河井道とボナー・F・フェラーズ=01=

❢❢❢  天皇を救った男、小泉八雲に誘われ 河井道との交流のなかで・・・・  ❢❢❢

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◇◆ フェラーズの青春――小泉八雲との出会い  ◆◇

2006年から、国立国会図書館憲政資料室で、マッカーサー記念館所蔵「ボナ・フェラーズ文書」のマイクロフィルム全5巻が公開されている。そこでは、フェラーズの経歴は、以下のように説明されている。

【 Bonner F. Fellers(1896-1973) 1918陸軍士官学校卒、1935司令・参謀学校卒、1936.2フィリピン軍管区司令部附兼フィリピン軍事顧問参謀(マッカーサーとケソンとの間の連絡係)、1938.4陸軍大学、在アフリカ英国軍軍事監視員、1940.10エジプト米陸軍武官、1942.7陸軍省陸軍諜報局、戦略諜報局(OSS)、1943南西太平洋地域総司令部参謀第5部長、1944.11南西太平洋地域司令官(マッカーサー)軍事秘書官、1945.6米太平洋陸軍司令官(マッカーサー)軍事秘書官、1946.1~8対日理事会事務局長、1946.11退役、1947~1952共和党全国委員会会長補佐、1959~1969市民外国支援委員会委員長。 】

また、一般的な人物紹介では、 ボナー・フェラーズ(Bonner Fellers, 1896 – 1973)は、第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人で、情報将校である。日本の敗戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)マッカーサー元帥と共に、マッカーサーの副官として来日、天皇制の維持や昭和天皇の戦犯不訴追に重要な役割を果たした。 とあるが、彼が陸軍士官学校入学前の、学生時代 多感な青春時代をトレースしてみる。

1896年にイリノイ州の敬虔なクエーカー教徒の農家に生まれたフェラーズは、第一次世界大戦の始まる1914年年に、インディアナ州リッチモンドのアーラム大学に入学した。そこで、日本の女子英学塾からの留学生・渡辺ゆりと親しくなった。

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 渡辺ゆり=後の一色ゆり=がクエーカー教系のアーラム大学に留学したのは、当時津田梅子の創設した女子英学塾の教授で、日本YWCAの創設者の一人、後に東京・世田谷に恵泉女学院を創立する、河合道の尽力によるものだった。渡辺ゆりは、河合道と津田梅子の推薦で、男女共学のアーラム大学への女子英学塾からの派遣第一期生にとして1911年に留学、5年間そこで学んだ。最後の2年間が、フェラーズと重なる。そこでフェラーズは、渡辺ゆりを通して東洋の新興国日本に関心を深めた。

第一次世界大戦中の1916年に、アーラム大学を中退し陸軍士官学校(ウェストポイント)に進んだフェラーズは、-18年に卒業、-21年からフィリピン駐留になり、-22年に休暇を利用して初来日する。そこで、渡辺ゆりから河合道を紹介され、「戦争を望まないリベラルな日本人リーダー」「世界のすばらしい女性のひとり」と評しうる教育者、河合道と知り合うことになった。

さらには、渡辺ゆりの紹介で、小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの名を知ったのも、この旅の収穫だった。フェラーズ文書中の「Japanese Background」という手記に、この出会いが記してある。

≪ 休暇は終わりに近づいた。私は横浜からマニラ行きの船に乗ることを決めた。ゆりは横浜までついてきてくれた。そのとき、日本を知るにはどうすればいいかと私は尋ねた。いちばんいい資料はラフカディオ・ハーンだと、彼女は答えた。外国人だけど、日本人の内面をよく理解している。文章も美しい。そして日本に西洋を紹介した。でも、と言ってゆりは付け加えた。「彼はクリスチャンじゃないから、私は好きじゃないわ」 ・・・・・・ 私はハーンの本を2冊抱えて航海に出た。その後、彼のすべての著作を私は集め、読破したと思う≫

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 フェラーズと小泉八雲とは、生きた時代が異なる。フェラーズは、書物を通してラフカディオ・ハーン=小泉八雲を知った。フェラーズは、アメリカにおける小泉八雲の愛読者であり、「ハーン・マニア」と言われたほどの書物のコレクターとなった。日本に魅惑され、もっと理解を深めたいと思ったフェラーズは、ラフカディオ・ハーンの著作を見つけしだい読破していった。 その後、数年で「ハーンの本はすべて読んだ」というほど魅了された。

ハーンの『神国日本』をはじめとした書物を読破し、1930年にドロシー夫人を連れて再来日したフェラーズは、東京西大久保の小泉家を訪ね、以後もハーンのご遺族と親交を重ねている。 「ハーンは、日本人を理解した、初めての、そして唯一の西洋人であったろう」というのが、「ハーン・マニア」になったフェラーズの感想だった。
だが、たんなるハーンのファンである米国人ならば、敢えてここで取り上げる必要もない。

フェラーズが、ラフカディオ・ハーン=小泉八雲を知った偶然と、たんなるファンから訪日して小泉家を訪問する「マニア」となり、そのことが、フェラーズをしてアメリカ陸軍きっての日本通となし、各種の論文や報告書を書かせる。その一つ、対日戦のテキストとして広く読まれた「日本兵の心理」ではおおよそ次のように述べている。まさにハーンの日本観に基づいた見解である。

≪ 日本人は祖先は神であると考える。 死者に対する尊敬や親に対する孝道が日本人の特色である。 欧米では天皇は現人神としてゴッド・エンペラーなどと訳されおり、「人間をゴッドのように崇める狂信」として反感や警戒心を与えていた。 ≫

フェラーズは「ゴッド」と日本の「カミ」とは違うことに気がついていた。そこから天皇についても、こう理解した。 そして、日本の敗戦後に連合国軍総司令官マッカーサー元帥の副官としてフェラーズが占領改革にたずさわる際に、天皇制についての重要な政治選択をもたらした経緯が・・・・

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===== 続く =====

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