十字軍とテンプル騎士団=45=

❢❢❢ ソロモン神殿が聖地奪回への貧しき戦士たち = 第一部“十字軍”  ❢❢❢

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◇◆ テンプル騎士団の発展  ◆◇

テンプル騎士団は、その後も、リチャード獅子心王の封臣を総長とした第3回十字軍、イノケンティウス3が発動した第4回十字軍、エルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌがエジプトを攻撃した第5回十字軍、フリードリヒ2登場後の第6回十字軍というふうに、平均して10年おきに行軍に加わっていく。

けれども、テンプル騎士団の軍事的成果はつねに乏しいままだった。 にもかかわらず、それは軍隊としての軍事訓練と軍事作戦に一日の長がなかったというだけで、とくに不名誉なことではなかったというところに、この騎士団の宿命的ともいうべき歴史上の独自性がひそんでいた。 まるで10年おきに結成されては全滅していく白虎隊のようなのだ。 殉死が目的であったわけはない。 それは結果にすぎず、テンプル騎士団の名声はむしろ別なところにあった。 名声はその神秘的な組織性と象徴性にあったのだ。

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 因みに、テンプル騎士団の騎士たちの強さと勇敢さは伝説的なものであった。 特に1177年の“モンジザールの戦い”でサラーフッディーン率いるイスラーム軍を撃退し、フランスのフィリップ2世やイングランドのリチャード獅子心王とも共闘した。 イベリア半島でも対ムスリム勢力戦に従事して、その勇名を不動のものとした。 しかし、数々の特権を受けて肥大化していく騎士団に対し、地域の司教たちやほかの修道会からの批判の声が聞かれるようになった。 それだけでなく、後述するように一切の課税を免除され、自前の艦隊まで有して商業活動や金融活動を行っていた騎士団は、商人や製造業者たちの敵意を受けるようになっていった。

=“モンジザールの戦い” : アイユーブ朝エルサレム王国によって1177年11月25日に戦われた。 この戦いではハンセン病を病んでいた16歳のエルサレム王ボードゥアン4世がアイユーブ朝のスルタンサラディンの大軍に数の上で圧倒されていたキリスト教軍を率いていたが、ボードゥアンはイスラム軍を敗走させ、イスラム軍の損害は甚大でなんとか逃げおおせたのはわずかだった。 テンプル騎士団の500名ほどの騎士たちが数千名の歩兵を援護し、サラディンの軍勢の26,000名以上の兵士を打ち破った。

この戦いは、ボードゥアン4世と、最近巡礼に到着していたフィリップ・ダルザスはエジプトへの海軍による攻撃のためにビザンツ帝国との同盟を計画したが、うまくいかなかった。 一方、サラディンはエジプトからエルサレム王国への侵攻を計画した。 サラディンの計画を知ると、ボードゥアン4世は、僅か375人の騎士と共にエルサレムへと発ったが、サラディンの送った26000人の兵によって足止めさせられた。

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 ボードゥアンに同行していたのはトランスヨルダンの主で、昨年にアレッポでの虜囚から解放されたばかりのルノー・ド・シャティヨンだった。 ルノーはサラディンの荒々しい敵であり軍の有能な指揮官で、ハンセン病を患っていたボードゥアン王と指揮権を個人的に分け持っていた。 また軍にはテンプル騎士団総長ウード・ドゥ・サン・アマン、ボードゥアン・ディブランとその兄弟バリアン・ディブラン、ルノー・ド・シドン、エデッサ伯のジョスラン3世もいた。 他のテンプル騎士団軍はアスカロンで合流しようとしていたが、ガサでイスラム軍による包囲を受けていた。

ボードゥアンは少数の兵士で敢えて自身を追わざるをえなくなると考えたサラディンはエルサレムへの行軍を続けた。 サラディンはラムラ、ロード、そしてアルスフを攻撃し、ボードゥアンは彼にとって危険な存在でなかったために軍に広域への分散を許して略奪をさせた。 しかし、サラディンが知らないうちに王を威圧するために残していた軍は不十分になってしまい、ボードゥアンとテンプル騎士団はサラディンがエルサレムに到着する前に食い止めようと進軍した。

王率いるキリスト軍は海岸沿いにイスラム軍を追跡し、最終的にラムラ近くのジザルディ山(Mons Gisardi)で敵を捕捉した。 サラディンは完全に隙を突かれた。 彼の軍は無秩序で、隊列を作っておらず長い行軍で疲れていた。 イスラム軍はパニックに陥りつつも敵に対して戦列を形成するために急いで集まった。 しかし、それとは対照的にキリスト教軍は完全に平静だった。 ボードゥアン王は兵の正面に聖遺物の真の十字架を掲げるよう命じた。 少年の体を既に酷いハンセン病に蝕まれていた王は十字架を前に馬に助けられて両かかとを地面につけた。 彼は神に勝利を祈り、軍からの歓声を受け立ち上がった。 サラディンの軍が準備をしていると、ボードゥアンは砂上を渡って攻撃を仕掛けた。

