草原の王国・回鶻可汗国 = 01 =

❢❢❢ 知略で異民族と共栄した草原の民回鶻 / ウイグル“ ❢❢❢  

= 回鶻 / /ウイグル() は、4世紀から13世紀にかけて中央ユーラシアで活動したテュルク系遊牧民族 =

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草原の歴史俯瞰 《一》
ウイグル((维吾尔) は、4世紀から13世紀にかけて中央ユーラシアで活動したテュルク系遊牧民族並びにその国家 及びその後裔なのですが・・・・・。

・ ウ ィ グ ル 族

ウイグル族は、新彊ウイグル自治区で圧倒的に多数を占める民族で、1990年における中国全土のウイグル族の人口は、720万7024人であるが、1997年では、新彊ウイグル自治区における人口だけでも839万9393人です。 カザフスタン領の約30万人をはじめ、旧ソ連領にも相当の人口をかかえている。 これは、19世紀後半以降、特定の政治的条件に応じて、中国領からロシア領・ソ連領にかなりの規模で移住したものです。

歴史的に見ると、ウイグル族は20世紀前半に、中国領内の中央アジアのオアシス地域に広範囲にわたって居住するチュルク系イスラム教徒が、古代のウイグルの名称に因んでウイグルという呼称のもとに、1つの民族とみなされたものである。 遊牧のウイグル族集団は、解体・分散したのち、その一部はトゥルファン盆地を中心とするタクラマカン砂漠周縁オアシス地域の東部に移住し、定着していった。

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 このような動向が、中央アジア・オアシス地域のトルコ化につながったのであるが、そういう意味で、現在のウイグル族が彼らの子孫であるといっても、あながち間違いとはいえないでしょう。 またイスラム化の完了後、遅くても16,17世紀には、チュルク丞言語を話し、イスラム教を信仰する、言語、文化、宗教、社会などのあり方においてほぼ共通する特徴を持つ人々の社会が、現在のウイグル族に直接つながるような形で、東はコムルから西はカシュガルに至るまでのオアシス地域で成立していたと推定される。

しかし、16~17世紀にウイグルという語が、彼らの自称として使用された形跡はない。 現在のウイグル族に相当する範囲の集団を、1つの民族と考えて「われわれ」とみなすような意識が、同時期のオアシス住民にあったかどうかも定かではない。 だが、ウイグルという民族区分と民族呼称は、1930年代に当時の中華民国の新彊省政府によって採用され、その後、同様に中華人民共和国の民族政策のなかでも踏襲されることを通じて、しだいに定着していった。 現在、このような枠組みに沿った集団としての意識が固定化・内面化していることは間違いないのです。

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 ウイグル族は、タクラマカン砂漠の周縁に点在するオアシス地域に居住しており、おもにオアシスでの灌概農業に従事している。 そのため、現在でも農村人口が多数を占めている。 トゥルファン盆地では、掘り抜き井戸をつらねたカレーズと呼ばれる地下水路が発達し、灌概に利用されている。 農産物としては、コムギ、コメなどの穀物をはじめとして、メロン、スイカ、イチジク、ザクロ、アンズ、ブドウなどの果実が豊富に生産されている。 これらの果実は、商品作物としてバザール一市場で取引される。 主食は、高熱にしておいたカマの内部の側面に貼りつけて焼くナンという長円形の平たいパンである。 また祝宴などでは、ヒツジの脂で、肉、ニンジン、干しブドウなどを妙め具にし、コメを炊き上げたポロというご餌料理もよく食べる。

他方、都市部では手工業や商売を営む人々が見られる。 とくにカシュガル市には、手工業の集中地区が現在でも残存しており、金物、道具、ドッパと呼ばれる帽子、サンドゥクという箱などをつくる伝統的な職人たちの巧みな技を見ることができる。 この職人街は、迷路のようなイスラム都市的街並みとともに、カシュガル市の独特な都市景観を形づくっている。

現在使用されている言語は、現代ウイグル語である。ウイグル族は古くから、チュルク系言語に基づく特有の文化を育んできた。 とくに、20世紀以前の中央アジア世界で書写語として通用したチャガタイ語により、多数の文学作品が創作された。 いわゆるカーシュガル・ホージャ家をはじめとするイスラム聖者の伝説や、清王朝治下の19世紀後半に発生した反乱での諸事件に関する記録などは、当時のウイグル族の社会・文化の実態、精神世界の様相を知るうえで貴重な材料である。

中華人民共和国の時代に入ると、民族政策のなかで、民族言語としての現代ウイグル語がしだいに確立されてきた。 現在でもチュルク至言語は、家庭内の日常生活をはじめとして、ウイグル族社会内部で、また文化面において優越した地位を維持している。 ただし、政治的な場面や都市における社会生活においては、漢語の使用が必要とされる状況にあることも否定できない。

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 宗教は、全民族的にスンニー派のイスラム教を信仰している。 中華人民共和国における世俗的な教育の実施など、宗教に対する否定的な政策にもかかわらず、とくに南部新彊では、イスラム教は日常生活の指針となり、彼らの精神世界の主軸を構成している。 いうまでもなく、日々のモスク(イスラム教寺院)への礼拝が励行され、イスラム教の2大祭りも盛大に挙行されている。

その2大祭りとは、ローザ節とクルバン節とそれぞれ呼ばれている祭典である。

ローザ節は、イスラム暦9月のラマザーンと呼ばれる1か月にものぼる断食月(この期間日中の食事が禁止される)が終了し、昼間の食事が再開されるイスラム暦10月1日に行われるものであす。 当日は断食月が終了したことを祝い、モスクに行き礼拝したあと自宅で祝宴をはる。 わが国の正月行事に相当する祭りである。 一方クルバン節は、ローザ節から70日後に行われる祭りで、神に感謝し、歌と踊りをともなう祝いを盛大に催す。当日はウイグル族最大のご馳走であるヒツジ肉が食卓に供せられる。

伝統的にウイグル族の生活のなかで中心的な位置を占めてきたのは、モスクです。 ウイグル族の社会には、マバツラと呼ばれる居住区が都市部・農村部を問わず、地縁的な共同体として生活基盤をなしている。  各マハッラの中心には必ず地区のモスクがあり、毎日5回、決められた時間に礼拝が行われる。 それとともに、イスラム教徒の安息日である金曜日(シュマと称した)ごとに、周辺地域の多数の人々が集団で礼拝を実施する大規模な寺院(ジャーミーという)も、町や主要集落には設置されている。 さらに、ウイグル族の住民の問では、モスクのほか、宗教戦争の英雄や宗教上の有名な人物の陵墓地などの旧跡を聖地として信仰の対象とするマザール信仰も見られる。

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ウイグル族の社会では、中華人民共和国の成立直後まで、コーランの教えに基礎を置くイスラム法が、部分的に機能していたと考えられる。 しかし解放後の共産党体制下の政策によって、イスラム法が完全に効力を失うとともに、宗教施設に属していた寄進地が没収されるなど社会の世俗化が強行された。

さらにプロレタリア文化大革命の時期には、社会的な宗教活動自体が困難な環境に置かれた。 しかし1980年代、民族・宗教政策の変更にともなって、ウイグル族の間でイスラム教は顕著な復興を遂げたが、共産党政府は、これに対し イスラム教に対する管理を強化している。 近年 ウイグル族の暴動はチベット・ラマ教徒への弾圧と合い間って、中国国内の自由・言論の統制 少数民族問題の根幹をなしている。

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===== 続く =====

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