十字軍とテンプル騎士団=30=

❢❢❢ ソロモン神殿が聖地奪回への貧しき戦士たち = 第一部“十字軍”  ❢❢❢

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◇◆ 第7回十字軍 聖王ルイの決心 ◆◇

前記のごとく、1229年の第6回十字軍によりエルサレムはキリスト教勢力の手に戻り、10年の休戦が結ばれたが、 1244年に再びアイユーブ朝に雇われたホラズム兵を中核とするイスラム教勢力により陥落した。 これに対する西欧の反応は、1187年の陥落と比べて遥かに少なかった。 神聖ローマ帝国皇帝でエルサレム王でもあるフリードリヒリヒ2世はローマ教皇と対立しており、イングランド王ヘンリー3世(ルイ9世と義理の兄弟)も国内の反乱への対応で忙しく、十字軍には関心を示さなかった。

西欧の諸侯は第1回十字軍のころと比べて格段に豊かになっており、命や財産を失う危険を払ってまで聖地を取り戻そうとする宗教的情熱は人々の間から失われつつあった。 また、第1回十字軍が各地に建国した十字軍国家も、ある程度の共存が成立していたイスラム勢力との関係が十字軍によって悪化することを恐れ、軍の派遣を望まなかった。 しかし、当時西欧一の実力を誇り、信仰心の極めて高いフランス王国の国王ルイ9世は、エルサレム奪還に教徒としての義憤に、母や重臣の反対を押し切って十字軍を起こすことを決めた。

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 ルイ9世が遠征の準備を開始するに遡る1244年、上記の通り聖地の領有者はキリスト教勢力からイスラーム勢力へと移り変わった。 十字軍勢力はエジプトをイスラーム勢力の要塞・武器庫と見なし、エルサレム奪還の障害と考えていた。 また、1245年の第1リヨン公会議において、ローマ教皇インノケンティウス4世は、ルイ9世が準備を進めていたエジプトの攻略とエルサレムの奪還を目的とする十字軍への全面的な協力を約束、更にまた、第1リヨン公会議においてはヨーロッパに勢力を拡大するモンゴル帝国への対策も協議され、モンゴルの君主に改宗を説く使者の派遣が決定された。 対イスラーム諸国の同盟を提案し、東西からのイスラーム勢力の挟撃を試みたのである。

1246年に教皇が派遣したプラノ・カルピニのジョンとベネディクトはモンゴル帝国のハーン(君主)・グユクに謁見するが、グユクはキリスト教世界からの使者に対して、教皇が直接モンゴルの宮廷に出頭し、臣従を誓うよう返答(1253年)したのである。

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 1248年、悲願の十字軍を編成したルイ9世の軍団はエーグ=モルトとマルセイユから出航した。 弟のトゥールーズ伯アルフォンス、アンジュー伯シャルル、アントワ伯ロベールなど2万ばかりの軍勢をルイ9世が引きつれ、海路でキプロスに到着した。 キプロス島においてルイ9世はモンゴル帝国の使者と面会し、返礼の使者をモンゴルとイランに派遣した。 また、現地諸侯らを集めて会議を開き、目的地を討議すると、ラテン帝国(十字軍国家の一つ)からはニケーア帝国(東ローマ帝国の皇族達が建てた亡命政権の一つ)の攻撃を要請され、アンティオキア公テンプル騎士団からはシリアを攻めることが提案されたが、ルイ9世はエルサレムを確保した上で維持するためにはエジプトを攻撃して占領することが必要だと判断した。

1249年にルイ9世の弟であるアンジュー伯シャルル(シャルル・ダンジュー)とアルトワ伯ロベールに率いられて軍団はエジプトに向かった。 艦隊はエジプトの領海に進入し、1249年6月に海港ダミエッタ(前節参照)に上陸、攻撃をしかけた。 ダミエッタに陣を構えていた将軍ファフルッディーン・ユースフの守備隊が退却すると、恐怖で混乱したダミエッタの住民は町から逃げ出し、指揮官と兵は混乱の中で街を放棄した。 翌日、十字軍は容易にここを占領する。 上陸の翌日にルイ9世はダミエッタの完全占領を布告した。 ダミエッタ陥落の報告が届くと、アイユーブ朝のカイロから戒厳令が発せられ、エジプト全土が臨戦態勢に入った。 しかし、ナイル川の氾濫により6ヶ月ここで足止めを食うことになる。

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 十字軍側ではナイル川の増水期を間近に控えた状態で進軍を続けるか、待機するかが議論される中、アイユーブ朝のスルターン(君主)・サーリフが十字軍にダミエッタの返還を条件としてエルサレムの譲渡を申し出た。 しかし、第7回十字軍を主導していたフランスの王侯は食料の運搬に適した港のあるアレクサンドリアを次の目標として考えており、アルトワ伯ロベールがカイロ攻撃を主張していた。 ルイ9世はサリーフの申し出提案を一蹴し、弟の意見を採りカイロへの進軍を決定する。 ナイルの増水期をやり過ごすことが決議され、後続のポワトゥー伯アルフォンスが十字軍に合流した。 ナイルの減水期を待ったルイ9世は、11月下旬を目標にカイロに向けて進軍を開始する。

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 ===== 続く =====

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