草原の王国・回鶻可汗国 = 16=

❢❢❢ 知略で異民族と共栄した草原の民 ”回鶻 / ウイグル“ ❢❢❢

= 回鶻 / /ウイグル(维吾尔) は、4世紀から13世紀にかけて中央ユーラシアで活動したテュルク系遊牧民族 =

オアシス

天山ウイグル王国

回鶻可汗国が崩壊した後、西に逃れた15部のうち、河西(南流する黄河中流の西。 現在の甘粛省付近)より西へ移動して天山山脈の北東麓に落ち着いた一部が興した国である天山ウイグル王国。 前節記載のように、ウイグルカカン国崩壊後、ウイグル族の一部は河西に入り甘州回鶻と呼ばれるようになり、更に一部は西へ移動してベラサグン=熱海(イシク・クル湖)の西50里(約20km)に位置する古代都市、現在は砂漠の中の廃墟=に至り、カルルクと合流して後にカラ・ハン朝を作るのであるが・・・・・・。

839年、回鶻の第11代彰信可汗(ショウシンカカン)が、ソグド系と思われる大臣安允合に暗殺され、さらに連年の天候不順による飢饉に加え、翌840年には雪害による家畜・遊牧民の大量斃死(所謂、チャガン・ゾド)のためにキルギスの反乱に抗しきれず、ウイグル王国は遊牧政権として完全に崩壊してしまった。 このためウイグル人たちはゴビ砂漠以南の華北や甘粛方面、天山山脈方面のオアシス都市地域へ大量に流出することになった。 この混乱期に、九姓鉄勒(トクス・オクズ※)の一翼であった僕固(ボクトウ)氏の首長僕固俊(ボクトウシュン)に率いられた一団が当時、可汗浮図城と呼ばれていたビシュバリク地方(ハミ-高昌-トルファン)へ進出し、これを拠点としておさえた。 これが西ウイグル王国の直接の基盤と成ったのである。

西域諸国

因みに、鉄勒(テツロク)は、6世紀から7世紀にかけて、中央ユーラシア北部に分布した突厥(トッケツ)以外のテュルク系遊牧民の総称。この中から回鶻(ウイグル)が台頭した。 鉄勒の構成部族(約40部族)は最多と言われ、多くの部族がそれぞれ分散して遊牧生活を送っていた。 後に、これら多くの鉄勒部族の中から九つの有力部族が台頭した。 これを唐では九姓鉄勒と呼び、突厥ではトクズ・オグズ(九つの部族)と呼んだ。

程なく9世紀中頃、擬ヤグラカル王朝(エディズ氏:Ädiz)による回鶻可汗国の最後の可汗である㕎馺可汗(コウソウカカン)の外甥であった龐特勤(ホウ・テギン、特勤=官位尊称)が、ビシュバリクの西部にあった天山山脈山中のユルドゥズ地方の広大な牧草地を確保してこれを本拠地とした。 ユルドゥズ地方は夏季の放牧地として豊潤であったが、同時に焉耆(エンギ)などがあったタリム盆地と東の高昌(コウショウ)などがあったトルファン盆地とを結ぶ街道の要衝でもあった。 龐特勤(ホウ)は焉耆を獲得して可汗(カガン=君主尊称)を名乗り、この都市を最初の首都とした。 そして、856年には唐から「懐建可汗(カンヤンカカン)」の称号を受けている。

キルギス族

以降、ウイグルのカガンに即位した人物は数名判明しているが、西方のイスラーム政権でも東方の宋、遼、金の諸王朝でも断片的な情報のみが伝わる程度で、ウイグル王国の王統すら判明していない。 このため、王国の具体的な記録はモンゴル帝国時代まで待たねばならない。 ウイグル西遷の後、何時からかは判然としないが、後期には天山ウイグル王国の君主は伝統的な「カガン/カカン」から「イディクト=「神から授かった吉祥」の意味)という称号を用いるようになった。
初期には”国持てる”意味のカガン/カカン/ハン/イリグといった称号を用いていたが、マニ教からの影響で呼称を変更し尊称として定着したのであろう。 元は遊牧民であるウイグルは、この地のオアシス都市国家の影響を受けて定住化するようになり、東西交易、いわゆるシルクロードの中継地点として大いに栄えた。 シルクロイードの交易はソグドの民が担い、マニ教も彼らがウイグル族に伝播させた宗教である。

元来ウイグル族は突厥など同じくシャーマニズム信仰を有していたが、『カラ・バルガスン碑文』によるとウイグル可汗国時代の初期、牟羽可汗が洛陽滞在時の763年頃にマニ教の僧侶の感化を受けて僧侶4名を伴って帰国して以来、ウイグル王侯にマニ教が広く普及した。 マニ教をもたらしたのはソグド人であったと見られている。 この地に来てからは仏教・景教(ネストリウス派)なども信仰するようになり、在来の定住民(印欧語族イラン系言語の話者)と融和した。 このことにより中央アジアのテュルク化が進み、後にトルキスタンという言葉が生まれることになる。

北魏と宋

蛇足ながら、唐の時代に活発に活動したゾグド人であったが、同胞の有力節度使の安禄山が安史の乱を起こして同国に壊滅的な打撃をあたえた。それまでの商業活動に反感を持たれていたこともあり各地で迫害を受け衰退し周辺民族に吸収されていった。 一方、東トルキスタン(現在の新疆ウイグル自治区)にいたソグド人も西ウイグル王国や甘州ウイグル王国などのもとで生き残り、彼らのもたらしたソグド文字はウイグル文字に進化し、さらに13世紀にモンゴル文字へ、16~17世紀には満州文字へと進化していった。

他方、ソグド人の本国ソグディアナは8世紀中ごろにアッバース朝の直接支配下に入り、それ以後イスラム化が進行するにつれて、徐々にソグド人としての宗教的・文化的独自性は失われていった。 因みに、中国に来住したソグド人は、漢文書による行政上の必要から漢字名を持たされたらしく、その際には出身都市名を示す漢語が姓として採用された。 サマルカンド→康 / ブハラ→安(安禄山など) / マーイムルグ→米 / キッシュ→史(史思明など) / クシャーニヤ→何 / カブーダン→曹 / タシケント→石 / パイカンド→畢 等々であり、 今日 中国人でこれらの家族名を有する人々はそぐど地方から移住した末裔である。

ソグド人

 

===== 続く =====

前節へ移行 ; https://thubokou.wordpress.com/2016/02/22/

後節へ移動 ; https://thubokou.wordpress.com/2016/02/24/

※ 下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます ⇒ ウィキペディア=に移行
*当該地図・地形図を参照下さい

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】 http://bogoda.jugem.jp/

【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中