十字軍とテンプル騎士団=15=

❢❢❢ ソロモン神殿が聖地奪回への貧しき戦士たち = 第一部“十字軍”  ❢❢❢

12-25-1

◇◆  テンプル騎士団と第2回十字軍 ①  ◆◇

1118年、略奪を行いながら6か年を費やしてエルサレムへの巡行をなしたスエデーン王シグル1世(シグール)の中東情報に欧州諸国やキリスト教会は冷静な沈黙を守っていた。 事実、聖地エルサレムには聖地巡礼者が絶えることはなかった。 中東において建国された第一回十字軍残留者たちの十字軍国家などキリスト教徒と、群小の都市からなるイスラム教徒が共存する状態が続いていた。

1119年、第1回十字軍は“聖地の占領”に成功したものの、十字軍参加者の殆どは聖地奪還に満足して帰国してしまい、中東地域に残されたキリスト教勢力(十字軍国家)は不安定なものであった。 この事に憂慮して聖地の守護を唱えたフランスの貴族、ユーグ・ド・パイヤンのもとに9人の騎士たちが集まり、聖地への巡礼者を保護するという目的で活動を開始し、すでに活動していた聖ヨハネ騎士団修道会の例にならって聖アウグスチノ修道会(托鉢修道会)の会則を守って生活するという誓いを立てた。 エルサレム王国のボードゥアン2世は彼らの宿舎の用地として神殿の丘を与えた。 “神殿の丘”にはもともとソロモン王のつくった“エルサレム神殿”があったという伝承があった。 このことから彼らは、会の名称「テンプル騎士団」としてその活動を開始した。

12-25-2

 ユーグ・ド・パイヤンは、自分たちのグループもヨハネ騎士団のような騎士修道会として認可されたいと願い、当時の宗教界の大物であったクレルヴォーのベルナルドゥスに会則の作成と教皇庁へのとりなしを依頼した。ベルナルドゥスの尽力の甲斐あって1183年1月13日、フランスのトロアで行われた教会会議において、教皇ホノリウス2世はテンプル騎士団を騎士修道会として認可した。 当時のヨーロッパ貴族の間では聖地維持のためになんらかの貢献をしたいという意見が多かったため、テンプル騎士団はフランス王をはじめ多くの王侯貴族の寄進を得て入会者も増えた。 そして、 1139年に教皇インノケンティウス2世がテンプル騎士団に国境通過の自由、課税の禁止、教皇以外の君主や司教への服従の義務の免除など多くの特権を付与したことが、その勢力を拡大する契機となった。

また、テンプル騎士団はれっきとした托鉢修道会であったため、会憲と会則を保持していた。 会の発足時には改革シトー会の創立者で当時の欧州キリスト教界で強い影響力を持っていたベルナルドゥスの支援を受け、ベルナルドゥス自身が会憲の執筆を行ったことで知られる。 テンプル騎士団は各国に管区長(マスター)とよばれる地区責任者がおり、騎士団全体を統括するのが総長(グランド・マスター)であった。総長の任期は終身で、東方における軍事活動と西方における会の資産管理のどちらにも責任を負っていた。 テンプル騎士団は=騎士 – 重装備、貴族出身 / 従士 – 軽装備、平民出身 / 修道士 – 資産管理 / 司祭 – 霊的指導 の4グループから構成されていた。

12-25-3

 1145年、モースル」の太守ザンギーの反攻によって十字軍国家のエデッサ伯領が奪われたとの知らせがヨーロッパにもたらされた。 思いもよらなかった突然の凶報を受けたローマ教皇エウゲニウス3世は聖地救援の十字軍を呼びかけた。 この知らせにはプレスター・ジョンについての情報も含まれており、欧州の諸侯は、その救援も期待されたようである。 事実、東西からの挟撃でイスラエル勢力を駆逐しようとする動きも起きる。 その事件の詳細は以下のようであった。

ザンギーの父アーク・スンクルはシリア北部の大都市アレッポを任されていたが、半独立の動きを見せたため、1094年、シリア・セルジューク朝を立てたトゥトゥシュによって殺害された。 ザンギーは北メソポタミアの都市、モースルケルボガ(カルブーカ)によって育てられた。 1127年、バスラの司令官を勤めていた頃、セルジューク朝スルタンに対する反乱が起こった際、彼はスルタンに呼ばれて活躍した。 バグダードへ出兵したザンギーはマフムード2世を守って戦い、アル・ムスタルシドを破り宮殿に幽閉させた。 この功績によりモースルの太守に任命され、翌1128年当時モースルに付属するとされていたアレッポに入城し支配下に収め本拠とした。 彼はアレッポのかつての王、シリア・セルジューク朝のリドワーン王の娘で、以前のアタベク(領主)・イル・ガーズィーおよびバラクの未亡人だった女性と結婚しアタベクとなり、アタベク政権ザンギー朝を打ち立てた。 彼はマフムード2世より北メソポタミア(ジャズィーラ)とシリアにおける権威の保証を取り付け、大セルジューク朝に代わってシリアの十字軍からの奪還を進めることになる。 彼は十字軍に対する反攻(ジハード)を開始した。

