河井道とボナー・F・フェラーズ=07=

❢❢❢  天皇を救った男、小泉八雲に誘われ 河井道との交流のなかで・・・・  ❢❢❢

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◇◆ 日米戦争を避けるために  ◆◇

河井道とボナー・フェラーズが初めて会ったのは22年前の大正11(1922)年4月、東京においてであった。河井は44歳、フェラーズは26歳。陸軍中尉だったフェラーズは、赴任地のマニラから休暇を利用して、初めて日本を訪れたのだった。

おりしも桜が満開で、「日本は魅惑的で美しい。神秘に満ちた心温まる国だ」とフェラーズは記している。 そこで出会った何人かの日本人の一人に河井道がいた。  「ミチ・カワイは傑出している」というのが、彼の印象だった。

明治24(1891)年、14歳の河井道は札幌のミッションスクール、スミス塾の5年生だった年に、隣接する札幌農学校(現在の北海道大学)の教授を務めていた新渡戸稲造が出張授業に来るようになった。 幼少時、伊勢神宮の神官であった父が失職し、北海道函館区に移り住んでいた。 キリスト教に傾倒した父の影響で、長老派伝道師サラ・C・スミスの開設したスミス女学校(現、北星学園女子中学高等学校)に入学し、新渡戸稲造らの教えを受ける。 やがて河井は毎週土曜日の夜に新渡戸の自宅に食事に呼ばれ、その後、新渡戸が英語で口述する日記を筆記するようになった。 河井は新渡戸を終世の師と仰ぐ。 新渡戸はよくこう説いた。

あなた方は良妻賢母となる前に、一人のよい人間とならなければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶことです。 河井はこの教えを自己の道しるべにした。

明治31(1898)年、病気療養のために妻の故国・米国に渡る新渡戸に同道する形で、21歳の河井はアメリカに渡り、奨学金を得て、ブリンマー女子大に学んだ。 帰国後、女子英学塾(現在の津田塾大学)の教授となり、英語、歴史、購読を受け持った。 同時に、日本YWCAの設立に奔走し、初代総幹事となった。 その関係で、32歳から1年半も欧米を回った。

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 こうして当時の日本人女性としては異例の経歴と行動力を持った河井に、フェラーズは出会ったのである。「ミチ・カワイは傑出している」と思ったのも当然である。 河井は昭和4(1929)年4月に恵泉女学園を創設した。米国留学までした河井は当時の女性としては傑出した存在だったが、「女が少しばかり学問に励んだからといって家事ができないなどというのは恥です」と、生寮では炊事、洗濯からトイレ掃除、風呂焚きまで教えた。 教室の窓ガラスを生徒と一緒にせっせと磨き、巾を拭いた後が残ると見苦しいと叱って、やり直しを命じた。

第一期生を送り出した昭和9(1934)年4月7日、一通の手紙がアメリカから届いた。 アメリカ・キリスト教連合婦人会から、「私たちの国の戦争の風説に反対するために、あなたのメッセージが必要です」との講演の依頼だった。 アメリカでの日系移民排斥や日本の満洲事変をきっかけに、日米関係は険悪になりつつあった。  師の新渡戸稲造は2年前に渡米して、全米で約百回の講演をこなした。 昭和天皇からもじきじきに、両国の和解に骨折って貰いたい、とも依頼されていた。 新渡戸は知人にこう語っている。

『本当に陛下は御立派な方だよ。私心なんかこれほどもおありにならない。そういう陛下を戴いている日本は本当に幸せなんだ。』 しかし、新渡戸は前年の昭和8年10月にカナダのビクトリアで客死していた。 師の志を継ぐべく、河井は8月から12月までの4ヶ月間で全米60余の都市を回り、約2百回の講演を行った。 この際に、ニューヨークで世話をしたのが、前節でフェラーズがマッカーサーの右腕としていかなる手段を講じてでも探し当てねばならぬ“尋ね人”を日本に到着早々依頼した、横浜のホテル・ニューグランド支配人の中山武夫夫妻だった。

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 また、アメリカ公演旅行中の事。 酒井道がカンザス市ではエリート養成学校・陸軍指揮幕僚大学に学んでいたフェラーズが公演に訪れた河井を迎え、二人は時の過ぎるのを忘れて、両国の平和を語り合った。 河井はこの時のフェラーズの態度を「実に公平な議論をして、自国の反省すべき点」を語り、日本兵士の忠誠に敬意を表した、と回想している。 「公平な議論」とは、『ルーズベルト大統領が大恐慌以来の経済的危機を避けるために、さまざまな日本への挑発をしかけている』と言うフェラーズの認識であったと酒井道は記している。

日本に魅惑され、もっと理解を深めたいと思ったフェラーズは、ラフカディオ・ハーンの著作に触れて揺り動かされた。 の後、数年で「ハーンの本はすべて読んだ」というほど魅了された。 フェラーズは日本を再訪した際には、ハーンの未亡人を訪れ、遺児の面倒まで見るようになる。 フェラーズは後にアメリカ陸軍きっての日本通となり、各種の論文や報告書を書くが、その一つ、対日戦のテキストとして広く読まれた「日本兵の心理」ではおおよそ次のように述べている。 さにハーンの日本観に基づいた見解である。

≪日本人は祖先は神であると考える。死者に対する尊敬や親に対する孝道が日本人の特色である。欧米では天皇は現人神としてゴッド・エンペラーなどと訳されおり、「人間をゴッドのように崇める狂信」として反感や警戒心を与えていた。≫ ・・・・・・・フェラーズは「ゴッド」と日本の「カミ」とは違うことに気がついていた。そこから天皇についても、こう理解した・・・・・・・・・・・≪天皇は権威の象徴である。明治時代以前は天皇は実際には国を治めていなかった。最強の武家が天皇の上にいて国を統治していた。各武家は天皇を自らの味方につけようと戦った。だがたとえどの武家が天皇を味方につけようとも、国民が最大の敬意を払うのは天皇であり、天皇以上に国民から愛着を持たれる者はこの国には存在しない。≫

事実、太平洋戦争中、フェラーズは対日心理作戦の責任者となる。 そして日本国民に空からビラを撒く作戦を展開するが、そのビラの一つにはこんな文句があった。
= 今日4月29日は御目出度い天長節であります。・・・・・戦争の責任者である軍首脳者はこの陛下の御誕生日の日に戦捷(せんしょう、戦勝)を御報告申し上げる事も出来ず、むしろ自身の無能の暴露を恐れてゐるのでせう。軍首脳部は果たして何時まで陛下を欺(あざむ)き奉る事が出来るでせうか。 =
国民の天皇への敬意を尊重しつつ、軍首脳部を攻撃するビラは、その戦意を挫く上で多大の効果があった、と東条英機・首相も認めている。

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===== 続く =====

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