探検家群像=角幡唯介= 06 

角幡唯介、日本のノンフィクション作家・探検家

北極圏ー1

【 北西航路;資料④ 】

ヨーロッパ人が、ヨーロッパからアジアまで最短距離(大圏航路)で結ぶ海の近道を探すのは、1492年のクリストファー・コロンブスの航海が始まりであり、その後は19世紀半ばまで、主にイングランドから一連の探検隊が極地を通る最短の海路(北西航路北東航路)を探した。 これらの航海はそれぞれ成功の程度は異なるものの、西半球、特に北アメリカについてヨーロッパ人の地理的知識を増やしていった。 その知識が深まるに連れて、次第にカナダ北極圏に関心が向くようになった。 16世紀から17世紀に北アメリカについて地理的な発見をした航海者達は、マーテイン・フロビッシャー(前節参照)、ジョン・ディヴィス、ヘンリー・ハドソン(前節参照)、ウゥリアム・バフィンなどがいた。 また1670年、法人化したハドソン湾会社がカナダ海岸と内陸、および北極海をさらに探検した。 18世紀の探検家としては、ジェイムズ・ナイト、クリストファー・ミドルトン、サミュエル・ハーン、ジェームス・クック、アレキサンダー・マッケンジー、ジョン・バンクーバーがいた。 1800年までに最終的にわかったのは、太平洋と大西洋の間の温暖な緯度の範囲内はすべて大陸でふさがれており、船が航行できるような北西航路はこの範囲内には無いということだった。

北極の島

1804年、ジョン・バロウ卿が海軍本部副大臣となり、その職を1845年まで長期にわたって務めた。バロウはイギリス海軍を突いて、カナダの北の北西航路、さらには北極点への航路を極めさせようとした。 その後の40年間の探検家としては、ジョン・ロス、デイビッド・ブキャン、ウィリアム・エドワード・パリー、フレデリック・ウィリアム・ビーチー、ジェイムス・クーラク・ロス、ジョージ・パック、ピーター・ウォーレン・ディーズ、トマス・シンプソン等がカナダ北極圏で意義ある航海を行く。 これら探検家の中にジョン・フランクリンがいた。 1818年、ドロシーとトレンドで北極を目指した遠征では副指揮官となり、1819年から1822年と1825年から1827年の2回、陸路カナダの北極海沿岸に進んだ遠征では隊長だった。 1845年までに、それまでの遠征隊が発見したこと全てから、カナダ北極圏で未踏の地域は約181,300 km2の四角形が残されているだけになっていた。 この年にフランクリンが航海することになったのがこの未踏領域であり、ランカスター海峡から西に進み、その後は氷、陸、その他障害物が許す限り西と南に進んで、北西航路を完成させる意図があった。 航行距離は約1,670 kmに及び、19世紀後半のアメリカ大陸北部域の探検競争が始まる。

ジョン・ロス

ベーリング海峡の北のカナダ沖北極海(実際の北西航路の一部)を、ジョン・ロス、ウィリアム・エドワード・パリー、ジェイムス・クーラク・ロスなどの探検隊が航行した。 またジョン・フランクリン、ジョージ・パック、ピーター・ヴォレン・ディーズ、トーマス・シンプトンらは陸路で北極海沿岸を探検し、次第にカナダの北極海沿岸の姿が明らかになった。 上記のように、1825年にはフレデリック・ウィリアム・ビーチがアラスカの北極海岸を探検し、バロー岬を発見した。 しかし北西航路の横断航海をしようという試みは全て失敗し多くの犠牲を出した。 後述のジョン・フランクリン探検隊はそのもっとも有名かつ凄惨な遭難事故報道で驚愕せしめるなだが・・・・・・・。

実際の北西航路を発見した人物としてイギリスの探検家ロバート・マクルアーの名が挙げられる。 1851年、フランクリン隊の捜索にやってきたマクルアーらはバンクス島からマクルアー海峡を隔ててメルヴィル島を視認した。 マクルアー海峡はカナダ北極諸島の西の出口であり、北西航路の一部をなす水路であったが、当時の船ではこの海峡を通ることはできず、マクルアーらの船も氷に閉じ込められる結果となった。 彼らは結局、東側から同じ海峡に入って出られなくなった別のイギリス海軍の探検隊に助けられ、そりと徒歩で北西航路を横断した。 北極諸島の東の入り口に当たるランカスター海峡(デヴォン島とバフィン島の間)と、西南の出口にあたるドルフィンアンドユニオン海峡(ビクトリア島とカナダ本土の間)を結ぶ水路は、ハドソン湾会社の社員で犬ぞりを使って極北の陸地を探検したジョン・レイによって1854年に発見された。

探検家ー1

=ロバート・マクルアーは、最初のフランクリン隊捜索遠征から帰還した後、新たな捜索遠征が1850年に派遣される事となり、リチャード・コリンソンが率いる「HMSエンタープライズ」に加え、コリンソンの副官マクルアーが指揮をとる「HMSインヴェスティゲーター」が派遣された。  2隻は大西洋を南下し、蒸気船「HMSゴードン」の支援を受けてマゼラン海峡を通過して太平洋に出、以降は別々に別れて航海を続けた。

インヴェスティゲーター号は太平洋を北上し、ベイリング海峡を通って北極海に入り、そこから東へ向かいアラスカのp0イント・バローを過ぎ、遂には北西からやって来た別のイギリス遠征隊と合流した。 インヴェスティゲーター号は、1853年の春に、氷結した海に動けなくなって放棄されたが、マクルアーと乗組員たちは、東方から進んできたサー・エドァード・ベルチャー 指揮下の艦船のひとつであった「HMSレゾルート」から派遣され、氷上をそりで探検していた一隊により救出された。 マクルアーは北西航路を通って帰還し、遠征を完了した。 レゾルート号も同年、北極圏から脱出できず、結氷した海に放棄されたが、その後回収されている。 因みに、この船の部材からは後年豪華な机が作られ、イングランド女王から合衆国大統領に贈られたことで、とくに有名になったレゾルート・デスクがある。

こうして、マクルアーと配下の乗組員たちは、当時としては偉業であった、初めてのアメリカ大陸回航と、北西航路を縦断したこととなった。 一方、エンタープライズ号は、1850年に、インヴェスティゲーター号から2週間遅れてポイント・バローに達し、行手が冬の氷によって閉ざされて引き返しを余儀なくされ、翌年再びこの海域に戻った。続いて独自の北極探険を行なったが、北西航路に関わる栄誉は既にマクルアーのものとなった。=

マクルアー

===== 続く =====

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