550年後、目覚めた英国王=07 =

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

 ○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

軍船破壊

ノーサンプトンの戦い/1460710日= ブロア・ヒースの戦いでの勝利の後、ヨーク派はウスターに向かって進軍した。 途中でヘンリー6世指揮する強大なランカスター軍軍に遭遇すると、すぐに拠点のあったラドロー(Ludlow)のラドフォード橋まで後退した。 14591012日、カレー方面軍司令官のアンドリュー・トラロップ(Sir Andrew Trollope)が部下を連れてランカスター派に寝返りし、ヨーク派の軍事・戦略情報と交換に恩赦を願い出た。 これによってヨーク派は約3分の1と圧倒的な数的不利に追い込まれた。  そのためその夜、ヨーク公と2人の息子、それからウォリック伯(前節参照)とソールズベリー伯は、勝ち目のないため撤退し、アイルランド、あるいはカレー(ドーバー海峡で対峙するフランス側の都市)へ落ち延びた。 翌朝、指揮官がいなくなった事を知ってヨーク派は雲散した。

  前年に行われたラドフォード橋の戦いにおける大敗北で、ヨーク派は既に絶えたように思われた。 何人かのヨーク派の司令官は、1459112日にカレーに逃れ、ウォリック伯はそこで叔父フォーコンバーグ卿に会った。  一方、ヨーク公ラットランド伯エドムンドは、比較的安全なアイルランドに撤退した。 その頃イギリス本土では、ランカスター派がヨーク派逃走の機を捉え、討伐隊を派遣した。 ウィルトシャー伯バトラー(James Butler, 1st Earl of Wiltshire)はアイルランドの代官に任命され、サマセット公ヘンリー・ボーフォーはカレーの方面軍司令官となった。 しかしその新しい「領主」に対し、アイルランド人はヨーク公の引渡しを拒否し、カレーは堅く城門を閉じ、彼らが新しいポストを占めることは、いずれも成功しなかった。

  ランカスター派はサマセット公にカレー討伐の軍を与えた。 だが、カレーを討伐するにはまずドーバー海峡を渡らなければならない。 そのため、艦隊の建設がサンドウィッチ(Sandwich)で始められた。  艦隊の建造が済んで間もなく、ウォリック伯はサンドウィッチを襲撃して、艦隊を強奪した。  ウォリック伯は5月にもドーバー海峡を渡っており、この時には建造中の艦隊を破壊している。 ウォリック伯はサンドウィッチに彼の叔父と軍の一部を残しておいた。  来るべきイングランド侵攻時の橋頭堡の役を務めるためである。 そして626日、ウォリック伯とソールズベリー伯とエドワードは2,000の兵とともにサンドウィッチに上陸した。 ちょうどこの時、ヘンリー6世もマーガレット王妃(前節参照)も小規模な軍をつれてコヴェントリーにいた。 ウォリック伯はこれを急襲するべく、72230,000の兵を連れてロンドンに入った。

第一次内乱初期

  国王軍はノーサンプトンにネーネー川を背にして防御的な陣を敷いた。 彼らの背後の川は、戦術的に危険だった。 防衛軍は10,000~15,000の強兵であった。 ランカスター派は大量の野戦砲も配備していた。 接近する間に、ウォリック伯は彼の代理として王と交渉するために使者を送った。 だがランカスター派の指揮官バッキンガム公は「ウォリック伯は国王の面前には出て来る事はない。来ようとすれば、彼が死ぬだけだ。」と答えた。 ウォリック伯はノーサンプトンへの前進の間、彼は2度も国王への取次ぎを拒否されている。 一度など、「2時には私は、国王と話をしているか死んでいるかだ」とも取れるメッセージを送っている。

2時、ヨーク派は進軍を開始した。 彼らは縦列で進軍したが、打ち付ける激しい雨のため、思うように進軍できなかった。 ランカスター派に接近した時、ウォリック伯に激しい矢の雨が降り注いだ。 運の良いことに、ランカスター派の大砲は雨で役に立たなくなっていたのだった。 ウォリック伯がランカスター派の右翼側面に着いたとき、グレイ卿の指揮する部隊が、ヨーク派に寝返った。 グレイ卿の軍は武器を放棄し、ヨーク派を本陣まで導いた。 それは忠実なランカスター派にとっては、致命的ともいえる一撃であった。 この後、戦いは30分ほど続いた。 要塞を守る事もかなわなくなったランカスター派の防衛軍は、ヨーク派の攻撃に撹乱されて隊列も維持できない状態で戦場から離脱した。

バッキンガム公、シュルーズベリー伯、エグリモント卿、ボーモント卿らは、皆ヘンリー国王をヨーク派から守るため、王のテントをかばって戦死した。 この戦いで約300人のランカスター兵が殺され、国王は捕らえられ、再びヨーク派の操り人形となった。

第一次内乱後期

===== 続く =====

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