12-25-4

 ザンギーは1144年の秋、ジョスラン2世が全軍とともにカラ・アスラーンと合流し、西の方ユーフラテス川のほとり、テル・バーシルまで略奪戦に出かけたと聞くやすぐさまエデッサ攻囲戦を開始し、街の北の「時の門」のそばに陣を張った。 街は庶民ばかりで軍隊はおらず、司教たちが指揮を執ることになった。 司教らはキリスト教徒のアルメニア人はザンギーに降伏しないだろうと期待していた。 エデッサは難攻不落の城塞であり市民は防衛に奮戦したが、誰も攻城戦の経験がなく城塞の守り方や守るべき要所を知らず、工兵が城壁下にトンネルを掘り始めてもなすすべがなかった。 度重なる休戦協定はエデッサ側の拒否で失敗に終わり、ザンギーは街の北の城壁の土台を取り除き、材木で支えて油や硫黄を一杯につめ、12月24日、ついに火を放った。

油は燃え上がり城壁は崩れ落ち、ザンギーの軍が侵入して城郭に逃げられなかった人々を虐殺した。 城郭は司祭の過失から固く閉まっており、殺到した群衆がパニックに陥り司祭も含む5,000人以上が圧死した。ザンギーは殺戮の中止命令を出してキリスト教徒の代表と話し合い、12月26日街はザンギーに明け渡された。アルメニア人やアラブ人のキリスト教徒は解放されたが、西洋人に対する扱いは過酷だった。 持っていた財宝は没収され、貴族や司祭たちは衣服をはがれて鎖につながれアレッポへと送られ、職人たちは囚人として各職種別に働かされ、残り100人ほどは処刑された。 ジョスラン2世はこの間遠くテル・バーシルにとどまったままであった。

この事件は十字軍国家を震え上がらせ、エルサレム王国のフールク王の未亡人メリザンドはヨーロッパに特使を送りその惨害と救援要請を訴えた。 これが第二回十字軍を招くことになる。 またムスリム世界ははじめての勝利らしい勝利に熱狂し、カリフはありとあらゆる美辞麗句に満ちた敬称を彼に与えた。 しかし、ザンギーはエデッサ伯国の残る東のほうの領土やアンティオキア公国など十字軍国家の駆逐を開始するかと思いきや、翌1145年、またもバールベクに戻りダマスクス攻城戦の準備を始めた。 しかしジョスラン2世の残存勢力がエデッサの奪回を狙っていると聞くと再びエデッサに戻り協力者たちを処刑し、かわりにユダヤ人たちを居住させた。 またモースルの政情不安や、ジャズィーラの領主たちに反抗の意思があるなど、しばらくは北にとどまらねばならない状態だった。 そして、1146年9月、幕営で酒を飲んで寝ているところをヤランカシュという西洋人奴隷に暗殺され、突然生涯の幕を閉じたのだが・・・・・。

12-25-5

 急遽、ヨーロッパ派遣されたエルサレム王国の国王未亡人メリサトの特使は、ローマ教皇に援軍派遣要請を訴え、有力な諸侯にも聖地静定の支援を説いて回った。 この切実な現状にローマ教皇の頼みで、シトー修道会の高名な神学者であり名説教家として知られていたクレルヴォーのベルナールが救援軍勧誘説教を行い、フランス王ルイ7世と王妃アリエノール、ドイツ王コンラート3世、シュヴァーベン公フリードリヒ(後の皇帝フリードリヒ1世)の他、第一回十字軍には及ばないものの多数の貴族、司教の参加者を得た。 さらに庶民も熱狂し参加する。 この様子に、ベルナルドゥスは教皇に宛てた手紙で、「一般庶民男子の8割が参加し、女しか残っていない。後家さんだらけだ。」と報告している。

ベルナルドゥスは騎士修道会(テンプル騎士団)の心身両面での戦いを評価しており、聖地への巡礼と異教徒との戦いを通じて贖罪を行い、それを経た後に各人が世の中に福音を伝えることを、この十字軍の宗教的目的として構想していた。 彼の果たした影響のため、この十字軍は「聖ベルナールの十字軍」とも呼ばれことに成る。

 

 ===== 続く =====

前節へ移行 ; https://thubokou.wordpress.com/2015/12/24/

後節へ移動 ; https://thubokou.wordpress.com/2015/12/26/

※ 本文下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行

                         *当該地図・地形図を参照下さい

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

ブログランキング・にほんブログ村へ クリック願います 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中