河井道とボナー・F・フェラーズ=11=

❢❢❢  天皇を救った男、小泉八雲に誘われ 河井道との交流のなかで・・・・  ❢❢❢

12-08-1

◇◆ マッカーサーの回答と謙虚な行動  ◆◇

  マッカーサー占領軍司令官へのフェラーズの意見書には、日本の軍は武装解除されているにせよ、混乱と流血が起こるであろう。 日本を平静な占領体制に移行するには、何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍を必要とするであろう。 占領期間は延長され、そうなれば、日本国民を疎隔してしまうことになろう。   米国の長期的利益のためには、相互の尊敬と信頼と理解にもとづいて東洋諸国との友好関係を保つことが必要である。 結局のところ、日本に永続的な敵意を抱かせないことが国家的に最も重要である。

意見書はこう結ばれた。 「相互の尊敬と信頼と理解」という言葉には、初めて来日した時に「日本は魅惑的で美しい。 神秘に満ちた心温まる国だ」と感じて、河井らとの交友を築いてきたフェラーズの体験が窺われる。 そうした友好関係こそ「米国の長期的利益」となる、というのがフェラーズの信条であった。

2日おいて、10月4日にフェラーズは第2の覚え書きを提出した。 「ソ連は、日本に革命が起きることを望んでいる。」  我が国(アメリカ)の政策は、革命を期待しているかのようだ。 革命には、天皇の排除が最も有効なのである。 天皇が戦犯裁判で処刑となり、国中に反乱が起きれば、それが共産革命の引き金になり、日本を共産陣営に追い込む結果となりかねない。 フェラーズは危機感を募らせ、緊迫感を漂わせる政治的動向を危惧して書き綴り、提出した。

==当時、ソ連の共産党機関誌「プラウダ」は激しい天皇制批判を繰り返していた。 また日本共産党も「戦争犯罪人追求人民大会」を開き、1600人にのぼる戦犯リストの冒頭に昭和天皇を挙げていた。 また、10月2日、皇族の梨本宮守正元帥が、そして6日には元首相・近衛文麿、天皇側近の内大臣・木戸幸一と、皇族と側近にまで逮捕の手が伸びていた。==

12-08-2

   1945年11月29日、アメリカの統合参謀本部は、マッカーサーに対して指令を伝えた。 【裕仁は、戦争犯罪人として逮捕・裁判・処罰を免れてはいないというのが米国政府の態度である。 天皇抜きでも占領が満足すべき形で進行しうると思われる時点で、天皇裁判問題が提起されるものと考えてよかろう。】

米国政府は天皇訴追を十分ありうるものとして、マッカーサーに判断に必要な証拠の収集を命じた。 この回答として、翌昭和21(1946)年1月25日、陸軍参謀総長アイゼンハワーあてに電報が送られた。 マッカーサーの天皇の処遇問題に関する回答である。=「天皇を戦犯とみなすに足る確実な証拠は発見できなかった。 天皇を破滅させれば、国家が崩壊するであろう。 混乱を抑えるため、最低100万人の兵力を必要とし、予測できない長期間の駐留が必要となるだろう」= この報告を受けて、ワシントンの天皇訴追論は終止符を打つことになる。

その電文は≪ 過去十年間に、程度はさまざまであるにせよ、天皇が日本帝国の政治上の諸決定に関与したことを示す同人の正確な行動については、明白確実な証拠は何も発見されていない。≫ と始まるこの回答で、まず大日本帝国憲法はヨーロッパの立憲君主制と同じ原則に則っており、内閣が行った政治的決定を天皇は裁可するだけで、拒否する権限はなかった事が説明されている。

≪昭和天皇は立憲君主の立場をよくわきまえ、可能なかぎりその原則に従って行動した天皇だった。 帝国議会の議決を裁可しなかった例は一度もなかったし、国務大臣の補弼(ほひつ)を俟(ま)たずに大権を行使する独断政治を強行したこともなかった。
つけ加えれば、日米開戦までの過程で戦争を避けるために、自らの立場で可能な範囲で軍部や内閣に意見を述べている。 昭和天皇は決して好戦主義者ではなかった。 外交交渉を優先させることで、なんとか戦争を回避しようと努力した。≫

最後の一節には、また河井道の影響が窺われる。 河井はフェラーズに勅語や御製を示して、天皇の平和を求めるお気持ちを伝えていた。 恐らくは、開戦前の御前会議で昭和天皇が〝四方の海みなはらから(同胞)と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ“ との明治天皇御製を示されて、再度の外交交渉を求められた事もその中にあっただろう。

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 ☛ ☞   “「あれはカワイ・ミチから授かったものだ」”

続いて、マッカーサー進駐軍司令官のアイゼンハワー陸軍参謀総長への回答書では天皇を訴追した場合に、「日本国民の間に必ずや大騒乱を惹き起こし」、そのような事態に対処するには、百万の軍隊と数十万の行政官が必要となる、としている。 主張の内容は、フェラーズの覚え書きをそのまま引き写したものである。 マッカーサーはフェラーズの覚え書きを机の左の引き出しの一番上に入れ、しばしば取り出しては読んでいた。 フェラーズは後に語っている。

『私はあの覚書の内容について自信が持てなかった。 あれはカワイ・ミチから授かったものだ。 彼女は実に偉大な女性だった。 彼女が私を助けてくれた、 彼女は知らないだろうが、マッカーサーの天皇に対する態度に、彼女は大きな影響を及ぼしたと思う。』

このマッカーサーの回答書で、米政府の天皇不起訴の方針は固まった。 しかし、米国はこれで固まったが、ソ連は強硬に天皇訴追を要求していた。 3月2日から東京に終結した連合国各国の国際検察局に   よる被告人選定作業が始まった。 フェラーズはこの時期、天皇の無罪を立証すべくあらゆる手を尽くした。3月6日、終戦時の海軍大臣・米内光政を総司令部に呼んで、こう言った。

・・・ソ連は全世界の共産主義化を狙って、日本の天皇制とマッカーサーの存在を邪魔にしている。 アメリカ国内でも上層部に天皇を戦犯として裁くべきだとの主張が相当ある。 その対策としては、天皇が何らの責務もないことを日本側が立証してくれることが最も好都合だ。 そのためには近々開始される裁判が最善の機会だと思う。 この裁判で東条に全責任を負わせるようにすることだ。

そこで、東条に次のことをいわせてもらいたい。 開戦前の御前会議において、たとえ陛下が反対されても、自分は強引に戦争にまでもっていく腹をすでに決めていたと。

米内は「まったく同感です」と賛同し、獄中の東条に弁護人を通じてフェラーズの意を伝えた。 東条は答えた。 「そんなことは心配ないと、米内君にいってくれ。 おれが恥を忍んで生きているのも、この一点があればこそだ。」 東条は東京裁判において、大東亜戦争は自衛戦であり国際法に違反していないこと、また開戦の決定は内閣の責任であり、昭和天皇が拒否権を行使されることは、憲法上も、慣行上もなかったことを堂々と述べた。

12-08-4

===== 続く =====

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