550年後、目覚めた英国王=24=

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

ウエストミンスター

◆ バッキンガム公の反乱  ◆◇

ここで、千葉 茂著『ヨークシャーの丘からイングランドを眺めれば』よりの労作より以下の文を転記したい。 前前節で触れたが、1483年、この年の秋、9月か10月、リチャードが即位後の国内巡幸でリンカンに滞在していたとき、かれのもっとも親密な盟友だったバッキンガム公の反乱があった。 反乱の日付については、文献でも混乱している。たとえばP.W.ハモンドとA.F.サットンらは10月11日、M.ベネットは9月11日とし、G.W.O.ウッドウォードは10月としているだけである。 いずれにしても、1483年の秋、9月か10月にバッキンガム公の反乱があったということである。

リチャードにたいする反乱の動きは、じつは彼が王位についた直後からあった。 イングランド南部の諸侯や騎士のなかには、エドワード4世の王子たちこそ正統な王位継承者であると主張し、エドワード5世の復帰を望む者が多かったからである。 しかしこれらの主張は表向きのもので、実際は、北部から大軍を呼び寄せたリチャードへの反発と利害関係からだった。 南部の領主たちは、リチャードの軍隊に領地を奪われるのではないかと恐れていたのである。

リチャードー4

 リチャードにたいする反乱のなかでは、バッキンガム公によるものが最大だった。 この反乱は、結局は失敗に終わったが、リチャードの盟友だったはずのバッキンガム公がなぜ反乱を起こしたのか、そこに至るまでの理由と経過についてはまったくわかっていない。 それを説明する資料が残っていないからである。
バッキンガム公がこれまでにリチャードのためにやってきたことは、かつてのウォーリック伯リチャード・ネヴィルがエドワード4世のためにやり、リヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルがエドワード5世のためにやろうとして失敗した、キングメーカーの役割だった。

バッキンガム公が反乱を起こした理由については、いくつかの説がある。 もっとも単純でわかりやすい説は、バッキンガム公はこれまで、リチャードを強力に支持して王位獲得への道筋もつけてきたが、その見返りが期待したほどではなく、かれには不満があった――というものである。 バッキンガム公は、リチャードに尽くしてきた報酬として、領地と館をあたえられていた。 しかしそれでもまだ不満があったということである。 さらに踏み込んで想像すると、バッキンガム公はキングメーカーとしてリチャードをあやつろうとしたが、生真面目なリチャードはかれの言いなりにはならなかった、とも考えられる。

それにしては、かれがリチャードを国王にしてから反乱に走るまでの期間が2、3カ月というのは、短すぎるように思えるのだが。 もう一つの理由は、甥の王子ふたりを殺害するというリチャードの残虐非道な犯行を知ったバッキンガム公が、かれを国王にしたことを後悔して諸侯の反乱に加わった――という説(ウッドウォードら)である。これには、「王子たちは夏から秋口にかけて殺されていて、その犯人はリチャードだ」ということが前提になる。

ばら戦争ー1

 いったい何があったのか。 バッキンガム公はふたりの王子を殺害したのか。 だとしたら何のために。 論功行賞に不満があったからか。 その腹いせに王子たちを殺し、その罪をリチャードに着せようとでもしたのか、それとも、ほかに理由があったのか。

庶子とされて王位継承権を失った王子たちは、もはやリチャードに脅威をあたえる存在ではなかった。 リチャードにかれらを殺す必要はなかった。 ただ閉じ込めておけばよかった。 それなのにバッキンガム公は、なぜリチャードの留守中に王子たちを殺したのか。 彼に何の利益があったというのだろうか。 バッキンガム公は王子殺しにかかわっていて、そのことでリチャードとの関係に決定的な亀裂が生じ、リチャードから離れていって反乱に走ったのか。

権力闘争

 王子たちの姿が見えなくなったことに、バッキンガム公が関係していたかどうかはわからない。しかしM.ベネットは次のように分析している。 「王子たちを殺したことでリチャードと仲違いしたバッキンガム公は、イングランド南部と西部の反リチャード勢力に寝返り、かれらの反乱に加わった。 そして、王子殺しにかかわったことを隠すために、あえてリチャード避難の大合唱に加わったのだ」と。 この、バッキンガム公が王子殺しにかかわっていたという議論は、後に、今一度詳しくふれることにする。

ところで、この秋のバッキンガム公の反乱であるが、その中心にいたのは、かれではなく、むしろ南部の反リチャード勢力の諸侯とヘンリー・テューダーの母親マーガレット・ボーフォートだったと見られている。 反リチャード勢力は「エドワード5世とその弟は殺害されたらしい」との噂が流れると、あっさりとエドワード5世をあきらめ、代わりの国王候補者を探した。 そしてその候補者となったのが、ヘンリー・テューダーだったのである。

ヘンリー7世 有

 ===== 続く =====

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