550年後、目覚めた英国王=39=

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

王の死所

◇◆ リチャードの最期 ◆◇

ウェールズ兵は、泥のなかで抵抗しつづけるリチャードをとりかこむと、容赦なく槍やポーラックスで攻撃した。かれが泥のなかに倒れ、身悶えるだけになっても、なおも刺し、切りつけた。 兵士のなかに、それが国王であるとわかっていた者はいただろうか。  兜の上からつけていた王冠は、すでに合戦のさなかで落ちてなくなっていた。  リチャードの体がやがてピクリとも動かなくなったとき、ウェールズの司令官のひとりが兵士たちを制止した。その司令官は、かれらが刺しつづけていた騎士の鎧についている徽章に気がついたのである。 それは、国王軍旗の「白いイノシシ」とおなじ形をしていた。

シェイクスピアの『リチャード3世』では、リチャードの最後の言葉は、「馬をくれ!馬を! 代わりにこの王国をくれてやるぞ! 馬をくれ!」である。 ところが、伝承を記録した多くの資料では、かれは「裏切りだ!」と3回、叫んで息絶えたとされている。 ウォーリックシャーのジョン・ラウスという司祭が、1490年ごろに記した記録には、次のようにある。
/// 「リチャード王は計り知れなく冷酷で、統治した期間は3年(訳注、実際には2年)と少しのあいだだけであったが、その絶頂期に破滅させられた。 ・・・かれは、かれの軍隊のただなかで少数の武装した者に、いきなり、ならず者のように切り倒された。 ・・・かれの名誉のためにいえば、かれは小柄で華奢であったが、勇気ある騎士のようにふるまった。 そして、「裏切りだ、裏切りだ、裏切りだ」と叫びながら、最高の戦士として最後のひと息まで、勇敢に戦った。 彼は、これまでにほかの者たちにしてきたこと(裏切り)を味わいながら、もっとも惨めに生涯を終えた。・・・」 ///

この記録では、リチャードは冷酷な王で、これまでほかの者を裏切ってきた報いで、自軍のなかの裏切りにあって殺されたことになっている。 これが、どこまで真実を伝えているのかは、疑わしい。 それでも、リチャードは無残ではあったが、勇敢な戦士として最後まで戦って敗れたとされている。 実際にリチャードが「裏切りだ」と叫んだとしたら、それは、かれに襲いかかった兵士たちに向けられたものではなかっただろう。 スタンリー兄弟に向けられたものである。 そして、リチャードの命令を無視しつづけて動かなかったノーサンバランド伯にである。それこそリチャードは、ボズワースの原野にとどろき渡るように叫びたかったにちがいない。

掲風旗

リチャードの死

 ウェールズ兵は、泥のなかで抵抗しつづけるリチャードをとりかこむと、容赦なく槍やポーラックスで攻撃した。かれが泥のなかに倒れ、身悶えるだけになっても、なおも刺し、切りつけた。 兵士のなかに、それが国王であるとわかっていた者はいただろうか。  兜の上からつけていた王冠は、すでに合戦のさなかで落ちてなくなっていた。  リチャードの体がやがてピクリとも動かなくなったとき、ウェールズの司令官のひとりが兵士たちを制止した。  その司令官は、かれらが刺しつづけていた騎士の鎧についている徽章に気がついたのである。 それは、国王軍旗の「白いイノシシ」とおなじ形をしていた。

シェイクスピアの『リチャード3世』では、リチャードの最後の言葉は、「馬をくれ!馬を! 代わりにこの王国をくれてやるぞ! 馬をくれ!」である。 ところが、伝承を記録した多くの資料では、かれは「裏切りだ!」と3回、叫んで息絶えたとされている。 ウォーリックシャーのジョン・ラウスという司祭が、1490年ごろに記した記録には、次のようにある。
/// 「リチャード王は計り知れなく冷酷で、統治した期間は3年(訳注、実際には2年)と少しのあいだだけであったが、その絶頂期に破滅させられた。 ・・・かれは、かれの軍隊のただなかで少数の武装した者に、いきなり、ならず者のように切り倒された。 ・・・かれの名誉のためにいえば、かれは小柄で華奢であったが、勇気ある騎士のようにふるまった。 そして、「裏切りだ、裏切りだ、裏切りだ」と叫びながら、最高の戦士として最後のひと息まで、勇敢に戦った。 彼は、これまでにほかの者たちにしてきたこと(裏切り)を味わいながら、もっとも惨めに生涯を終えた。・・・」 ///

