十字軍とテンプル騎士団=43=

❢❢❢ ソロモン神殿が聖地奪回への貧しき戦士たち = 第一部“十字軍”  ❢❢❢

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◇◆ テンプル騎士団の終焉 ◆◇

  ローマ教皇クレメンス5世は、委員会を設置し、テンプル騎士団の再調査を行わせていた。 騎士団の最高幹部達は、死刑の判決を受けてはいた。 先年の1312年、教皇クレメンス5世はフィリップ4世の意をうけて開いたヴィエンヌ公会議で正式にテンプル騎士団の禁止を決定していた。 また、騎士団の活動禁止の通告をローマ教皇の名の下に布告をもしていた。 しかし、フランス以外の国においてもテンプル騎士団の活動禁止の布告は効果はなかった事実を知る。 たとえばポルトガルでは国王が逮捕を拒否し、「キリスト教団」という名前での存続が認められていた。 カスティリャとアラゴンでもテンプル騎士団に対する弾圧は一切行われなかった。 ドイツとキプロス島では、裁判までは行われたが証拠不十分で無罪の判決が下されている。 また、教皇庁と対立していたロバート1世の治めるスコットランドはそもそも教皇の決定など意に介していなかったので、同地でも騎士団は弾圧を免れていた。

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 しかし、再調査の結果や新しい実証資料基づいても、フランス国内のテンプル騎士団への異端審問の最終判決「終身刑」を覆することはできなかった。 また、ローマ教皇にはフランス王を諫める政治力はもともとなかったのである。 しかし、ここで劇的な事件が起こる。 テンプル騎士団の資産の没収を終えたフィリップ4世は、口封じのために 1314年、投獄されていた4人の指導者たちを異端審問の場に引導して処刑を指示した。 最終判決が下ったのである。 と同時に、突如、総長のジャック・ド・モレーが立ち上がり、堂々と無実を主張したのである。 大幹部のジョフロワ・ド・シャルネーも後に続いた。 驚く群集の前で、彼は、はっきりとした口調で言った。

「我々は無実である。騎士団は神聖で、規則はカトリックの教義に則ったものだ。我々の唯一の罪は、拷問に耐えかねて嘘の自白をしてしまったことだけである!!」

二人は、ただちに「再堕落」の罪で、火あぶりを宣告された。

1314年。二人は、火あぶりとなった。 なるべく苦しんで死ぬようにと、火はゆっくりと燃やされた。 しかし、二人は最後まで、神を称え、騎士団の神聖さを主張し、無実を叫び続けた。 いまわの際に、異端者が、こんなことをするのだろうか?
それを見ていた群集達は、口々に騎士団の無実を叫びはじめた。 彼らは神を称え、騎士団の無実を信じると叫び、フィリップ4世を呪った。 そして、火が消えると、彼らは火刑台へと殺到した。 警備兵を押し倒し、我先にと灰の中から遺骨を拾おうとしたのである。 そう、「殉教者の聖遺物」を手に入れようと……。

その後、人々を驚愕させることが起こる。 この処刑から、わずか1ヵ月後に、教皇クレメンス5世が死去。
わずか9ヵ月後にフィリップ4世も死去するのである。

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 ここで、有名な伝説がある。 ジャック・ド・モレーは、火に包まれながら、「1年以内に、教皇とフィリップ4世と宰相ノガレ、そしてマリニーを、神の法廷に呼び出してやるぞ!」と叫んだという。 それから1ヶ月後、教皇は不思議な病気で悶死。 フィリップ4世は、森で狩をしているときに、靄の中から頭に光輝く十字架を付けた不思議な鹿を見た。 その直後、体が麻痺して落馬し、その数日後に死んだ。 フィリップ4世の手下となった宰相ノガレは、悪臭を放つ奇怪な蝋燭の側で失神しているところを発見され、その翌日に死んだ。

フィリップ4世のもとでインチキ宗教裁判をしたマリニー大司教は汚職がばれて、絞首刑となった……。

しかし、これは伝説にすぎない、と歴史学者達は主張している。 たしかに、教皇とフィリップ4世の急死は事実だ。 マリニーが汚職がばれて絞首刑となったのも事実である。 だが、歴代の教皇やフランス王達の悲惨な生涯を見てみると、この二人は安らかな死を迎えた部類に入るという。 あと、宰相ノガレの死は、ジャック・ド・モレーが火炙りになる1年前の1313年である。 そして、モレーが「神の法廷に呼び出してやる」と言ったという記録は無い。後世に作られた話しである。
だが、それにしても、教皇とフィリップ4世の急死、マリニーの惨めな末路は、あまりに出来すぎている。

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 しかしながら、テンプル騎士団は第22代の総長ジャク・ド・モレーの火あぶりをもって解体した。 14世紀初頭である。 解体の理由はテンプル騎士団が秘儀に耽り、男色を奨励し、魔法をつかったというもので、いわば魔女扱いならぬ魔男扱いをされたせいである。 金融活動や職人組合をはじめとする各種の互助会活動に目がつけられたとも憶測されている。 いずれにしてもテンプル騎士団の全財産は没収され、ヨハネ騎士団に移される。
そのぶん、この騎士団にまつわる精神的理念は生き延びて行った。 更に、テンプル騎士団のあることないことの伝説がヨーロッパ中を席巻し、そこから例の鉄仮面物語、怪傑ゾロ伝承の原型、三銃士物語の原型などが派生した。 選ばれた人々はテンプル騎士団の「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」の5つの基本理念が現代までも受け繋がれて、友愛結社“フリーメーソ”の血流が絶えることはない。

今日のシリア・ISIS問題はイスラム教徒Vsキリスト教徒との問題である。 十字軍にて顕著化した問題である。 1000年以上の時間の中で戦い続け、いまだに出口なき闘争である。 1000年前、聖地エルサレムの防衛とキリスト教巡礼者の保護・支援を目的として創設されたローマ・カトリックの修道会には中核として、テンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団として存続)、ドイツ騎士団があった。 これらの騎士団が足跡を次回から追っていこう。

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===== 続く =====

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