草原の王国・回鶻可汗国 = 13=

❢❢❢ 知略で異民族と共栄した草原の民 ”回鶻 / ウイグル“ ❢❢❢

= 回鶻 / /ウイグル() は、4世紀から13世紀にかけて中央ユーラシアで活動したテュルク系遊牧民族 =

軍事・外交

回鶻可汗国の完全滅亡と・・・・・

崩落下ウイグルカカン国を牽引した烏介可汗(ウケカカン)は、部衆を率いて幽州に降った。 この地で、可汗は妹を室韋(シツイ、中国東北部チチハル周辺にある黒竜江流域に存在していた民族で黄河の北側まで南下していた)に降嫁させている。 その後 烏介可汗は回鶻部衆を率いて西方のジュンガル大草原を目指して西行した。 回鶻城(ウイグルの都=オルド・バリク)を黠戛斯(キリギス)族に追われ、ウイグルカカン国の西部域への移動であった。 だが、烏介可汗の指導者としての能力に不審を抱いた宰相の美権者逸隠啜は、諸回鶻の族長に迫って烏介可汗を金山(アルタイ山脈)で殺し、その弟である遏捻特勤(アチネンテギン)を可汗に推戴した。 ウイグルカカン国崩壊後の第一可汗として遏捻可汗(アチネンカガン)が即位した。 会昌6年(846年)7月の事である。

しかし、この時の兵力は5千しかなく、遏捻可汗(アチネンカガン)は奚(ケイ、蒙古高原東部から中国東北部老哈河(遼河の源流)流域存在していた遊牧民族)の大酋である碩舍朗に食料を求めている。 旱魃による国土の遮蔽は甚だしかった。 しかも、翌年の大中元年(847年)春、唐の東面招撫使の張仲武が回鶻を援助する奚を大破したため、回鶻は次第に消耗していった。 大中2年(848年)春には、遏捻可汗のもとには 名王貴臣が500人しかいなくなったため、彼らは室韋(シツイ)に依ることにした。 しかし、唐の張仲武が遏捻可汗らを捕えるべく黠戛斯(キリギス)などを室韋に向かわせたため、遏捻可汗は懼れて妻の葛禄(カルルク)と子の特勤毒斯(テルグ・ドス)ら9騎だけを連れて夜に西へ逃亡し、行方をくらました。

回鶻経済

室韋(シツイ)は回鶻の余衆を分けて七分に分断し、各一分を占領して行く。 そこへ黠戛斯(キリギス)宰相の阿播が領する諸蕃兵7万が遏捻可汗および諸回鶻人を捕えるべく室韋に攻め込んできた。 室韋は阿播の軍に大敗し、回鶻人ともども黠戛斯の略奪を受け 消息して行く。 ここにおいて、回鶻可汗国(ウイグルカカン国)は完全に滅亡し、残る回鶻の残党は甘州に拠った龐特勤(ホウテギン)の勢力“甘州ウイグル王国” と 北庭(ジュンガル)に拠る僕固・俊の勢力“天山ウイグル王国”のみとなった。

即ち、840年、ウイグルは内乱とキルギス族の攻撃を受けて、遊牧ウイグル国家は崩壊した。 このときウイグル人はモンゴル高原から別の地域へ拡散し、唐の北方に移住した集団はのちに元代のオングートとなる。 一部は吐蕃,安西へ逃れ、西の天山方面のカルルク(葛邏禄)へ移った一派は、後にテュルク系初のイスラーム王朝であるカラハン朝を建国した。 甘粛に移った一派はのちの960年、甘粛ウイグルをたてる他の主力となる一派は、東部天山のビシュバリク(北庭)、カラシャール(焉耆)、トゥルファン(高昌)を制圧し、タリム盆地周辺をかかえて、西ウイグル王国(天山ウイグル王国)を建国するのである。

回鶻文化

甘州ウイグル王国

840年に回鶻可汗国が崩壊すると、いくつかのグループは各テギン(王子)を擁して各地へ散らばった。このうち、吐蕃に亡命したグループは吐蕃から吐蕃領となっていた河西地方に住むことを許され、その北辺であるエチナ地方で遊牧生活を始める。 この河西ウイグルはしばらくの間河西に先住する定住民と衝突することなく遊牧に従事していたが、30年が過ぎると人口も増え、周辺住民に掠奪行為などの危害を加えるようになった。

874年にはそれが原因であろうか、吐谷渾(トヨクコン)と嗢末(オンミ)によって撃退されている。 しかし、 870年代~880年代の時点ではまだ甘州を占領していなかった河西ウイグルも、890年代に起きた沙州(現在の敦煌市)の張氏政権の内紛に乗じて甘州を占拠し、いわゆる甘州ウイグル王国(甘州回鶻)と呼ばれるオアシス定住国家を建国した。

902年(天復天2年)、甘州ウイグル王国は相次ぐ叛乱で衰退しきっていた唐朝に上奏し、援兵派遣の用意があることを伝えた。 だが、かつて回鶻に安史の乱を鎮圧してもらった後の回鶻の専横に頭を痛めたことのある唐朝はその申し入れを断った。 しかしながら、その5年後である907年(唐:天祐4年、後梁:開平元年)、唐朝は後梁に禅譲して滅亡する。

回鶻官位

===== 続く =====

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