550年後、目覚めた英国王=36=

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

田園風景

◇◆ リチャード最後の戦い ◆◇

・・・・・・千葉 茂著『ヨークシャーの丘からイングランドを眺めれば』より、以下転記しよう・・・・・

 リチャード3世の国王軍とヘンリー・テューダーの反乱軍が対峙した地、ボズワースはミッドランズ地方とよばれるイングランド中部、レスターの西方約18キロメートルのところにある。 一帯はなだらかな丘陵地帯で、いまは畑が広がり、そのなかに木立が点在する、のどかな田園地帯である。 戦いの舞台となったところは、東西南北にそれぞれ3キロメートルぐらいの範囲である。 北にはマーケット・ボズワースの村が見える。 家並みの赤茶色の屋根が、周囲の林の緑に美しく映えている。

ボズワースの中央付近を、アシュビー運河が流れている。 畑と畑の境目には生け垣がつづき、木立が点々とする。 イングランドのどこにでもある、典型的な田園風景である。 この、のどかな田園風景を見ていると、ここで5百年前に中世最後の最大の戦い「ボズワースの戦い」があったとは、なかなか想像できない。 今は、畑が広がっているので、遠くまで見通せる。 しかし5百年前は、林と藪、それに湿地が広がる原野だったと想像されている。 高台に立っても、木立のあいだから、かろうじて遠くが見通せるくらいだったかもしれない。 当時の湿地は、のちの時代に灌漑され、いまは畑となっている。 湿地の一部が、その名残としてアシュビー運河の一部になっているだけである。

ヘンリー・テューダーがミルフォード・ヘイヴンに上陸してからボズワースの戦いまでのようすは、かれが1503年ごろにイタリア人のポリドール・ヴァージルという御用学者に書かせた『英国史』に詳しく載っている。 それをもとにしてM.ベネットやD.T.ウィリアムズが再現したストーリーに、さらに想像を加えて、ボズワースの戦いを追ってみることにする。

掲風旗

眠れぬ夜を過ごしたリチャードは、8月22日の夜明け前に起きだした。 かれの顔はいつもより険しく、青ざめていた。 そして、かれはいらだっていた。 あたりが明るくなってきたころ、かれは斥候、数名をつれると、野営地の南西にあるアンビオンの丘に登った。 そして、今日の戦場となるところを検分した。 丘の北西には小川が流れ、その向こう側には、シェントンからマーケット・ボズワースへとつづく道があった。 その先、2キロメートルほどのところのニア・コットンには、スタンリー軍が見えた。 かれらは、ついに合流してこなかった。 リチャードは、スタンリー軍にもう一度、国王軍に加わるようにと伝令を飛ばした。

南西方向に目を転じると、3キロメートルほど先のホワイト・ムーアズの丘に、ヘンリー軍が野営しているのが見えた。 ヘンリー軍が動きだしたという連絡を受けると、リチャードは、手はずどおりの陣を敷くようにと司令官たちに命令した。 リチャードがヘンリー軍を迎え撃つために陣取ったアンビオンの丘は、ボズワース原野のほぼ中央、サットン・チェイニーから南西方向に舌のように伸びた丘の先にあった。 丘の南側は急斜面で、その先は湿地になっていた。 ここから攻められることはないだろう。 丘の西側はなだらかな斜面で、その下には小川が流れていた。

ヘンリー・テューダーがホワイト・ムーアズから進軍してくると、まず湿地にぶつかる。 そのあとは、おそらく湿地を迂回して、西の斜面から攻め込んでくるだろう。丘の上から迎え撃つのは容易だ。 リチャードは、前衛となる丘の西側には、もっとも信頼できるノーフォーク軍を配した。 その主力は、歩兵の弓隊と槍隊で、そのうしろには、南部諸州からの馬上戦士がならんだ。丘の南西部にそった最前列には、弓隊と数門のサーペンタイン砲を配した。 前衛の後ろには、馬上戦士を中心としたリチャードの本隊がついた。 そして、戦意のつかめないノーサンバランド軍は後衛とし、北に陣取っていたスタンリー軍の動きを警戒させた。

