十字軍と騎士修道会・騎士団=52=

❢❢❢ ソロモン神殿が聖地奪回への貧しき戦士たち = 第二部“騎士修道会”  ❢❢❢

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◇◆ 宗教改革以後のマルタ騎士団  ◆◇

  ドイツ騎士団とは、ローマ・カトリック協会の公認した騎士修道会の一つである。 正式名称はドイツ人の聖母マリア騎士修道会(Ordo domus Sanctae Mariae Theutonicorum Ierosolimitanorum、/ Orden der Brüder vom Deutschen Haus der Heiligen Maria in Jerusalem)。 英語では Teutonic Order と呼ばれ、日本ではその訳語であるチュートン騎士団でも知られている。 12世紀後半、聖地パレスチナに巡礼するキリスト教信者の護衛と病院設立の目的で設立された。 そのメンバーは、中世には十字軍の騎士修道会とし任務していたので、一般的にはチュートン騎士として知られていた。 テンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団と共に、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つに数えられる。

ドイツ騎士団は、聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団よりも遅れて十二世紀末に設立されたため、イスラム教徒によって再支配された聖地では思わしい成果を達成できず、十三世紀になると東欧に新たな目標を求め、ヨーロッパ東部に活動に拠点を移っして行った。 プロイセンに残る異教徒を北方十字軍の名目で征服し、ラトビアのキリスト教化を行っていたリヴォニア帯剣騎士団を吸収し、プロイセンなど統治し、東方移民の先駆けとなる。

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 ドイツ騎士団は、バルト海南岸に騎士団国家「ドイツ騎士団国」を築き上げる。 しかし、ドイツ騎士団はポーランド王国と対立し、十五世紀にタンネンベルクの戦いに敗れて衰えていき、十六世紀に騎士団総長がルター派に改宗して、騎士団国家は世俗の領邦のプロイセン公国と変貌していく。 十三世紀中期のジンギス・カーンの孫・バトウが率いる蒙古帝国の軍団がウィーン近郊まで侵攻して来た折に矢面に立ち、十四世紀にはロシア・ツァリーとの攻防でも活躍して租存在価値を欧州一円に誇示した歴史を持つ騎士団であった。

1143年、クレスティヌス2世(ローマ教皇)は、ホスピタル騎士団(聖ヨハネ騎士団→マルタ騎士団)にエルサレムのドイツ病院の運営継承をさせた。 教皇は、ホスピタル騎士団の前身となる兄弟に、常にドイツ人であれと命じた、それは12世紀のイスラエルのエルサレムでドイツ伝統の宗教施設が繁栄できるだろうと。 12世紀後半、第3回十字軍の初戦“アッコンの包囲戦”(前節参照)の中、ドイツ北部の港湾都市ブレーメンとリューベック出身の商人が野外病院を作り、第3回十字軍の一員としてパレスチナに赴いたドイツ出身の戦士たちを保護するため、アッコンに1190年にエルサレムの“ドイツ人の聖母マリア病院修道会”が設立され、1191年にローマ教皇クレメンス3世は公認した。

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 この年に、アッコンはエルサレム王国の臨時首都となり、修道会は教皇庁の保護下に置かれた。 その後、テンプル騎士団のモデルを基盤に、1198年に軍事命令へ変容し、騎士団の団長はドイツ騎士団総長 (magister hospitalis)となった。 そして、1199年 ローマ教皇イノケンテイウス3世(前節参照)がドイツ騎士団を騎士修道会として公認した。 修道会は教皇から、エルサレムをキリスト教徒のために奪回し、イスラム教徒から防衛するという十字軍への参画命令を公式に拝命した。

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 ドイツ騎士団は、モスリムのサラーフッディーンに抵抗し聖地をキリスト教で保持するよう教皇の命令を受け、第4代騎士修道会総長ヘルマン・フォン・ザルツァ時代(1209–1239年) に、医療奉仕団から騎士修道会のメンバーになった。 その時、騎士団は神聖ローマ帝国(現ドイツ、イタリア)、ギリシャの領土、エルサレム王国の土地を寄付され、ドイツ南部のパート・メルゲントハイムが1229年に騎士団の居住地となった。 また、前年の1225年、皇帝フリードリヒ2世は、友人のヘルマン・フォン・ザルツァにフェルスト(Reichsfürst;諸侯・貴族の爵位)の位を与え、フリードリヒ2世のエルサレム国王としての戴冠式(エルサレム市内の聖墳墓教会にて挙行)の折、ドイツ騎士団が護衛した。

しかし、ザルツァはドイツ語とフランス語で皇帝の宣言を読み上げたがウトラメール(レバント十字軍国家群の総称)でドイツ騎士団はテンプル騎士団やホスピタル騎士団のように影響力は無かった。

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 ===== 続く =====

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