草原の王国・回鶻可汗国 = 02 =

❢❢❢ 知略で異民族と共栄した草原の民 ”回鶻 / ウイグル“ ❢❢❢

= 回鶻 / /イグル() は、4世紀から13世紀にかけて中央ユーラシアで活動したテュルク系遊牧民族 =

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草原の歴史俯瞰 《二》

歴史上、ウイグルを含むモンゴル高原や中央アジアの遊牧民族はユーラシア大陸内陸部を拠点として遊牧国家を形成しっつ征服先にオアシス国家なども形成した。 その活動領域は北アジアのモンゴル高原から中央アジア,イラン高原,アゼルハイジャン,カフカス,キプチャック草原,アナトリアを経て東ヨーロッパのバルカン半島にまで及んだ。 後年に、ジンギス・ハーンが大蒙古帝国の礎を築き、彼の子供や孫達が建国した蒙古帝国の連合体が支配した広大な地域は前出の全域をカバーしているのだが・・・・・。

匈奴(キョウド),サカ,スキタイの時代から、パルティア,鮮卑,柔然,突厥,回鶻,セルジューク朝,モンゴル帝国などを経て近代に至るまでユーラシア大陸全域の歴史に関わり、騎兵に裏打ちされた軍事力と交易で歴史を動かしてきたのである。 芳醇な地域に侵攻し、その地に新しい侵略国家を建設した遊牧民は騎馬遊牧民と呼ばれ、中国史料では狄≪ティク、または翟≫と記される民族がテュルク系民族または遊牧民に関する最古の記録とされる。 狄は赤狄,白狄などに分かれていたと言う。 狄は殷・周代に中国の北方(山西省・河北省)に割拠していたが、度々農耕民との間で戦争を交えていたと思われる。

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春秋時代には衛・鄭・晋などと折衝し、戦国時代に狄は中山国を建てるが紀元前296年に趙によって滅亡する。 その後この遊牧民族は中原からは姿を消し、紀元前4世紀頃には北方の南モンゴルにいた匈奴が中国文献に登場する。 他方、古代のタリム盆地地域には古インド・ヨーロッパ語族のトハラ人が居住し疏勒,亀茲,焉耆,高昌,楼蘭などの都市国家が交易により栄えたが、しばしば遊牧国家の月氏や匈奴などの支配下に入った。

匈奴は紀元前200年ごろより、モンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いた。 そして、1世紀になると匈奴は分裂し、南匈奴は後漢に服属、北匈奴は後漢,烏桓,鮮卑によって滅ぼされる。 鮮卑(センピ)は、紀元前3世紀から6世紀にかけて中国北部に存在した遊牧騎馬民族。 五胡十六国時代,南北朝時代には南下して中国に北魏などの王朝を建てた。 漢代の初め、匈奴の冒頓単于(ボクトツゼンウ)が東胡(トウコ)を滅ぼした際、その生き残りが烏丸山と鮮卑山に逃れ、それぞれが鳥丸(ウガン)と鮮卑になった。 鮮卑はしばらく匈奴のもとにいたが、匈奴が南北に分かれその力が衰えてくると、勢力を盛り返し、北匈奴にとって代わった。

その後、中国・南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏(タクバクシ)が386年に北魏(ホクギ)を建国し、河北を統一して五胡十六国時代を終焉させた。

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因みに、304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一まで五胡十六国(ゴコジュウロッコク)と呼ぶのだが、当時、中国華北に分立興亡した民族・国家の総称である。 後漢末期から北方遊牧民族の北方辺境への移住が進んでいたが、西晋の“八王の乱”において諸侯がその軍事力を利用したため個々に力をつけ、“永嘉の乱=異民族の反乱=”でそれを爆発させた。

この反乱が実質的に開始されたのは304年かそれ以前であり、一応の終焉を見せたのは316年である。 この乱により西晋は滅亡した。 以降、華北を統合する勢力はなく、各諸民族がそれぞれの国を開き、群雄割拠の時代に突入していた。

589年、隋が中国を再び統一するまで、中国の南北に王朝が並立していた。 この時期を南北朝時代と呼ぶ。 この時期、華南には宋、斎、梁、陳の4つの王朝が興亡した。 こちらを南朝と呼び、同じく建てる康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(リクチョウ)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶのだが、この時期、江南(長江以南)の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。

南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。

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他方 また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が擬古十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。 北魏は“六鎮の乱”を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。 東魏は550年に西魏は556年にそれぞれ北斎、北周に取って代わられる。 そして、577年に、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。

その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。 隋は兵馬を肥やして589年、南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一する。 そして、唐が中国を支配することに成る。 がしかし、北魏・隋・唐を連なる中華の王朝は北方の遊牧民の血を引く五胡(異民族)の政権である。

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===== 続く =====

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