天正遣欧使節を仕組んだ男=01=

❢❢❢  イエズス会宣教師ヴァリニャーノ  ❢❢❢

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1585年(天正13年)
日本では、織田信長亡き後
豊臣秀吉が天下統一に向けて奮闘していた時期

そんな頃、日本から遥か遠く離れたローマに
カトリック教会の長である教皇との謁見に望まんとする
4人の日本人の姿があった

後に「天正遣欧使節」と呼ばれる九州出身の少年たち
16世紀後半にバチカンを目指した同使節・天正遣欧少年使節
それを実現させたイエズス会宣教師ヴァリニャーノ

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序文として、史実を俯瞰しよう。 彼らが生きていた時代が浮かび上がる。 以下の本文を理解するに 一助になろう。

・ 1582年2月20日(天正10年旧暦1月28日) 長崎港を出港。
・ 1582年3月9日(天正10年旧暦2月15日) マカオ着。風を待つ。
・ 1583年12月20日(天正11年旧暦11月7日) マラッカ・コチンをへてゴア着。
・ 1584年8月10日 (天正12年旧暦7月5日)ポルトガルの首都リスボンに到着。サン・ロッケ教会が宿舎となる。リスボン近郊シントラアルベルト・アウストリア枢機卿フェリペ2世の妹マリア神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の男子)の王宮に招かれる。

・ 1584年11月25日 (天正12年旧暦10月23日) スペインの首都マドリードでスペイン国王フェリペ2世の歓待を受ける。
・ 1585年3月1日 (天正13年旧暦1月30日)スペインのマヨルカ島を経由しイタリアのリヴォルノに到着、トスカーナ大公国に入る。イタリアの地を初めて踏む。
・ 1585年3月2日 (天正13年旧暦2月1日)午後1時にピサに到着。ピサ宮殿にてトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチに謁見。その晩、大公妃ビアンカ・カッペッロ主催の舞踏会に参加。ピサ滞在中、斜塔や大聖堂をはじめとするピサのドゥオモ広場を訪れる。
・ 1585年3月6日 (天正13年旧暦2月5日)カヴァリエーリ広場にあるサント・ステファノ・デイ・カヴァリエーリ教会にて聖ステファノ騎士団を見学する。この日は四旬節の初日である灰の水曜日であったため、トスカーナ大公とともに灰を受ける。

・ 1585年3月7日 (天正13年旧暦2月6日) フィレンツェに到着。シニョーリア広場にあるヴェッキオ宮殿に宿泊する。
・ 1585年3月11日 (天正13年旧暦2月10日)フィレンツェ近郊にあるプラトリーノの別荘ヴィッラ・デミドフで過ごす。
・ 1585年3月23日 (天正13年旧暦2月22日)ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
・ 1585年5月1日 (天正13年旧暦4月2日)グレゴリウス13世の後を継いだシクストゥス5世の戴冠式に出席。

・ 1585年6月3日 (天正13年旧暦5月6日)ローマを出発。以後ヴェネツィアヴェローナミラノなどの諸都市を訪問。
・ 1586年4月13日 (天正14年旧暦2月25日)リスボンを出発。帰路につく。
・ 1587年5月29日 (天正15年旧暦4月23日)インドのゴアに到着。ヴァリニャーノに再会。コレジオにおいて原マルティノの演説が行われる。また同月に長崎で大村純忠が死去。

※ 1587年6月 豊後において大友宗麟が死去。
※ 1587年7月 豊臣秀吉によるバテレン追放令発布。
・ 1590年7月21日 (天正18年旧暦6月20日)使節団帰国。長崎に帰港。
・ 1591年3月3日 (天正19年旧暦1月8日) 聚楽第において豊臣秀吉を前に、西洋音楽(ジョスカン・デ・プレの曲)を演奏する。

使節員;
・ 伊東マンショ(主席正使) 大友宗麟の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。
・ 千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代。純忠の甥で晴信の従兄弟。後に棄教。
・ 中浦ジュリアン(副使) 後年、司祭に叙階。1633年長崎穴づりによって殉教。2007年福者に列せられる。
・  原マルチノ(副使)後年、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。
使節随員;
・ ジョルジェ・ロヨラ修道士 使節の教育係、日本人
・ コンスタンチノ・ドラード 印刷技術習得要員、日本人少年
・ アグスチーノ 印刷技術習得要員、日本人少年
・ アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父 ローマへ随行するつもりだったが、職務によってゴアにとどまる。
・ ヌーノ・ロドリゲス神父 ヴァリニャーノの後をついで一行に従う。
・ ディオゴ・メスキータ神父 通訳、イエズス会員
・ ロレンソ・メシア神父
・ オリヴィエーロ修道士

尚、イエズス会アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案したのであるが、ヴァリニャーノは自身の手紙の中で、使節の目的をこう説明している。
・ 第一はローマ教皇とスペイン・ポルトガル両王に日本宣教の経済的・精神的援助を依頼すること。
・ 第二は日本人にヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを少年達自ら語らせることにより、布教に役立てたいということ。

因みに、ウイキペヂィアには、アレッサンドロ・ヴァリニャーノヴァリニャーニAlessandro Valignano/ Valignani、1539年2月15日 – 1606年1月20日)は、桃山時代から江戸時代初期の日本を訪れたイエズス会員、カトリック教会の司祭。イエズス会東インド管区の巡察師として活躍し、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施したとある。

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===== 続く =====

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