河井道とボナー・F・フェラーズ=13=終節

❢❢❢  天皇を救った男、小泉八雲に誘われ 河井道との交流のなかで・・・・  ❢❢❢

12-06-3

◇◆ 象徴天皇制の起源と小泉八雲=フェラーズ ◆◇

=岡本嗣郎 著 《終戦のエンペラー/閣下をお救いなさいまし》より 下記文章を演繹・転用=

前節までの記載で、現代20・21世紀の日本史上 いや日本民族が拠り所である重要な一齣が浮かびあがった。 フェラーズこそ「象徴天皇制誕生の父」であるとする短絡は、正確ではない。 しかし、〝ハーン・マニア″であるフェラーズが起こした行動が敗戦時の天網陛下が自自らに課そうとした戦争責任を回避せしめたのは確かなことであろう。 また、 かれの志向が今日の≪象徴天皇≫を演繹したのであろう。 その要因を略述しておこう。

第一に、敗戦後の昭和天皇の処遇をめぐる問題は、フェラーズからマッカーサーのラインにおいてのみ検討されていたわけではない。連合軍を構成する米国、英国、ソ連、中国等の国家的思惑はもとより、ドイツ・ナチズム、イタリア・ファシズムの戦争指導者の責任追及をはじめ、敗戦で「解放」された旧植民地朝鮮・台湾やアジア民衆の意向を含む国際関係の力学の中で決定された。

第二に、そこでGHQマッカーサー司令部が中心的役割を占めたにしても、米国本国のトルーマン大統領、国務省、国防省、陸海空軍、情報機関等各国家機関の思惑や世論も作用しており、国務省のジョージ・ブレイクスルー、ヒュー・ボートン、ジョゼフ・バランタインらの検討でも、1943年には「天皇の利用」政策が明確になっていた。

第三に、フェラーズの天皇制擁護を、「ハーン・マニア」の線のみから評価するのは正確でない。 上述したフェラーズの経歴の空白期、1938年の戦前最後の来日から43年9月のマッカーサー司令部心理作戦部赴任の間の軍歴が重要で、38年4月に在アフリカ英国軍軍事監視員、40年10月にはエジプト米陸軍武官としてアフリカ戦線に従軍、42年7月帰国後43年9月までは、ワシントンで戦略情報局(OSS)ドノヴァン将軍率いる米国心理作戦の中枢、計画本部のナンバー_4になっていた。 そこでのフェラーズは、対日工作のみならず対独工作を含む世界的規模での心理作戦立案にたずさわっており、その手腕が評価されてマッカーサーに招かれた。 つまり、米国の国益に沿ったグローバルな戦後世界の設計こそフェラーズの情報将校としての主任務であり、日本での天皇利用は、1942年6月「日本計画」に沿ったその一環であった。

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 第四に、小泉八雲をクエーカー教徒フェラーズに紹介した一色ゆり、フェラーズがマッカーサー宛「覚書」作成で頼った河井道は、必ずしも小泉八雲の崇拝者ではなかった。 河井道はもともと新渡戸稲造に学んだ教育者であり、新渡戸の晩年の英語著作『日本 その問題と発展の諸局面』(1931年)には「天皇は国民の代表であり、国民統合の象徴である」と、日本国憲法第1条と酷似した表現があった。太平洋戦争開戦時の米国対日作戦従事者は、小泉八雲や新渡戸稲造を含む膨大な英語での日本社会・文化の著作・論文を参照し、「敵国分析」として戦後日本のシミュレーションを体系的に進めており、有名な人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』は、そうした「敵国研究」の副産物だった。

したがって、「ハーン・マニア」フェラーズを、たんなる親日家・日本理解者とするのは誤解を生じる。 その天皇制保持・不訴追工作も、当時の米国心理作戦の一部と見るべきであり、米国有数の有能な情報戦エキスパートであったフェラーズの全生涯との関連で、歴史的に評価されなければならない。

-・-・-・-・-・-
1953年2月11日、河井道の最期の時が来た。 食道癌が体を蝕んでいた。 1年前から療養生活が続けられ、一色ゆりが一日も欠かさず病院に泊まり込んで看病した。 彼女の献身的な世話は5ヶ月に及んだという。昏睡状態に陥った道を取り囲むように多くの友人が、病室に、廊下に、階段に溢れていた。 彼らが歌う賛美歌の厳かな響きに包まれながら、午後7時10分、河井道は静かに息を引き取った。終生独身を通したが、数多くの精神の家族に囲まれていた。  天皇を救うことで日本を救った影の功労者として歴史に記憶される女性となった。  享年75歳。

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☛ ☞   “ クエーカー(Quaker) 

クエーカーの活動は、1650年代初めにイングランドで始まった。ジョージ・フォックスが創始者で、初期の少なくとも最も重要な役割を果たしたと考えられる。活動が拡大すると、反対と迫害を受けはじめた。クエーカーはイギリスの島々だけでなく植民地でも投獄され、殴打された。マサチューセッツ湾では信仰を捨てなかったために処刑されたクエーカーもいる(最も有名なのは、メアリ・ダイアーである)。迫害にもかかわらず、活動は急速に強く結びついた組織に成長した。彼らは友会徒として団結した。

クエーカーは信仰箇条のない宗教である。現代のクエーカーは、他の多くの宗派より神学について頭を痛めることは少ない。このことが友会徒のあいだに、原理主義から新世代の普遍主義まで幅広い神学理解を可能にしている。クエーカーは終末より現世に忠実であろうとする。 クエーカーの生活で多く見られる通り、質素な生活を実践することは、時を越えて行われてきたが、クエーカーの思想を形作る基本となっている。こうした基本は現在質素・平等・誠実の証言となっている。友会徒は話をするときと同様に衣服と外見に質素を実践している。

クエーカーは3つの関心事(華美を求める虚栄と優越、最新の衣装を着ようとする迎合、流行を追い求め装飾品に金を使う浪費を避ける事)と呼んで無地の服を着ていた。ある時代にはこの質素を実践することで、容易に友会徒を区別することができた。多くの人は今もクエーカーというと男性はつばの広い帽子に鼠色か茶色の服、女性は無地の服とボンネットを連想する。こうした明確な実践は、今日では殆どのクエーカーが行っていないが、基本はまさしく今まで通りクエーカーには重要であり、殆どの友会徒は、新しい方法で日々暮らしている。

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 ===== 新節へ続く =====

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