550年後、目覚めた英国王=10 =

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

敗戦の王妃

◇◆ ランカスター家の断絶 ◆◇  

 フランスのブルゴーニュ公シャルルの支援を受けて祖国イングランドのレイバンスバーに上陸したエドワード4世とグロスター公リチャードは、イングランド北部のヨークをまわり、ランカスター派をかわしながら進軍し、329日に中部のウォーリックにまで進んできた。 エドワード4世は、そこでヨーク派を前にしてふたたび王位を宣言した。 そして411日、かれはロンドンに入ると、ヘンリー6世を捕らえ、ロンドン塔に幽閉したのである。 このときウォーリック伯は逃亡していたが、クラレンス公は、弟のリチャードのとりなしで、ふたたびエドワード4世と和解することになった。

  一方、エドワード4世は、逃げたウォーリック伯にすぐに追手をかけた。 そして414日、ヨーク派とランカスター派はロンドンの北約16キロメートルのバーネットで、またや激突することになった。 「バーネットの戦い」である。 ヨーク軍の先陣の総司令官をつとめたのは、18歳のリチャード(後のリチャード3世)だった。 この戦いで、中世最大のキングメーカーだったウォーリック伯はついに討たれ、ヨーク軍が勝利したのである。 この戦いのとき、ヘンリー6世も戦場に連れだされたが、からはランカスター派の敗北を見せつけられただけで、そのままロンドン塔に戻されたという。

バーネット戦

  ところがちょうどこの日、ヘンリー6世の王妃マーガレットと皇太子エドワード、その妻アン・ネヴィルらが、ドーセットのウェイマスに上陸していた。 彼女らは、ウェールズでヘンリー6世の異父弟となるジャスパー・テューダーと合流し、そこでランカスター勢力を結集しようとしていた。 エドワード4世はこれを粉砕すべく、急遽、軍をさし向けることにした。 ヨーク軍の先陣の総司令官は、今回もリチャードだった。 ランカスター派の軍隊は、ヘンリー6世の王妃マーガレットとその息子で17歳になる王太子エドワードによって指揮されていた。 

 もし マーガレットがウォリック伯の敗戦の時にイングランドに戻って来ていて、彼女と同盟を結んでいたベッドフォード公ジャスパー・テューダー(ヘンリー・テューダーの叔父)と組んで先刻のバーネットの戦いに参陣していたら、エドワード4世のヨーク派軍に対抗できる可能性も残っていただろう。 彼女の唯一の希望はグロスターでセヴァーン川を渡ることであったが、これはグロスターの町と城を治めるヨーク派のリチャード・ボーシャン卿に拒否されて失敗した。

終息の王

  マーガレットは残っている指揮官の中でも経験豊かなサマセット公に大きく依存した。 だが、彼の能力は王朝を支えられるほどのものではなかった。 ヨーク派は大砲で優勢だったのだが、サマセット公はそこを読み違え、王弟リチャード(後の国王リチャード3世)がサマセット公の側面を充分攻撃できる位置に布陣してしまった。 後退するランカスター派の中でパニックが起こり、サマセット公は事態を収拾するために、戦闘の主導権を握れなかった罰を理由に、彼の部将であるウェンロック卿を処刑したと言われている。 ヨーク軍は、王妃マーガレットの軍をグロスターの北東約16キロメートルのテュークスベリーに追い詰めると、54日の「テュークスベリーの戦い」で皇太子エドワードを戦死にいたらしめ、マーガレットを捕らえたのである。

 521日、エドワード4世はリチャードをともなって、ロンドンに凱旋した。 ロンドン塔に幽閉されていたヘンリー6世は、皇太子の死を知ると、悲嘆にくれ、そのままその夜――11時から12時のあいだ――に死んでしまったという。 しかし、かれは殺害された可能性が高いとされている。 またこのとき、ロンドン塔にはリチャードがいたとも言われている。 そしてテューダー王朝の歴史家は、このヘンリー6世の死も、リチャードの仕業だと非難する。 しかし、ヘンリー6世がリチャードに殺害されたとすれば、それはエドワード4世に命令されたものにちがいないのである。 それはともかく、ヘンリー4世、5世、6世とつづいたランカスター家の本流は、これで断絶してしまったのである。 しかし、“ばら戦争”はまだ終わっていなかった。

 ところで、ヨーク家に捕らえられた王妃マーガレットはというと、1475年に釈放され、母国フランスへと帰っていった。 しかし、彼女は領地もなく、失意と孤独のうちに1482年、52歳で生涯を閉じたという。 ばら戦争”は、ヨーク家と王妃マーガレットとのあいだの戦いとも言えるもので、彼女はその一方の主役でもあった。

ヂュークスペリー戦

 ===== 続く =====

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