550年後、目覚めた英国王=32=

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

騎士

◇◆ 中世の軍隊と戦いぶり ◆◇

中世の戦いを理解する為に、やや迂回するが、当時の軍隊について触れておこう。 中世のヨーロッパの国は、イングランドにかぎらず、大規模な常備軍というものを持っていなかった。 国王は軍隊が必要になると、諸侯や騎士に動員令を出して兵を召集し、軍隊を編成していた。 フランスでは、軍隊の中心は、金で雇われた戦争請負人すなわち傭兵だった。 しかしイングランドの軍隊では、諸侯が領内で召集した兵が中心になっていた。 国王から兵の動員令をうけた諸侯は、家臣やその従者と「メン・アット・アームズ」とよばれた武装農民の召集兵で軍隊を組織し、それを引きつれて国王のもとに馳せ参じていた。

ここにでてきたメン・アット・アームズとは、ヘンリー2世(在位1154-1189)が1181年に定めた「武器保有法」で武器の保有が許された農民のことである。 かれらは、農民とはいっても自分の土地を持つ比較的裕福な独立自営農民で、領主と農奴との中間の階層に位置していた。 かれらは、自前の甲冑と武器の保有を許されていたが、それと引き換えに、いざという時には軍務につく義務を負っていた。 そのためかれらには、武器を使いこなせるようにと、常日頃から訓練に励むことも課せられていた。

他方、騎士 ヨーロッパにおける騎士とは、主に中世において騎馬で戦う者に与えられた名誉的称号であり、それから派生した(必ずしも騎乗戦士ではない)階級を指していうる。 また称号としての騎士を騎士号と言った。 騎乗して戦う騎兵が活躍するようになった背景には、鐙(あぶみ)をはじめとする馬具の改良があった。 8世紀初頭にフランク族に伝わった鐙は、騎乗したたま身体をしっかり支えて武器を振るうことを可能にした。 9-10世紀には蹄鉄と拍車が普及して行き、て重装騎兵は11世紀後半頃までに有力な戦力として戦闘の主役となる。

騎兵

騎士の呼称「ミーレス/ miles」は本来たんなる戦士という意味であった。 フランス・カロリング朝の公権力崩壊にともなう封建制の成立期には、領主と主従関係を結び、主君のために軍役などの奉仕を行う人々が出現した。大貴族に従属する家臣にして支配階級の下部に位置するかれらもまたミーレスと呼ばれた。 こうして騎士は有力者に軍事奉仕をする見返りに授与される特別な身分を意味するようになり、さらに、尚武の風潮の高まりとともに12世紀には高位の貴族や王までも騎士を自称するようになった。 また、兵の動員令が出されると、地方の下級貴族や騎士は、自領でメン・アット・アームズを召集し、従者を引きつれて、かれの仕える一段上の貴族のもとに馳せ参じた。 その貴族は、こうして集まってきた戦士を引きつれて、さらにもう一段上の大物貴族のもとに馳せ参じた。 大物貴族は、これを一大軍団にまとめ上げ、国王の命令で軍事行動を起こしたのである。

したがって動員令を出しても、軍隊を編成して行動に移すまでには時間がかかった。 この過程で駆け引きもあり、パワー・ブローカーとよばれた大物貴族は、これを国王との取り引きに使ったのである。 当時のイングランドの軍隊は、私的な主従関係でむすばれた民兵の集合体ともいえるものだった。 したがって国王でさえ、自由に動かせる軍隊は、自領で召集した直属の軍隊だけだった。 そしてこの直属の軍隊も、兵を召集する点では、一封建領主とおなじだった。 古来の家臣やその従者、館で働く使用人や自領のメン・アット・アームズがたよりだった。 最後まで信頼できるのはかれらだったが、動員できる数はかぎられていた。 彼らは、あくまでも国王の警護隊的な存在だった。 したがって戦いに必要な兵力は、諸侯がどれだけ国王の要請に応じて兵を召集してくるかにかかっていた。

刃・剣・槍

 大物貴族になると、動員できる兵力が戦争の行方を左右するほど大きくなった。 その結果、戦わずして勝敗が見えることもあった。 国王といえども、かれら軍隊を自由に動かせるわけだはなかった。 それゆえにこれらの大物貴族の出方次第では、国王でさえ危うくなった。 国王としては、かれらをいかにして自分に引きつけておくかが課題だったのである。

因みに、騎士全盛期のドイツでは、多くの平騎士は聖俗の領主や王に臣従する非自由民たるミニステリーアーレ(家士)であった。 貴族にせよミニステリアーレにせよ、大多数のさほど裕福でない下級騎士は平時は農耕や牧畜を行っていた。 ミニステリアーレは不自由身分のまま騎士として戦っていたが、やがて自由身分の封臣同様に封土を得るようになり、下級貴族と同化してドイツの騎士の中心的な担い手となった。 一部の騎士はドイツ王直属の帝国騎士となり、皇帝自身や貴族の男子も叙任を受けて広義の騎士身分に属していた。 片や、イングランドでは騎士階級は男爵以上の爵位貴族とは区別され、今日の英国ではナイト爵は一代限りの爵位となっている。 英国では騎士の敬称は卿(Sir)というが、中国や日本の卿に比べてはるかに低い階級である。

エドワード3世(在位1327-1377)は、このメン・アット・アームズを中心とした軍隊を、フランスとの百年戦争での兵力確保に、もっとも効果的に使ったとされている。 しかし、かれらは本来、農民なので、戦いが終われば、早々に軍隊を解散してかれらを家に帰さなければならなかった。 長期間、拘束しているわけにはいかなかったのである。 ところが、百年戦争が長引いてくると、長期にわたって軍務につける兵士が必要になってきた。 こうして生まれたのが、「カンパニー」とよばれる傭兵団である。

騎士-1

兵馬

 ===== 続く =====

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