牧民タタールが夢見た大洋 Ⅰ_03

❢❢❢ 草原の民 ”タタール / 韃靼“ 征西譜 第一章 ❢❢❢

○◎ =故地からの南下、西走 略奪国家の形成と崩壊= ◎○ 

フン族征西

◇◆ 匈奴帝国の興亡 その1/4 ◆◇

戦国時代末期~前漢初期の成立の史書『戦国策』、『山海経』、『逸周書』に匈奴の名が登場する。 犬やラクダ、馬、白玉、良弓を貢献する民族という記述である。 ウクライナを中心に活動していたイラン系遊牧騎馬民族であるスキタイは近年、東方起源説が有力になっている。 墳墓の出土品(金製品など)から漢(中国)-匈奴(ブリャーチャ)-サルマタイ(西北カフカス)の間に交易が行われていたとされる。 スキタイな他称の民族名であり、遊牧国家、征服王朝の名称でもある。 匈奴は自称した民族名の音訳であり遊牧国家名である。 因みに、「匈奴」の古代音は「フン」ないし「フルノイ」に近いものであったという。

いまだに定説として確立していないが、中央アジアのステップ地帯が出拠と考えられるフン族と匈奴。 「フン」=「匈奴」説の根拠は、紀元100年前後に蒙古高原の覇者・匈奴帝国が崩壊した後に、東匈奴は漢中・華北に起こった諸国に埋没して民族のアイデンティティーを無くす。 しかし、西匈奴の一派が征西した。 彼らの軍団は凶暴さゆえに恐れられ、地獄から来たフンと呼ばれた。 フンは他称であった。

フン族は、3世紀中頃から西に移動を始め、フン族の征西が当時の東ゴート族、西ゴート族を圧迫して、ゲルマン民族大移動を誘発、さらには西ローマ帝国崩壊の遠因となる。 フン族がユーラアシア大陸の西部を混乱に貶めたのである。 5世紀中頃の”フン族とその諸侯の王・アッティラ”の時代に統一帝国を築いて最盛期を迎えるが、453年にアッテラ王の死去、翌年には帝国は瓦解、急速に衰退して行く。 他方 ユウーラシア大陸の東側では匈奴が漢帝国を支配下に置いて、毎年 食物・財宝・皇女を献納させてたのである。

スキタイ-1

スキタイ-2

『史記』秦本紀によれば、紀元前318年、匈奴はの五国とともにを攻撃したが、五国側の惨敗に終わったとある。 また、趙の孝成王(在位:前265年-前245年)の時代、将軍の李牧雁門で匈奴を防ぎ、単于の軍を撃破したとも記している。 そして、秦の時代の事、“紀元前215年、秦の始皇帝は将軍の蒙恬に匈奴を討伐させ、河南の地(オルドス地方)を占領して匈奴を駆逐するとともに、長城を修築して北方騎馬民族の侵入を防いだ。”と匈奴と秦の攻防を記述する。

しかしながら、単于の頭曼は始皇帝および蒙恬の存命中に中国へ侵入できなかったものの、彼らの死(前210年)によってふたたび黄河を越えて河南の地を取り戻すことができた。 ある時、単于頭曼は太子である冒頓を人質として西の大国である月氏へ送ってやった。 しかし、単于頭曼は冒頓がいるにもかかわらず月氏を攻撃し、冒頓を殺させようとした。 冒頓は命からがら月氏から脱出して本国へ帰国すると、自分に忠実な者だけを集めて単于頭曼を殺害し、自ら単于の位に就く。

冒頓は上記のように、頭曼単于の子として生まれた。 当初は、父の後継者に立てられていた。 しかし父の後妻が男子を産み、頭曼の関心がこの異母弟に向けられると、冒頓は邪魔者扱いされ、緊張関係にある隣接勢力の月氏の元に和平のための人質として送られる。 間もなく、頭曼は月氏が無礼であるとの理由で、戦争を仕掛ける。 嫡子を差し出したことの油断を突くことと、冒頓が月氏の手で殺害されるのを見越してである。しかし、この危機を悟った冒頓は、間一髪のところで月氏の駿馬を盗み脱出に成功し、父のもとに逃亡した。

秦と匈奴

冒頓は頭曼単于の元に戻る。頭曼は見込みがあると考え受け入れ、私兵を与えたが、冒頓はいずれ殺されると思い、クーデターを起こそうと考えた。 クーデターに当たり、事前に冒頓は私兵を秘密裏に養成していた。私兵を率いて「自分が鏑矢を放ったらすぐさま同じ方向に矢を放て」と命令する。 そして、まず野の獣を射た。矢を放たないものは斬り殺した。 次いで自らの愛馬に向かって射た。同じく放たないものは斬り殺した。 更に自分の愛妾を射て、同じく放たないものは斬り殺した。 そして父の愛馬を射るときには全ての部下が矢を放った。 こうして忠実な部下を得たのである。 そして、定例の狩りの行事に参列した折、父が通りかかった際にそこに向けて鏑矢を放ち、配下の私兵も大量の矢を浴びせ、これがクーデターの端緒となった。

冒頓は紀元前209年に反乱を起こし、父、継母、異母弟及びその側近を抹殺した上で、単于に即位した。 即位直後、東胡から使者がやってきて「頭曼様がお持ちだった千里を駆ける馬を頂きたい」と言った。 即位直後の若輩のため、甘く見てのことだった。 冒頓単于は部下を集めて意見を聞いた。 部下達は「駿馬は遊牧民の宝です。与えるべきではありません」と言ったが、冒頓単于は「馬は何頭もいる。 隣り合う国なのに、一頭の馬を惜しむべきではない」といい、東胡へ贈った。

これに更に甘く見た東胡は、再度使者を送り「両国のため、冒頓様の后の中から一人を頂きたい」と言った。部下達は「東胡はふざけすぎています。攻め込みましょう」と言ったのだが、冒頓単于は「后は何人もいる。隣り合う国なのに、一人の后を惜しむべきではない」と言い、東胡へ贈った。 また東胡から使者がやってきて、「両国の間で国境としている千余里の荒野を、東胡が占有することにしたい」と言ってきた。

先の件では一致して反対した部下達も、遊牧民故に土地への執着が薄いこともあり二分された。 その一方が「荒地など何の価値も有りません。与えても良いでしょう」と言った途端、冒頓単于は怒り「土地は国の根幹である!今与えても良いと言った者は斬り捨てろ!」と言い、馬に跨り「全国民に告ぐ!遅れたものは斬る!」と東胡へ攻め入った。 一方の東胡は先の件もあって完全に油断しており、その侵攻を全く防げなかった。物は奪い、人は奴隷とし、東胡王を殺し、東胡を滅亡させた。 冒頓は果敢である。 続けて他の部族に対しても積極的な攻勢を行い、月氏を西方に逃亡させ、南の楼煩、白羊河南王を併合するなど勢力範囲を大きく広げて行った。 さらに 冒頓は漢楚内戦中の中国へも侵入し、瞬く間に大帝国を築いた。 紀元前204-5年頃の事である。

西域諸国

===== 続く =====

前節へ移行 ; https://thubokou.wordpress.com/2016/03/06/

後節へ移動 ; https://thubokou.wordpress.com/2016/03/08/

※ 下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます ⇒ ウィキペディア=に移行
*当該地図・地形図を参照下さい

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】 http://bogoda.jugem.jp/

【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中