鎧・騎士

 アンビオンの丘は、それほど広いところではなかった。 そこに、1万を超える国王軍が、前衛、本隊、後衛と、アンビオンの丘から北東につづく丘に沿って長く伸びた。 丘の中央には、装甲した馬に、これまた全身を甲冑でかためたリチャードの姿があった。 かれの兜には、王冠が光っていた。 側近たちは「王冠をつけていると狙われるから危険だ」といさめたが、リチャードはそれを聞き入れなかった。 国王としての誇りが、それを許さなかったのである。 ヨーク家の白バラとリチャードのバッジ(徽章)である「白いイノシシ」の国王軍旗のもと、丘の上には、歩兵のもつ槍やポーラックス、ハルバードが林立し、そのうしろには、馬上戦士がならんでいた。 圧倒的な威容だった。

ヘンリー・テューダーは、夜明け少し前に目をさました。日が昇ったころには、全軍に進軍の準備ができていた。
ヘンリー軍の作戦は、実戦経験のもっとも豊富なオックスフォード伯ジョン・ドゥ・ヴィアがフランス人とスコットランド人の傭兵、それにウェールズの弓隊を加えた主力部隊からなる前衛を指揮し、そのうしろに、ヘンリーとかれの叔父ペンブルック伯ジャスパー・テューダー、戦う聖職者のエクセター司教ジョージ・ネヴィル、そのほかの亡命貴族たちから本隊がつくというものだった。 そして、本隊の右翼にはサー・ギルバート・トールバットが指揮するイングランド人の部隊、左翼にはスタンリー軍をあてることにしていた。 しかしスタンリー兄弟は、「その時がきたら動く」というだけで、ついに合流してこなかった。 そこで左翼には、ヘンリーとサー・ジョン・サヴィジが指揮する部隊がまわることにした。

ヘンリー軍は、朝日をうけてホワイト・ムーアズの丘を下りはじめた。 先頭はオックスフォード伯の主力部隊だった。 レッドムーアの原野を横切り、国王軍が陣取った、ボズワース原野の中心にあるアンビオンの丘に向かってゆっくりと進んだ。 丘が迫ってくると、そこにはリチャードの「白いイノシシ」の国王軍旗がひるがえり、林立する武器の先端が、朝日をうけて不気味に光っていた。

騎兵

 ちなみに、この時代の歩兵がもつ武器は、「長剣と「短剣」――これは全員がたずさえていた――のほかに、槍のように柄の長い武器が中心だった。 そのなかには、槍と鉞(まさかり)をいっしょにしたような「ポーラックス(長柄戦斧)、槍と鉈(なた)をいっしょにしたような「ハルバード」、さらに槍と鉈と鎌をいっしょにしたような「ビル」といった、見るからに恐ろしげな形をしたものがあった。 騎乗した戦士は、長剣のほかに「ウォー・ハンマー(戦鎚)」、「メイス(戦棍)」、「バトル・アックス(戦斧)」などの武器を使った。

ヘンリーは、緊張で身震いがした。国王軍の北、はるか後方にも軍勢が見えた。 スタンリー軍だった。 丘の手前には湿地が広がり、それが東のほうにつづいていた。 ヘンリーは、湿地の手前を東に進んで国王軍の騎馬隊を湿地に誘いだすことも考えた。 しかし、湿地での戦いで数に勝る国王軍にとりかこまれたら勝ち目はない。 そこでヘンリーは、湿地の縁を西へまわりこみ、丘の西斜面から国王軍の前衛を真正面から攻撃することにした。

とにかくこの戦いは、長引くと何が起こるかわからないとヘンリーも考えていた。いっきに決着をつける必要があった。

刃・剣・槍

ヨーク朝系譜

 ===== 続く =====

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