550年後、目覚めた英国王=33=

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

ダービー伯爵

◇◆ ボズワース・各陣営の動き ◆◇

ヘンリー・テューダーがフランスからひきいてきた軍隊は、亡命イングランド人とフランス人の傭兵が中心だった。ウェールズに上陸してから駆けつけてきた者は、ヘンリーとつながりのあるウェールズ人(前節イラスト参照)が中心だった。 ヘンリー軍がイングランド領に入ると、そこに駆けつけてくる者はほとんどいなかった。 また、ヘンリー支持の蜂起が起こりそうな兆候も見られなかった。 そして、ヘンリー軍がシュルーズベリーに達したとき、そこの代官ジョン・ミトンは形ばかりの抵抗を見せたが、すぐに降伏して町の城門をあけた。 これは、事前にサー・ウィリアム・スタンリーサー・ギルバート・トールバットらの働きかけがあったからだった。 しかし、町にはヘンリー軍を歓迎するムードはまったくなかった。 フランス人とウェールズ人で構成されたヘンリー軍は、イングランド人の目には奇異に映り、侵略軍に思えたからである。

シュルーズベリー(前節イラスト参照)からロンドンへは、ローマ街道のウォトリング街道がまっすぐにつづいていたが、ヘンリーはこのコースはとらず、さらに東へとむかった。 かれはこの進路をとることで、北から南下してくるスタンリー卿を呼び込むことと、万一にそなえたウェールズへの退路を確保しておいたのである。 ヘンリー軍がニューポートまで進軍したとき、ヘンリーのもとに、サー・ギルバート・トールバットが5百の兵を引きつれて駆けつけてきた。 これは、イングランドに入ってからの、初めてのまとまった数の援軍だった。 サー・ギルバートは、リチャード派の若き2代シュルーズべリー伯ジョージ・トールバットの叔父で、イングランド中部のシュロップシャーやダービーシャーのジェントリー階級に強い影響力をもっていた。 かれはスタンリー家にも近く、スタンリー卿らと連絡をとりあっていた。 サー・ギルバートは、甥とはちがって、ヘンリー側についたのである。

進軍路_1_

  「ヘンリー、ウェールズに上陸」の知らせがリチャードに届いたころ、スタンリー卿トマスも、その知らせをチェシャーで受けていた。 そして、リチャードからの緊急動員がかけられる前から軍備をととのえ、8月15日には軍を動かしていた。 そして、スタンリー家の動きは慎重だった。 兄のスタンリー卿と弟のサー・ウィリアム・スタンリーは、緊密に連絡を取り合いながら、別々に行動していた。 弟のウィリアムは、ヘンリー軍と並行するように、ウェールズ北部の町ホルトからナントウィッチへと進んだ。 一方、兄のスタンリー卿トマスの動きは慎重で、その真意が読み取れないものだった。 かれは軍をマンチェスターから南下させると、弟よりもさらに東のコースをとり、ニューカースル・アンダー・ライムを経てスタフォードへと進み、8月17日にはリチフィールドに達していた。 そのあとヘンリー軍がリチフィールドまで来たときには、スタンリー卿の軍はすでに先に進んでいたのである。

ところで8月16日の夜、サー・ウィリアム・スタンリーがスタフォードで野営していたヘンリー軍を訪れ、ヘンリー・テューダーと会談をしていた。 そしてふたりは、今後の進路について打合せをした。 このころからサー・ウィリアムは、兄のスタンリー卿とはちがって、臆することなくヘンリー支持の立場を鮮明にしていた。 そして、外見上はリチャード支持の姿勢をとる兄スタンリー卿とヘンリーとのあいだの連絡役をしていたのである。

進軍路_2_

   ヘンリー軍はここまで、240キロメートルにおよぶウェールズの険しい山道を行軍してきた。 そのため、兵の疲労が激しかった。 そこで、ヘンリーは進軍を遅らせ、兵を休めて態勢を立て直すことにした。 そしてそのあいだに、スタンリー軍が先にミッドランズ地方へ進むことにした。 だが、このころのスタンリー兄弟の動きは、じつはよくわかっていない。 ふたりは合流したのか、それともこれまでのように別行動をとったのか。 スタンリー卿の動きは、ノッティンガムから南下してくるリチャードと東進してくるヘンリー軍とのあいだに、割って入るようなものだった。

 この動きは、両陣営にとって、どうとでも取れる、やきもきさせるものだった。 スタンリー卿がリチャード側についたととれば、国王軍を出迎えて、その前衛となるように見えた。 しかしヘンリー側についたととれば、ヘンリー軍の前衛となって、国王軍の前に立ちはだかるようになるのである。 ヘンリー軍がリチフィールドに近づくと、スタンリー卿はそこを明け渡し、東のアザーストーンに入った。 そこは、東進をつづけるヘンリー軍を、国王軍が阻止する地点でもあった。

薔薇戦争配人

 他方、リチャード3世が国王軍をノッティンガムからレスターに移動しようとしていたころ、リチャードのもとに留め置かれていたスタンリー卿の息子ストレインジ卿ジョージが、逃亡を企てて捕らえられた。 かれは問い詰められると、叔父のサー・ウィリアム・スタンリーと、サー・ジョン・サヴィジがヘンリー軍に加わろうとしていることを白状した。 しかし父のスタンリー卿は、かならず国王軍に加わるはずであると主張した。 そしていまの父の動きは、ヘンリー軍がロンドンに進軍するのを阻止するための作戦だと弁解した。 いまのリチャードにとっては、スタンリー卿は宣戦布告したヘンリー・テューダーよりも気がかりな存在だった。 ヘンリーの寄せ集めの軍隊など、リチャードの強大な軍隊にしてみれば物の数ではなかった。 簡単にひねりつぶせるはずだ。 しかしそれは、スタンリー卿がヘンリー軍に加わらず、少なくとも中立でいることが前提だった。

ヘンリー・デューター

===== 続く =====

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