十字軍とテンプル騎士団=29=

❢❢❢ ソロモン神殿が聖地奪回への貧しき戦士たち = 第一部“十字軍”  ❢❢❢

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◇◆ 国王ルイ9世のエルサレム奪還への興味 ◆◇

1229年の第6回十字軍によりエルサレムはキリスト教勢力の手に戻り、10年の休戦が結ばれたが、アイユーブ朝のアル=カーミルの死後6年目の1244年、エジプトのアイユーブ朝に雇われたホラズム兵であるイスラム教勢力にエルサレムは攻撃されて、あっけなく陥落した。 キリスト教徒2000人余りが殺された。 これに対する西欧の反応は、1187年の陥落と比べて遥かに少なかった。 神聖ローマ帝国皇帝でエルサレム王でもあるフリードリヒ2世はローマ教皇と対立しており、イングランド王ヘンリー3世もシモン・ド・モンフォールらの“第二次バロンの乱”の対応で忙しく、十字軍には関心を示さなかった。

西欧は第1回十字軍のころと比べて格段に豊かになっており、命や財産を失う危険を払ってまで聖地を取り戻そうとする宗教的情熱は人々の間から失われつつあった。 また十字軍国家も、ある程度の共存が成立していたイスラム勢力との関係が十字軍によって悪化することを恐れ、軍の派遣を望まなかった。

しかし、当時西欧一の実力を誇ったフランス王国の国王ルイ9世は、エルサレム奪還に強い興味を示した。 彼は、後に列聖されるほど信心深かったルイ9世は、母ブランシュや重臣の反対を押し切って十字軍を起こすことを決めた。 1248年にルイ9世(聖王ルイ)が十字軍を起こす。 ルイも第5回や第6回と同じくイスラム教国中最大の国家であるエジプトへと遠征し海港タミエッタを占領するが、さらに南の首都カイロを目指す途中の1250年2月に“マンスーラの戦い”においてアイユーブ朝のサリーフ(サラディン2世)に敗北して捕虜になった。 交渉途中にサーリフは死亡し、サーリフの遺児の政権は軍人集団のマムルークのクーデターによって打倒され、新たに成立したマムルーク朝にルイは莫大な賠償金を要求する。 ルイ9世は公要求に従い釈放さるのだが、その経緯は・・・・・・・・。

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 ルイ9世 (フランス王)は、1226年に父ルイ8世の死により12歳で即位したが、母ブランシュの摂政下にあった。 ブランシュは優れた政治手腕により、アルビジョア十字軍(前節参照)を終結させるなど、諸侯の反乱を抑えた女傑であった。 1229年、ルイ9世はプロヴァンス伯レーモン・ベランジェ4世の長女マルグリットと結婚し、親政を始める。

プロヴァンス4姉妹;ヘンリー3世 (イングランド王)の妃エリナー・オブ・プロヴァンスはフランス王ルイ9世(聖王)マルグリット・ド・プロヴァンスの妹であるため、ヘンリー3世とルイ9世は義理の兄弟(相婿)関係にある。 さらに下の妹サンシーとベアトリスは、コーンウォール伯リチャード(一時的にドイツ王)、ルイの弟シャルル・ダンジューシチリア王)と結婚しており、興味深いことに彼女たちは全員が王妃となっている。 この時代のイングランド王家とフランス王家を中心にした欧州列強の関係がわかる。=

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 フランス西部に位置するボワチエのラ・マルシェ伯ユーグ10は、父ユーグ9世の元婚約者でイングランド王ジョンの未亡人だったイザベラと再婚していた。 イザベラはイングランド王ヘンリー3世の母であり、イングランドでは王太后扱いを受けていた。 しかし、ルイ9世の弟アルフォンスへの「臣従の誓い」の際に単なる臣下の妻として扱われた為、これを侮辱だと激怒し、夫と息子ヘンリー3世を扇動して、1241年にポワチエで反乱を起こさせた。

 しかし、ルイ9世が鎮圧を始めると配下の城は次々と降伏し、これを見たイングランド諸侯はヘンリー3世を見捨てて勝手に英国に帰国した。 ユーグ10世夫妻は降服したが、比較的寛大な条件で許され、ヘンリー3世は大陸に所有していたガスコーニュを占領されたが、以前失っていたノルマンディーやアンジューを正式に放棄する代わりに、ガスコーニュの領有を認められるという寛大な条件で和解している。 また、地中海に面する勇国アラゴン王国ハイメ1世も含めて和平協定を結ぶなど、1243年以降、ルイ9世の在位中、フランス国内外の平和が続いていた。

国内外の平和を取り戻すと、ルイ9世はかねてから悲願の十字軍の遠征を計画し始めた。 1244年にエルサレムは再びイスラエル教勢力により陥落していたが、神聖ローマ帝国フリードリヒ2世はローマ教皇インノケンティウス4世と対立しており、義弟イングランド王ヘンリー3世は国内の反乱の対処で忙しく、西欧で十字軍に行ける余裕があるのはルイ9世だけだった。 第1リヨン会議で十字軍遠征が検討され、ルイ9世もこの会議に参加していた。

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 ===== 続く =====

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