティビーエス・ブリタニカ,1992年)ISBN 4-484-92124-3
  • 黒沢孝夫訳『マロリーは二度死んだ』(山と渓谷社,2000年)ISBN 4-635-53811-7

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===== 続く =====

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