550年後、目覚めた英国王=15 =

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

終息の王

 ◇◆ 兄・エドワード4世への忠節/リチャード3世 ◆◇

リチャード3世ことリチャード・プランタジネットは、上記のごとくエドワード3世の曾孫で第3代ヨーク公とセシルリー・ネヴィルの8男として、1452年10月2日にノーサンプトシャーのフォザリンゲイ城で産声を上げた。 この城は後に、スコットランド女王ネアリー・スチュワートが幽閉され、処刑される場所でもある。 夫妻は8男5女の子供に恵まれたものの、うち6人は早逝、リチャードはその12番目、実質上の末っ子であった。 母セシリーが友人にあてた手紙によると、かなりの難産で逆子だったと言う。 おそらく、この出産の際にリチャードは脊髄に強い後遺症(側弯症の一種であろうか)を患ったものと診られている。

リチャードが誕生した時勢は、繰り返すが、祖父・エドワード3世がフランスに反旗を翻したことによって始まった英仏百年戦争の終盤であった。 イングランド軍の劣勢が続き、1453年 ついに敗退。 イングランド国内では、当時の国王ヘンリー6世への不満が噴出し、リチャードの父ヨーク公が立ち上がった。 ヨーク家が“白いバラ”を、ランカスター家が“赤いバラ”の記章をつけていたことから、この両家の争い=王権争奪戦=と呼ばれていた。 彼の誕生はフランスとの百年戦争が終息し、イングランド国内でヨーク家とランカスター家が王位をめぐる壮絶な権力闘争の幕を開くときであった。

権力闘争

 結婚と相続の恩恵を受けて、第16代ウォリック伯リチャード・ネヴィルは1450年代にイングランド政界の中枢に躍り出て、“キング・メイカー”の綽名を甘受する暗躍を開始した。 元来はランカスター家のヘンリー6世を支持していたが、政敵サマセット公との領土紛争のため、国王と対立するヨーク公リチャードと協力関係を持つようになる。 この紛争により彼は戦略的に価値のある官職であるカレー司令官の地位を手にし、大いに利することになる。 サマセット公との紛争は後に全面的な内乱へと発展し、ヨーク公リチャードと彼の父ソールズベリー伯は戦死する。

しかし、ヨーク公の子は、ウォリック伯の支援を得て勝利を収め、エドワード4世として即位する。 末弟リチャード(リチャード3世)は弱冠8歳であったがグロスター公爵位を授与されている。 エドワードは当初はウォリック伯の補佐をうけて統治していたが、両者は外交政策とエドワードの結婚をめぐって対立するようになり、エドワードの弟クラレンス公ジョージを即位させる陰謀が失敗した後、ウォリック伯はヘンリー6世を復位させる。 しかしこの勝利はつかの間のものであり、1471年の“バーネットの戦い”(前節参照)でウォリック伯はエドワードに敗死するのだが・・・・・・・・。

ウッドヴィル

  19歳で王位に就いたエドワード4世にとって、年齢の離れた弟は唯一ともいえる≪気の許せる存在≫だったのだろう。 常に末弟リチャードを気にかけ、彼の軍事的な才覚の片鱗を見たのか、彼が11歳になるころには軍事会議に参加させるようになっていた。 そして、リチャードは兄に忠誠を誓い、めきめきと頭角を現して行った。 エドワード4世の王位は安泰なものではなかった。 ランカスター派の残党に目を光らせなくてはならず、また 政治の実権は上記のようにウォリック伯が握っていた。 その憤慨を晴らすかのように多くの女性と浮名をながし、やがて遠征先で出会った、あろうことかてきたいするランカスター派の年上の未亡人エリザベス・ウッドヴィルと秘密裏に結婚してしまう。

当然ながら、ウォリック伯はこれに激怒した。 フランス王女との婚姻話を推し進めていたかれは面目を失い、更には 政敵でもあるウッドヴィル家の者が次々と要職に就き、宮廷内の勢力図が塗り替えられようとしたのである。 1469年、ウォリック伯は娘とエドワード国王の次弟ジョージと結婚させ、彼と手を組んだ反乱軍として決起。 エドワード4世を王位から追い落とし、ランカスター家のヘンリー6世を復位させた。 因みに、ウォリック伯には男子はなかった。 彼の年長の二人の娘のうちイザベルがエドワード4世の弟・クラレンス公ジョージと結婚し、アンはヘンリー6世の皇太子エドワードとの短い結婚の後、後にリチャード3世となるグロスター公リチャードと結婚する。

死者相関

 ただ、この時 ウォリック伯は大きなミスを一つ犯したと言えるかもしれない。 末弟のリチャード、軍事的な才覚に富み経験を積み重ねていく年若き王弟を己の陣営に引き込むことが出来なかったのだ。 目覚ましい能力で軍司令官として国軍の一端を任されていた16歳のリチャードは、ウォリック伯の甘言を退け、長兄と反撃の準備を整えたのである。 そして、1471年、エドワード4世は王位に返り咲き、ウォリック伯とヘンリー6世の皇太子エドワード皇太子は戦死する。 幽閉されたヘンリー6世も、ロンドン塔内で殺害される。 この獄死にて、ランカスター家の直系はここでとだえたのである。 そして、後世にリチャードの謂われ無き悪評の根幹となる話が捏造される。

アン・ネヴィル

  ===== 続く =====

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