この記録では、リチャードは冷酷な王で、これまでほかの者を裏切ってきた報いで、自軍のなかの裏切りにあって殺されたことになっている。 これが、どこまで真実を伝えているのかは、疑わしい。  それでも、リチャードは無残ではあったが、勇敢な戦士として最後まで戦って敗れたとされている。 実際にリチャードが「裏切りだ」と叫んだとしたら、それは、かれに襲いかかった兵士たちに向けられたものではなかっただろう。  スタンリー兄弟に向けられたものである。 そして、リチャードの命令を無視しつづけて動かなかったノーサンバランド伯にである。  それこそリチャードは、ボズワースの原野にとどろき渡るように叫びたかったにちがいない。

DNA分析

 フランスのブルゴーニュ公国の歴史家ジャン・モリネの1490年ごろの記録には、次のようにある。
/// 「…王(リチャード)は、かれの宿命として勇敢にふるまった。 頭上には王冠を載せていた、しかし敗北を感じたとき、かれは、その場にひとりになっているのに気がついた。  彼は、家臣のあとを追おうとした。そのとき、かれの馬が湿地に飛びこみ、抜け出られなくなった。 そこへひとりのウェールズ兵がやってきて、リチャードをハルバードの一撃で切り倒した。もうひとりの兵が、かれの遺体を馬の背に乗せて運んでいった。 リチャードの髪の毛が垂れさがり、羊でも運んでいるようだった。・・・」 ///

また、16世紀初期のころのバラード『レディー・ベッシ―の歌』――作者不詳とされているが、ハンフリー・ブレアトンという作家が有力視されている――には、次のようにある。
/// 「…リース・アプ・トマスが敵の戦線を突破すると、パーシー卿(ノーサンバランド伯)は戦場から逃げだした。ノーフォーク(公)は丘の上に退避したが、サヴィジ(騎士)に殺された。  デイカー卿ら多くの者が逃げだした。 ハリントン(騎士)がリチャードに逃げるようにと進言したが、リチャードは次のように答えた。
戦斧をわたしてくれ、
王冠を頭上に高く載せてくれ、
太陽と月のごとく輝くように、
今日、余は、イングランドの王として死のう!
王は切り倒された。王冠が兜から切り落とされ、兜は、脳漿が血とともに飛び出すまでに叩きつぶされた。リチャードの遺体はレスターに運ばれ、そこでレディー・ベッシー※は、遺体にむかって、彼女の弟たちを殺した責任を責めたてた。・・・」 //// ※;ヘンリー・テューダーと結婚することになる、リチャードの姪のエリザベス・オヴ・ヨーク

しかし、リチャードの最期については、実際のところはどうだったのかは、正確にはわからない。 多くの資料では、かれは戦いのなかで切り殺された、とだけある。  リチャードは、最後はウェールズの歩兵にとりかこまれて殺されたとみられている。 もし、かれがイングランドの名のある貴族か騎士と戦って討たれたのであれば、その最期はかならず見届けられ、正確に伝えられて記録されたにちがいないからである。 年代記や伝承に残されたリチャードのまことしやかな最期には、わずかな伝聞をもとにした、それぞれの立場で「こうだったにちがいない」、「こうあってほしかった」という、さまざまな思いが込められているのである。

アンビオン丘

 あちこちでまだ戦闘がつづいているとき、戦場に歓声がひびいた。 戦っている国王軍の兵士もヘンリー軍の兵士も、その歓声のするほうを見た。  歓声をあげているのは、ウェールズ兵の一群だった。 するとその歓声は、ヘンリー軍のなかに次つぎと伝わっていった。 そして、国王軍の兵士は敗北を知った。 まだ午前中もなかばだった。 戦いがはじまってから、2時間もたっていなかった。 リチャードの戦死を知った強大な国王軍は、総崩れとなった。 北から押し寄せるスタンリー軍に、アンビオンの丘の南西斜面で戦っていた国王軍は、雪崩をうって南へと逃げだした。 ヘンリー軍とスタンリー軍は、これをボズワース原野の南のストーク・ゴールディングのあたりまで追撃し、追いはらった。

アンビオンの丘の北東部に陣取っていたノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーは、開戦したときから、ずうっと戦況を見つめているだけだった。 オックスフォード軍とノーフォーク軍との衝突、両軍が膠着状態におちいったときのリチャードの騎馬攻撃、スタンリー軍の参戦、ヘンリー軍にあがった歓声。  ノーサンバランド伯は、この戦いでいったいどんな役を演じようとしていたのか。 彼は、ヘンリー軍に歓声がひろがるのを見届けると、かれの軍隊に撤退命令をだした。 そして、この戦いには何のかかわりもないかのように、急いで戦場から離れていった。
スタンリー卿は、もっとも効果的なときに、もっとも高く自分を売り込んだ。  一方、ノーサンバランド伯は、だんまりを決め込み、ただ傍観することで生きのびようとしたのである。

騎士

===== 続く =====

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