探検家群像=角幡唯介= 14 

角幡唯介、日本のノンフィクション作家・探検家

11-12-3

(ナショナルジオグラフィック日本版より転載、イラスト構成は筆者)

== キングウイリアム島 ―地図のない世界― 後節==

しかし1846年にキングウイリアム島の北の海峡にやって来たフランクリン隊は、島を東に回る正解ルートを取らず、リスクの高い西の海に船を進ませた。  案の定、2隻の軍艦は氷に囲まれ、ついに1848年4月、船に乗っていた105人の隊員は――隊長のジョン・フランクリンも含めて、残りの24人はすでに死んでいた――船を放棄し、キングウイリアム島に上陸した。  そして重いソリを引いて南を目指す途中で、最後のひとりに至るまでバタバタと死んでいったのである。

彼らが島の東に船を進ませなかったのは、おそらくキングウイリアム島がブーシア半島と陸続きになっているという、J・C・ロス以来の誤った地理認識が頭にあったからだろう。  フランクリン隊の船には1200冊もの蔵書が収められた立派な図書室があり、過去の探検記はすべて進行ルートを決めるための材料となっていた。

だがジョン・ロスとJ・C・ロスの共著である『第2次北西航路探検記』にも、バックの『北極圏大陸遠征記』にも、シンプソンの『アメリカ大陸北岸発見記』にも、キングウイリアム島が島だとは書かれていなかった。  島の東がブーシア半島とつながっているのなら、船を進ませても陸地にぶつかってしまう。だから彼らには西に進む選択肢しか残されていなかった。

フランクリンの手元には信じるべき正しい地図がなかった。  その結果、彼らの二隻の巨大な軍艦は氷につかまり、男たちは悲劇的な最期を迎えた。

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 キングウイリアム島の平らな大地を歩きながら、私はフランクリン隊の生き残りが重いソリを引きながら南を目指した、その風景に思いをはせた。  私がこの島に上陸したのは2011年4月30日、フランクリン隊の105人が船を捨てて上陸したのは1847年4月25日。  164年の歳月を経て、私たちはフランクリン隊の男たちと同じ季節に同じ場所に立ち、同じように南を目指した。

長い歳月が経過してはいるものの、そこで見た景色は、フランクリン隊の男たちが見た景色と、ほとんど何も変わらなかったはずだ。  氷った海には乱氷が積みあがり、島は平らで、固い雪に覆われていた。  振り向くと後ろにはソリのランナーがつけたまっすぐな跡が地平線の彼方にまで続いていた。  風は強かったが、春になり、気温が上がってきたため、今までみたいに氷点下30度まで下がることはなくなっていた。  ジャコウウシが現れ、毛の白いオオカミが私のソリを引っ張って、もっていこうとした。

フランクリンの男たちも同じ白い大地を前に進み、同じような風の中を、同じ動物たちに囲まれながら歩いたのだろう。

重いソリを引きながら、私はそう思おうとした。だが、同じ景色の中にいるのに、私はどうしてもフランクリンの男たちが歩いた風景と自分とを同化させることができなかった。  自分と彼らの間に存在する、決して縮めることのできない隔たりから、目をそらすことができなかったのだ。

164年という歳月が意味するものは、私たちが雪と氷の世界に持ち込んでいた装備の中に、ひとまず現れていた。  ゴアテックスでできた快適な防水ジャケットや、石油化学の発達がもたらした軽くて頑丈なソリ、ブリザードに見舞われても気にならない三重構造のテント、衛星電話、GPS、肉や脂を固めて水分を抜き取ったおいしくてハイカロリーな食料。  そういった時代の経過と社会の進展がもたらした恩恵が極地探検の世界を変え、私たちの旅はフランクリンの時代のそれと比べて、いく分、安全で快適になった。

だが実際に旅をしてみると、この164年の間に旅の有り様を変えた、そのもっとも大きな原因を作ったのが、実はそうした便利で現代的な装備ではなく、たった一枚の地図であることに、現代の極地探検家は否が応でも気づかされる。

衛星携帯電話やGPSがどんなに便利だといっても、それは所詮、今、この瞬間に役に立つ道具にすぎない。  しかし地図は違う。この神保町の書店で購入したわずか2000円あまりにすぎない一枚の紙は、私たちを明日の世界へとつなげているのだ。

地図があることで私たちはこれからの行動を予想し、明日、自分たちがどこに向かうかを決定できる。  そして明日があることを、あと2週間耐えればスーパーマーケットでサラミやお菓子を買い込めることを、かなり正確に想像することができ、それにより安心を感じることができる。

地図には空間的な次元における情報だけでなく、時間線上に広がる価値もまた含まれている。確かな未来が、少なくてもそう想像できるものが、地図の中には存在しているのだ。

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 フランクリンの男たちが向かっていたキングウイリアム島は、正確な地図がない世界だった。  それはイコール明日が約束されていない場所だった。  彼らはどこに行けば生き残って故郷に戻ることができるのか、自分たちでもよく分からないまま、手さぐりで凍てつく荒野を前進した。  目の前には文字通り未知ゆえの暗黒の世界が広がっており、そこに足を踏み入れる行為は、言葉のもっとも正しい意味で勇敢だった。  もしその先で前進が不可能となった場合、旅は行き詰り、それは取りも直さず生命がかなり深刻な事態に陥ることを意味していた。

北西航路の時代の探検家が、私たちよりもはるかに素晴らしい旅、レベルの高い冒険をしていたと断言できるのは、彼らが地図のない、明日の分からない世界を旅していたからだ。  地図と明日のある現代の私たちは、それがどのような行為であったのか、想像することすらできなくなってしまった。

地図に代表されるサイエンスとテクノロジーの進歩がもたらした様々な結果は、旅をスマートなものにしたが、同時に人間の想像力と能力の範囲を縮小させ、全体的に旅を貧困なものに変えた。旅人は、冒険家は、そして人間は、この164年間でずいぶんとその可能性を小さくさせたのだ。

明日がわかっている人間の行為と明日がわかっていない人間の行為との間の断絶は、途方もなく深い。  だから私は彼らを尊敬する。そしていつか地図のない世界を旅するのが、私の夢でもある。

ハドソンー1

アニアン海峡

Arctic landscape.

Arctic landscape.

===== 続く =====

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