登山家ジョージ・マロリーの横顔=05/9=

=ジョージ・マロリー(イギリス)=

 The Legend of Malloru & Irvine

 https://youtu.be/dd1DwzZXRZU

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   マロリーとアーヴィン  

マロリーは牧師の子として生まれ、その風采は極めて優れており、整った顔立ちに洗練された雰囲気を漂わせていた。 モデルを頼まれる事もあった。 彼は非常に神経質なタイプで自身たっぷりだったかと思うと、心許なくなって沈み込み、感情の振幅が激しいところがあった。 だが、登山家としても卓越した能力を持っており、山に向かって足を運ぶその軽快な足取りは、誰にも真似できないものだった。 だが、もっとも優れていたのは彼の魂であった。

彼の意志力は尽きる事がなく、何かやるべき事があれば、何時でも行動に移す用意があった。 誰よりも早く行動し、夜も空けきらない早朝に出発する事も度々であった。 マロリーは愛すべき人格の持ち主であったが、せっかちで、行く先々で所持品をばら撒いていくという欠点もあった。

マロリーのもっとも優れていたものは、その魂であった。 彼の意志力は尽きる事がなく、何かやるべき事があれば、何時でも行動に移る用意があった。 彼は誰よりも早く行動し、出発する時は夜も明けきらない早朝だった。 遠征隊の隊長ノートンはマロリーの事を「不屈の精神を持った男であり、チャンスがある限りは敗北を認めない」と評している。 しかし、その一方で「彼は愛すべき人物だったがせっかちで、行く先々で所持品をばら撒いていった」とも述べている。

確かに マロリーは登山家としては際立った能力を持っていたが、管理能力はなかったようだ。 目の前の物事に集中すると、決まって大事な物を忘れてくる傾向があった。 最後の忘れ物の中にはコンパス・夜間用ランタン・懐中電灯がある=荷物になるので置いていった可能性もあるが、このランタン・懐中電灯を携帯していれば遭難は避けられていたかもしれない=。

マロリーは過去2回、エベレスト遠征隊に加わって、登頂に失敗している。 3度目となるエベレスト挑戦時、マロリーはもうじき39歳となる年齢であり、肉体的にもこれが最後の機会である可能性が高かった。 それに彼は、このエベレスト登頂に人生の意義を見出していた。 そのため、彼は並々ならぬ決意でエベレストに向かっていった。

 

アーヴィンは裕福な家庭に生まれ、少年の頃からバイクの旅をするなど生来の冒険家であった。 彼には登山の経験は少なかったが、機械に極めて強い点と抜群の体力を買われて21歳の若さで遠征隊に加えられている。 若さゆえの生意気な行動を取る事もなく、常識心に富んでいた。

長身で顔立ちが良く、肩幅の広い青年であった。 1924年の第三次遠征隊の中では最年少でありながら、彼が発揮した仕事能力は大変なものだった。 昼間、氷河で作業して疲れ切った後でも、テントの中で道具類を広げ、壊れやすく扱いにくい酸素器具の改良に取り組んだり、遠征隊の修理屋を勤めたりもしていた。 彼はこの作業を皆が寝静まった後も、だいぶ遅くまで続けていた。

彼は、生来の冒険家であり、高い理想を抱く好青年だった。 まだ22歳になったばかりの若者だったが、肉体的にも精神的にも大人であり、年長者に対して控え目な態度を取りながらも、大人として行動していた。 高い理想を抱いており、シェルパに対しても礼儀正しく接していた。

年長者の中にあって控え目な態度を取りながらも、大人として行動しており、皆が彼を尊重した。 マロリーとアーヴィンは共に理想主義で子供っぽいほどの無邪気さがあり、2人は出会ってすぐに意気投合する。 マロリーの事をジョージと呼ぶほどの仲になる。

マロリーの方が10年以上も年長であったが、2人は対等の親友となった。 遠征隊の記念写真が残っているが、2人は隣同士で写っている。そして、写真に写るアーヴィンはいつも陽気に微笑んでいる。

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 マロリーとアーヴィンの挑戦

マロリーは、エベレストへのアタック隊にベテランのオデールを選ぶという選択肢もあったが、このアーヴィンを指名している。 これは、アーヴィンの若さ、体力、機械に対する知識、そして、2人の深い信頼関係を買ったものだろう。 

