550年後、目覚めた英国王=02 =

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○ 

リチャードー0

◇◆  駐車場で蘇った英国王 _2_ ◆◇

リチャード3世ほど謎や疑惑に満ち論議を呼ぶ国王は、英国史上いないのではないだろうか。 それゆえに多くの人々が魅了され、彼の“素顔”を解き明かそうとしてきた。 そして長年にわたる調査の結果、「修道院跡地でいまだに眠り続けているに違いない」と強く信じ、ロイアル・アカデミー史学学会に信念を提示し、働きかけた。 2009年、ついにリチャード3世の遺骨を探すための一大発掘プロジェクト≪Looking for Richard/LFR≫が動き出したのだ。 連日の雨天が一変し青空が現れたこの日は、世紀の発掘作業を開始してから12日目。 すでに修道院と思われる建物の土台や床に敷き詰められていたタイル、数体の遺骨などを発見していた。

作業を再開して数時間経ったころの事である。 修道院内で最も神聖な場所であり、祭壇や聖歌隊席が並ぶ内陣跡を手作業で掘り進めていた作業員が、人骨らしきものを見つけた。 現れたのは、戦闘で受けたであろうと思われる傷だらけの頭蓋骨。 一瞬にして緊張が走った。 修道院などで埋葬されている場合、遺体は布に包まれるか、棺に納められているのが一般的であるにもかかわらず、布や棺があった形跡がない。 そして、 何よりも埋葬場所が内陣と言うことは、この遺骨がかなり高貴な身分の人物であることを示しているのではないか・・・・・。

≪リチャード3世の顔、発掘した骨から復元≫

・・・・・さて、本稿に筆を進める前にリチャード3世の遺骨発見報道を転記しておこう。

 リチャード3世の遺骨、530年ぶりに確認  

The Wall Street Journal 、2013 年 2 月 5 日 10:10 JST 更新

【ロンドン】英国レスター大学の研究者グループは4日、長い間所在が不明だった15世紀のイングランド王リチャード3世の遺骨が約530年ぶりに発見され、本物と確認されたと発表した。 遺骨は昨年9月、レスター市庁舎の駐車場の地中から発掘された。

今回の発見で、シェークスピア劇やハリウッド映画に取り上げられ、イングランドで最も民衆の興味をそそる支配者の一人であったリチャード3世をめぐる謎が解けそうな気配だ。 レスター大学の研究者は4日の記者会見で、修道院の発掘現場で発見された遺骨をDNA鑑定した結果、リチャード3世の姉の子孫2人のサンプルと一致したと発表した。 これとは別の遺骨分析では、発掘された遺骨と、伝えられているリチャード3世の身体的特徴に顕著な共通点がみられたという。

レスター大学は「これはわれわれが皆待ち望んでいた結果だ」と述べ、「リチャード3世の遺骨確認の発表は、わが大学の歴史で最も重要な発表の一つだ」との声明を発表した。

リチャード3世は15世紀のイングランド国王で、評価の分かれる君主だった。1485年にレスター近郊のボスワースの戦いで殺害された。伝承によれば、遺体は近くのレスターに運ばれた。 最近まで、遺骨を発掘しようとする者は皆無だった。

昨年9月、レスター大学の考古学者たちは、リチャード3世の遺体が現在のレスター市庁舎の駐車場の地中に埋められたかもしれないと推量し、発掘作業を開始した。 開始後1週間足らずで遺骨と中世の修道院跡を発見し、リチャード3世の遺骨発見との期待が高まっていた。

リチャードー3

 レス レスター大学は「遺体は右臀部を貫通する刀傷を含めて、『屈辱の傷(死後につけられる不名誉な傷)』を負っていた」と述べた。 遺骨はまた、言い伝え通り背骨がわん曲していた。 また放射性炭素測定の結果、遺体には相当量の海産物を含む高タンパクの食事の痕跡があり、高位の人物だったことがうかがわれた。 遺骨は約530年間眠っていたレスターで再び埋葬される見通しだ。

 レスター市当局者は、適切な場所に葬って注目される観光スポットにしたいと期待している。わずか2年間の在位だったが、伝承が多く歴史ファンを長年にわたって引き寄せてきたイングランド国王の埋葬地となるわけだ。

 リチャード3世が国王に就任したのは1483年で、当時12歳だった甥(おい)のエドワード5世から王位を奪った。彼はその際、父親の二度目の結婚で出来たエドワード5世が非嫡子だと主張した。また、2人の甥をロンドン塔に幽閉したと伝えられている。リチャードが王位に就いて数カ月後、2人の甥は姿を消したが、リチャード3世が殺害させたとも考えられている。

 一部の歴史家によれば、リチャード3世は邪悪で、権力欲の強い支配者で、王位に早く昇り詰めるため一族を殺害したと描写されている。シェークスピアの書いた戯曲「リチャード3世」は、こうした見方を世間に広めるのに一役買い、リチャード3世を背骨の曲がった悪党で、王位に就くためあらゆる人を殺したとしている。

 一方、こうした見方はフィクションであり、リチャード3世を戦いで殺害して王位に就いたヘンリー・チューダー(ヘンリー7世)が広めたものだと主張する歴史家もいる。シェークスピアはリチャード3世の死後約80年たって生まれており、チューダー王朝の下で「リチャード3世」を書いたという事情もある。 リチャード3世の歴史ファンは、リチャード3世の治世を子細にながめれば、彼がその時代で最も進歩的な支配者で、外国貿易と書籍を奨励したと主張している。

 ボズワースの戦いでのリチャード3世の戦死は、イングランドの歴史上、「薔薇(ばら)戦争」と呼ばれるヨーク家とランカスター家の権力闘争の勝敗を決した。 リチャード3世はプランタジネット王家の最後の国王だった。 ヘンリー7世に敗北した結果、チューダー王朝の幕開けとなり、同王朝はその後1世紀以上続いた。

 

 ===== 続く =====
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