550年後、目覚めた英国王=19=

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

リチャードー3

 ◇◆ リチャードのクーデター / 敵役として稀代の奸物に描かれる遠因  ◆◇

・・・・・「そのときは時間がもう遅かったので、皆、それぞれの宿所にさがることにした。 ところが翌朝になってみると、リヴァーズ伯らが宿所を抜け出していることがわかった。 リチャードとバッキンガム公は、すぐにかれらを追いかけ、ストーニー・ストラットフォードの町の入口で追いつき、かれらを逮捕した。 それから新国王の側近たち全員を町から追い出すと、新国王にかってに近づく者は死罪にすると命じ、新国王を掌中におさめた。 そしてこの事件は、430日に起きたことだった」・・・・・ この記録から想像できることは、あとからやってきたバッキンガム公が、リチャードの宿所に入り、かれに何かを話したことである。そして、ふたりが会談していることを知ったリヴァーズ伯らは、身の危険を感じたのか、夜が明ける前に逃げ出した――と推論できる。

 バッキンガム公は、このとき300人ほどの手勢を引き連れていたともいう。 そしてかれは、王母エリザベスらの不穏な動きやロンドンのようすなどをリチャードに知らせたのだろう。 そのこととリヴァーズ伯らが夜明け前に抜け出していたことを知ると、リチャードはかれらの陰謀を確信し、追跡してかれらを逮捕したのである。 こうしてみると、最初に不穏な動きをしたのはリヴァーズ伯らで、リチャードは、このときはまだ王位簒奪を考えていなかった――ということになる。

スタッフォード

 リチャードは兄エドワード4世の忠実な右腕として、ヨーク家を軍事的にも政治的にも支えてきた。 そのことは、当時のさまざまな資料からも明白であるとされている。 兄からまかされていた北部の統治では、すぐれた行政手腕を発揮し、評判もよかった。 私生活でも避難されるようなことはなく、良き家庭人だった。 そう伝えられているリチャードのイメージからは、以前から「機会があれば王冠を手に入れてやろう」と思っていたと想像するには、無理が感じられる。

 かれは、政治的な権謀術数をめぐらすよりも、むしろ単純なほど実直であり、あくまでも兄の副官であることに満足していたのではないか。 リチャードは、兄から甥のエドワード5世の摂政に指名されたことを知ると、忠実にその職務に専念するつもりでいたにちがいない。 それ以上のことは考えてもいなかった。 ところが、兄が急死する前からヨークシャーの山のなかに伝えられてくることは、国王をないがしろにした、王妃エリザベスとその親族の横暴ぶりばかりだった。

 そんなときに、兄国王の死が伝えられた。 リチャードは、摂政として幼い甥を支えることに誇りをもって意気込んだ。 そして甥の一行と連絡を取りながらロンドンへ急ごうとした。  ところが、どうもようすがおかしかった。 かれが新国王の一行に合流しようとしているとき、その一行は先へ先へと進み、合流するどころか、リチャードよりも先にロンドンに入ろうとしていた。

ウッドヴィル

 約束とは裏腹に、ロンドンに急ぐエリザベス皇后一派の行動、「いったいどうなっているのだ」、リチャードはきっとそう思ったにちがいない。 ノーサンプトンの近くまで来てようやく新国王一行に追いつけそうになったとき、やっとリヴァーズ伯らがあいさつにきた。 彼らは、いくらなんでもこれ以上、新国王の摂政にあいさつもなく先に進むわけにはいかなくなった。 とにかく挨拶だけはして摂政の顔をたてておくか、と考えたのである。

リヴァーズ伯らが挨拶にきたとき、リチャードは何を思ったか。 これまでの経過で、かれらに不可解なものを感じていたかもしれない。 ところがリヴァーズ伯らは、リチャードが考えてもいなかったことを企てていた。 新国王を自分たちの掌中におさめ、摂政を形だけのものにして王国の実権をにぎろうとしていたのである。 リヴァーズ伯らがあいさつにきたとき、リチャードがかれらを歓迎して夕食をともにしたのは、そのときまでかれはリヴァーズ伯らのたくらみを想像もしていなかったからである。

さらに、彼・リチャードが以前から王位簒奪を考えていたとしたら、それこそ最初から、リチャード支持の北部の強力な軍隊を引き連れてやってきていただろう。 そしてリヴァーズ伯らがあいさつにきたとき、会食などせず、邪魔になる彼らを、さっさと逮捕してしまえばよかった。 わざわざ朝まで待つことはなかったのである。 リチャードがそれをしなかったということは、王母エリザベス・ウッドヴィルやリヴァーズ伯らの陰謀など、バッキンガム公から知らされるまで、まったく予想もしていなかったからなのである。 まして王位簒奪など、まったく考えていなかったのである。

ヨーク朝系譜

 ===== 続く =====

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