 後ほど その詳細を述べるが、1923年、アメリカ合衆国での講演活動を行ったマロリーは、1924年の第3次遠征隊にも参加を要請された。 1922年同様隊長はブルース将軍が務め、副隊長にはノートン大佐が選ばれた。 58歳のブルース将軍にとって年齢的にこの山行が最後のチャンスだろうと思われていた。

隊員として経験者のジェフリー・ブルース、ハワード・サマヴィルが選ばれ、さらにベントリー・ビーサム(Bentley Beetham )、E・O・シェビア(E. O. Shebbeare ) 地質学者でもあったノエル・オデール、マロリーと最期を共にしたアンドルー・アーヴィンらが選ばれた。

一行は2月28日にリヴァプールを出航、3月にダージリンへ到着し、3月の終わりにダージリンから陸路エベレストを目指したが、道中でマラリアのためブルース将軍が離脱、ノートンが隊長になった。

4月28日、遠征隊はロンブクに到着してベースキャンプを設営し、そこから順にキャンプをあげていった。 彼らは7000m付近に第4キャンプを設けて頂上アタックの拠点とし、そこから頂上までの間に2つのキャンプを設けることにした。

マロリーはジェフリー・ブルースおよびノートン、サマヴィルらと山頂を目指したが失敗し、6月6日、22歳の若いアンドルー・アーヴィン1人を連れて第4キャンプを出発、再びノース・コル経由で山頂を目指した。

今回のマロリーは、1922年のフィンチ隊の健闘を見て酸素器具に対する認識を改めて、自らも積極的に使うことにしていた。 ノエル・オデールは2人をサポートすべく単身第5キャンプ(7,710m)にあがり、6月8日の朝8時過ぎに第6キャンプ(8,230m)を目指して登り始めた。

 

後続するその途中(高度8,077m付近)でオデールはふと顔を上げ、雲が晴れ上がって頂上が青い空の中に現れるのを見た、そこで目にしたものを彼は生涯忘れることがなかった。

≪12時50分頃だった。私が初めてエベレストで化石を見付けて大喜びしていたまさにその瞬間、空が突然晴れ上がり、エベレストの山頂が姿を現した。私は山壁に1つの小さな点を見出した。それは大きな岩塊の下、雪の上に浮き出た小さな点だった。やがて雪上にもう1つの小さな点が現れ、最初の点に追い付こうと動いていた。第1の点が岩の上にとりつくと第2の点も続いた。そこで再び雲が山を覆い、何も見えなくなった。≫

この時、オデール=前節参照=は2人がセカンドステップにたどり着くところを見たと語った。 オデールの証言以外にこれを証明するものはなく、彼らがセカンドステップにたどり着いたのかどうかわからない=ファーストステップ周辺には空の酸素ボンベや1933年に見付かったアーヴィンのアイス・アックスがあった=が、逆に言えばたどり着かなかったという証拠もない。 その後、2人の姿は山中に消えた。

オデールが午後2時に第6キャンプへ到着した頃、風雪が強かった。 しばらくして戻ってくる2人が吹雪でキャンプを見付けられないといけないと考えたオデールは、テントを出て口笛を吹いたりヨーデルを歌ったりしていたが、人の気配はなかった。 下山する2人のための用意を終えたオデールは、4時半に第6キャンプを後にした。

下りながらオデールはたびたび山頂方向を眺めたが、下山する2人の姿はついに見ることができなかった。 第4キャンプまで下りて1泊した明くる日の6月9日、オデールは再び第5キャンプから第6キャンプへ向かったが、人が入った形跡はなかった。 モンスーンの接近のため、遠征隊は2人をあきらめて山を下りることになった。

マロリーとアーヴィンは、おそらく6月8日(あるいは9日)に命を落としたのであろう。 今や国民的ヒーローとなっていたマロリー遭難のニュースは、イギリス中に大きな衝撃を与えた。 10月17日に行われたマロリーとアーヴィンの追悼式は、国葬のような規模でセント・ポール大聖堂において行われ、列席者の中には時の首相ラムゼイ・マクドナルドや国王ジョージ5世をはじめロイヤル・ファミリーの姿もあった。

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 (1924年6月6日午前8時40分)、マロリーとアーヴィンの2人はノース・コル(標高7066メートル)のキャンプを出発する。 2人が出発間近、準備に余念が無いところを登山隊の1人、ノエル・オデールが写真に収めている。 マロリーが酸素マスクを気にしている様子を、アーヴィンがそれを側らで、少し首を傾げながら眺めている図である。 これが2人が撮られた最後の写真となった。

===== 続く =====

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