探検家群像=角幡唯介= 16

角幡唯介、日本のノンフィクション作家・探検家

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== グレートフィッシュ川――クロージャーの決断 中節 ==

当時の探検界の常識に照らし合わせると、クロージャーは南ではなく、北のフリービーチを目指すべきだった。

フリービーチとはエドワード・パリーが1825年、3度目の北西航路探検の時に軍艦フリー号を座礁させたところで、そこには大量のボートや食料が置き放しになっていた。 パリーの探検から7年後、北西航路探検で遭難したジョン・ロスとJ・C・ロスの隊はフランクリン隊と同じように船を捨てて脱出し、ランカスター海峡で捕鯨船に救助されて生還したが、彼らはその途中でフリービーチに立ち寄り、パリーが残した装備を利用して助かった。そして彼らが立ち去る時には、手つかずの装備や食料がまだたくさん残されていたのだ。

クロージャーがキングウイリアム島に上陸した地点からフリービーチまでは、直線距離でわずか415キロに過ぎない。弱っているとはいえ、1カ月も頑張れば十分にたどり着ける距離である。一方、メモに書かれていたグレートフィッシュ川は、河口までなら370キロしかないが、もしそこから川をボートでさかのぼり、上流のイギリス人が経営する国策毛皮会社の交易所を目指すとしたら、さらに1千キロも旅をしなければならないのである。

1200冊もの蔵書を誇っていたというフランクリン隊の軍艦の図書館で、クロージャーはパリーの記録にも、ロスの記録にも目を通していただろう。 自分たちが船を捨てた場所の割と近くにパリーが残した装備や食料が残されており、そこで体力を回復して150キロほど先のランカスター海峡までたどり着ければ、夏にやってくる捕鯨船に救出される可能性はある。 そのことを彼は十分に理解していた。 わずか15年前に、ジョン・ロスがまさにそれをやってのけていたことも分かっていたはずだ。

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 クロージャーは極めて豊富な経験を持つ極地探検家だった。 4歳の時にパリーの第2次北西航路探検に参加して以来、同じくパリーの北極点遠征やJ・C・ロスの南極探検にも参加しており、極地における航海の実績では隊長のフランクリンをはるかに上回っていた。 よりクロージャーは、パリーの第3次北西航路探検隊にも参加していた。 まり、パリーが軍艦を座礁させ装備や食料をフリービーチに残していったまさにその現場に、彼もまたいたのだ。

クロージャーはフリービーチのことを熟知していた。 だが、あえてそこは目指さずに、グレートフィッシュ川に自らの生存を賭けた。 そこには何か明確な狙いがあったはずだ。

*             *

私と荻田泰永が到着した時、ビクトリーポイントでは北から強い風が吹いていた。氷海から少し離れた陸の上にソリをとめると、私はダウンジャケットも着ないで、海岸線のほうにやや急ぎ足で向かった。

南のほうを遠く眺めると、ぎざぎざと細かく氷が突き出した青白い海原の向こうに、黒い影を帯びた細長い陸地が左から右へとうっすらのびていた。 181年前にJ・C・ロスが眺めて、フランクリン岬と名前をつけた陸の突起だった。その手前のもう少し小高く盛り上がった丘がジェーン岬である。

その日は晴れて視界がよかったにもかかわらず、フランクリン岬はかろうじて肉眼で確認できる程度にしか見えなかった。 それを考えると、J・C・ロスがこの場所でフランクリン岬を確認した時も、私たちと同じように気象条件に恵まれた日だったのだろう。 それはやはり暗示的な出来事だったように私には思われた。 フランクリン岬から首を右にわずかに動かした方角の少々沖合で、そのフランクリン隊の船は氷に包囲され、破壊されたのだ。

ビクトリーポイントから小1時間ほど歩いたところに、柔らかい乳白色の石灰岩が積み重なった高さ1.2メートルほどのケルンが残されていた。 径も1メートルほどある立派なケルンだった。 この場所が1848年4月25日にクロージャーと104人の仲間が上陸した場所だった。 このケルンはクロージャーが残したケルンではないらしいが、100メートルほど内陸に歩いてみると、砂利まじりの雪の地面には昔のケルンが崩れたような跡がいくつも見つかった。

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 風景それ自体は時代の流れから取り残されたように、クロージャーの時の雰囲気を今に伝えていた。フランクリン隊の男たちほどではなかったにしろ、私たちもまたその時、激しく餓えていたのだ。  レゾリュートベイを出発して、すでに50日近くを氷上行進に捧げた結果、私たちは朝起きたその瞬間に体の疲労を訴えるようになっていた。

ぜい肉はすっかり落ちてしまい、筋肉も細り、先頭を歩く荻田泰永の姿を後ろから眺めると、その体のラインは出発時と比べてずいぶんスリムになっていた。  何日か前、夜中にテントに現れた子供のシロクマを撃ち殺して食べてしまわなかったことが果たしてよかったのかどうか、よく分からない程度には腹が減っていた。

フランクリン-3

===== 続く =====

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