550年後、目覚めた英国王=06 =

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

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◇◆ 泥沼の薔薇戦争の中で ◆◇

戦いの進行は、約3,000の精強なヨーク派軍に側面に回り込まれるのを避けるために、ヘンリー6世の2,000名の軍勢は町の中に戻り、ホーリーウェルとセント・ピーター通りにバリケードを構築してヨーク派の東進を防ごうとした。 だがヨーク派の攻撃はあまりに速く、ランカスター派は驚いて対応に追われた。 両軍とも、この戦闘は1452年のブラックヒースの戦いの時のような平和的解決が可能と考えており、実際攻撃の直前まで和平工作を行っていた。 だが、狭い道路でのランカスター派の二正面攻撃からの攻撃に対して進軍が出来なくなったヨーク派は、多数の死傷者を出した。

百戦錬磨のウォリック伯は彼の手持ちの兵を連れ出し、裏路地や庭園を抜け、町の防備の薄い箇所を通っていった。 突然、ウォリック伯の奇襲部隊はランカスター派の本体がのんびりくつろいで座っている市場の広場に現われた。 彼らがまだ戦闘が継続していると考えていなかった証拠に、彼らの多くは兜さえ脱いでいたのだった。 ウォリック伯はその少数の兵ですぐさま突撃し、ランカスター派の構築した2つのバリケードを破壊した。 バリケードに配置されたランカスター派の兵は中央広場に敵が現われた事を知り、背後からの襲撃を恐れてバリケードを放棄した。 間もなくヨーク派がなだれ込んできて、総崩れになった。

軍事的な意味では、セント・オールバーンズの戦いは死者恐らく300名程度という事で大きな勝利ではなかった。 だが政治的な意味では、王はヨーク公に捕らえられ、ライバルのサマセット公は戦死し、ウォリック伯の宿敵であるのノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーとクリフォード卿は総崩れ、というヨーク派の圧勝であった。

ばら戦争ー1

◇◆ ヨーク家とランカスター家の固執 ◆◇

ところで、近代になって、“ばら戦争”はヨークシャーとランカシャーの地域的対立として誤解され、両地域の対抗意識がことさら強調されることがあった。
しかし、ヨーク家とランカスター家、およびそれぞれの支持派が、かならずしも地域的にヨークシャーとランカシャーに塗り分けられていたわけではなかった。 地域的には、ランカスター家はランカシャーに加えてヨークシャーでも優勢だった。 ヨーク家はむしろ、イングランド中部のミッドランズ地方を基盤とし、それにヨークシャーの一部を加えていただけだった。

1455年の“第1次セント・オールバンズの戦い”で、摂政のサマーセット公エドマンド・ボーフォートは戦死したが、ヨーク公リチャード・プランタジネットの勝利も決定的ではなかった。 勝利したヨーク公は権力を掌握するが、マーガレット王妃のランカスター派の巻き返しを受けてヨーク派が窮地に陥ると、ヨーク公と王妃マーガレットを中心としたランカスター派とのあいだの戦いがふたたび激化した。 1459年に戦いが再開する。 この年の9月23日、イングランド中部で「ブロワー・ヒースの戦い」があった。

ヨーク公はこの戦いに敗れ、アイルランドへと逃れて行く。 また、ヨーク公の長男マーチ伯エドワード――のちのエドワード4世――は、母方の従兄になるヨーク派の大物貴族ウォーリック伯リチャード・ネヴィルとともに、フランスのカレーへと逃れて行った。 しかし7歳になる直前だったリチャードは、母親と兄ジョージ、そして妹のエリザベスとともに、ウェールズに近いラドゥロウで王妃マーガレットの軍に捕らえられ、ランカスター派の捕虜となってしまった。

戦場位置

 14606月、マーチ伯エドワードウォーリック伯は、フランスから戻ると、反撃に転じて行く。 彼らは、710日にイングランドの中部であった「ノーサンプトンの戦い」でランカスター軍を撃ち破り、ヘンリー6世を捕らえたのだった。 このとき ヘンリー6世はの王妃と皇太子は、からくも逮捕をまぬがれ、北部へと逃れていった。

 一方、アイルランドに逃れていたヨーク公は、9月にイングランドに戻ると、諸侯の支持をとりつけ、摂政職とヘンリー6世のあとの王位継承権をかちとることができた。 しかし、北部に逃れていた王妃マーガレットは、ヨーク公の王位継承権を認めなかった。 そして、わが子で皇太子だったエドワードの王位継承権をとり戻すために、敢然と巻き返しの戦いを挑んできたのである。 

 ===== 続く =====

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