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 エルサレム軍は大急ぎで隊列を作っていたイスラム軍を粉砕し、大損害を与えた。酷い傷と爛れを覆う包帯を手に巻いたまま戦った王は戦いの真っ只中に身を晒し、サラディンの軍はすぐに圧倒された。サラディン自身だけが競争用のラクダで逃げて捕虜になるのを避けられた。 ボードゥアン王の勝利は完全なものだった。彼は侵攻軍を完全に撃滅し、サラディンの輜重を鹵獲してその甥のアフマドを戦死させた。 ボードゥアンはサラディンを夜になるまで追撃してアスカロンへと戻った。 10日の大雨でずぶ濡れになり、近衛兵のマムルーク(傭兵)たちを含む軍のおよそ90%を失ったサラディンはその途上ベドウィンによる襲撃にも困らされつつ、ほうほうの体でエジプトへと逃げ帰った。 彼と共にエジプトに帰ることができたのは軍のわずか一割に過ぎなかった。

テンプル騎士団はれっきとした修道会であったため、会憲と会則を保持していた。 会の発足時には改革シトー会の創立者で当時の欧州キリスト教界で強い影響力を持っていたクルヴォーのベルナルドゥスの支援を受け、ベルナルドゥス自身が会憲の執筆を行ったことで知られる。 テンプル騎士団は各国に管区長(マスター)とよばれる地区責任者がおり、騎士団全体を統括するのが総長(グランド・マスター)であった。 誰が総長になるかということが、当時の騎士道の全幅の条件に照らされて決定された。 総長は側近プリュドム(賢者)、従軍司祭、蹄鉄従士、歩卒などによって守られる。 かれらこそ殉死を覚悟の親衛隊である。

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 騎士団メンバーはすべて修道騎士である。 すなわち修道僧。 ただし延暦寺の荒法師のような連中ではなく、厳格な規律戒律を実行することに誇りをもっている。 とくに総長に対しては有期契約による絶対服従を誓った。 その総長が健康その他の不如意で執務につけない場合は、互選によってセネシャルという総長代行がつく。 全員が特異な城館に住んでいたことも噂になった。 信仰共同体であり、精神軍事組織なのである。おまけにマントは白く、制服は黒または茶の同型衣。 朝は「主の祈り」を13回唱え、各時課に7回、晩課に9回を祈り、いくつかの特殊な”マントラ”をもっていた。 その他の生活は軍隊式である。

騎士団は各地に支部をもち、それぞれ下部組織コンフレリー(信心会)と騎士団領と馬と船を持っていた。 民間からはこのコンフレリーに入りたがる者が続出したという。 テンプル騎士団は以下の4つのグループから構成されていた。 騎士 – 重装備、貴族出身 / 従士 – 軽装備、平民出身 / 修道士 – 資産管理 / 司祭 – 霊的指導 である。 通常、1人の騎士には10人ほどの従士がついていた。 さらに一部の修道士は資産管理業務を専門としていた。 テンプル騎士団は十字軍従軍者の資産を預かる業務も行っていたが、あくまで主目的は戦闘にあったのである。

騎士団の入会儀式では、入会への意志の固さが問われ、秘密儀式が行われていた。 入会式の全容が秘密とされたことが後に騎士団を異端として告発するにあたって利用された。 しかし秘密儀式といっても、実際には通常の騎士団のような誓いや、修道会のような清貧・貞潔・従順の誓いを立てていたにすぎなかった。 上級騎士たちは決して降伏しないことを誓い、戦死こそが天国の保障であると考えていたとされる。 時と共に、テンプル騎士団は入会者や各地の信徒から寄進を受けることで資産を増やしたが、その資産を用いて聖地や中東地域に多くの要塞を配置し、武装した騎士を常駐させた。

このような戦士としての士気の高さ、熱心に行われた鍛錬と十分な装備などがあいまって中世最強の騎士団と呼ばれるほどに成長して行った。 のみならず、騎士団とコンフレリーの全体はきわめて多様な経済活動をしていたようで、各地で市を開催するほか、ブドウ酒やパンやチーズなどの独自の自製品を大量にもち、かつ独自の貸付制度や為替手形のような制度も発案して、金融にも手を広げていた。

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===== 続く =====

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