550年後、目覚めた英国王=47=

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

ブレコン城

 ◇◆ 残された謎/ 消えたふたりの王子    = バッキンガム公と共謀者 =

※ 千葉 茂著『ヨークシャーの丘からイングランドを眺めれば』より

 では、バッキンガム公が王子たちを殺害したとすると、その動機は何だったのか。 それも、リチャードの留守中をえらんだ理由は。 王子殺しは彼の利益につながったのか。 バッキンガム公のこれまでの狙いは、リチャードのキングメーカーとなり、彼をあやつって王国の実権をにぎることだった。 ただの論功行賞ではなかった。だからこそ彼は、リチャードを強力に後押しし、国王にしたのである。 だが、それと王子殺しはどうつながるのか。

バッキンガム公は、リチャードが彼の操り人形になりそうもないとわかったので、リチャードにとって殺す必要のない王子たちを殺したのか。 そして、その罪をリチャードに着せ、彼をゆすろうとでもしたのか。 リチャードがバッキンガム公から逃れられないようにし、王国の実権をにぎろうとしたのか。

それともバッキンガム公は、単なるキングメーカーではなく、先に記したような、それ以上のもの=王冠=を狙っていたのか。 リチャードにそれを要求したが受け入れられなかった。 それで、リチャードを極悪人に仕立てあげるために王子を殺したのか。 屈折したバッキンガム公の性格からは、それも考えられる。 しかし、これではどうもまどろっこしい。 このような手の込んだやり方は、バッキンガム公の性格には合わないような気がする。 彼は陰謀めいたことが好きだが、もっと直接的である。 深慮遠謀の策士ではないので、まわりくどいことはしないはずである。 もっと直接的な理由があったと考えるのが自然である。

それは何だったのか。もし、王子殺しがかれのその望みを叶えることにつながるのなら、話はわかりやすい。  誰かがバッキンガム公に甘い言葉でさそい、王子殺しをもちかけたのではないか。 ここでまた、ジョン・モートンの名前がでてくるのである。 モートンは、ヘイスティングズ卿の陰謀に加担していたが処刑をまぬがれ、ウェールズにあるバッキンガム公のブレコン城に幽閉されていた。 ところが彼は、ここでバッキンガム公に反リチャードの反乱をそそのかしておいて逃亡した、とされている。 その後モートンは、フランスに亡命中のヘンリーのもとに走り、かれに取り入って、ヘンリー7世の時代に大出世を果たした。 このことからモートンは、イングランドにいたときから反リチャード勢力やヘンリー・テューダー側と通じていた可能性があるのである。

亡命中のヘンリーや、息子を国王にと狙っていた母親のマーガレット・ボーフォート(前節イラスト)は、リチャード3世を簒奪者と決めつけ、王権を奪取する機会をうかがっていた。 しかし、ヘンリーが自らを正当な王であるとするためには、先に記したように、ふたりの王子が存在していては都合が悪かった。 ヘンリーにすれば、ふたりには生きていて欲しくなかった。 つまり、どうしても殺したかった。 ヘンリーに通じていてそのことを知っていたモートンは、バッキンガム公がリチャードに不満をもっているのを知り、かれを抱き込むことにした。 こう想像できるのである。

そして、モートンは何かを餌にして、バッキンガム公に王子殺しをもちかけたのかもしれない。 バッキンガム公も、ヘンリーにとって都合の悪い王子たちを亡き者にすることで、彼から何かを引き出そうとしたのだ。 おそらく、王位継承権だろう。 ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)もバッキンガム公も、庶子の家系とはいえランカスター家の子孫で、ともに先祖はジョン・オヴ・ゴーントだった。 ふたりは、彼の玄孫にあたった。

ヘンリーの系譜

 ヘンリーをランカスター家の正統で正当な王位継承者であるとするならば、その権利は、バッキンガム公にもあたえられてもおかしくなかった。 バッキンガム公はおそらく、このようなことを主張したのだろう。 そして彼は、王子殺しを条件に、ヘンリーから次か、その次の王位継承権の確約でももらったのかもしれない。

こう推論すると、俄然、バッキンガム公犯人説が現実味をおびてくる。 リチャードの失望したバッキンガム公が、ヘンリー側に寝返ってふたりの王子を殺し、その後、ヘンリーと呼応した反乱に走ったとすると、一連のできごとや事件が、すっきりと説明できるのである。 そしてモートンは、逃亡の途中で「リチャードが甥たちを殺した」と、自ら仕組んだ事件の嘘の噂をばらまいていった、と考えられるのである。

ヘンリー7世に通じていたバッキンガム公が、1483年の7月にロンドン塔のふたりの王子を殺した――とすると、説明しやすいことがいくつかある。 まず、「リチャードが甥たちを殺したという噂は、モートンが故意に流したもので、ごく一部にしか広まっていなかった」とする点がある。 本当に「ごく一部にしか広まっていなかった」のか。 エドワード5世が私生児だったとして廃位されたとき、ロンドン市民の多くは半信半疑だっただろう。 そのあと、彼の叔父で摂政のリチャードが即位したとなれば、何か陰謀めいたことを思ったにちがいない。

イタリア人の僧ドミニク・マンチーニが、7月中旬にイングランドを離れるころの話として「巷では――若い王(エドワード5世)は死を覚悟しているらしい――と王子たちの行く末を涙して語っていた」と記録しているが、それは本当だったのかもしれない。 「王子たちの姿が見えなくなった」となれば、「王子たちは殺されたかもしれない」となる。 そして、ふたりはリチャードの監視下にあったのだから、モートンの意図とは関係なく「ふたりはリチャードに殺されたらしい」と噂されても不思議はない。

噂を否定するためには、リチャードはふたりの姿をロンドン市民の前に出して見せればよかった。 しかしそれはできなかった。 ふたりはすでに、殺されていたからである。 リチャードは、噂をただ無視するほかなかったのだろう。 しかもふたりの殺害には、リチャードの盟友だったバッキンガム公が絡んでいたのだから、なおさらである。 リチャードは「実行犯を処罰するように」と大法官に指示し、噂が沈静化するまで耐えるほかなかったのである。

トマス・モア

 次に、王子生存説の根拠とされていることに、「リチャードの宮廷で、リチャードと王子たちの母親エリザベスやその娘たちとのあいだに対立や諍いがなかった。 むしろ彼女たちは、宮廷生活を楽しんでいた」という点がある。 これも、王子たちを殺したのがバッキンガム公であれば、リチャードが責められることはないのだから当然である。 王子殺しはバッキンガム公の陰謀で、リチャードは知らなかったのである。 そして責められるべきバッキンガム公は、逃亡したあと反乱を起こすが、それに失敗して捕らえられ、処刑されていたのである。

王子生存説では、「ヘンリーは国王になったとき、王子たちの消息をたずねなかったし、議会でも、ふたりが行方不明になっていることを、リチャードへの攻撃材料に使わなかった。 それは、王子たちが無事だったからだ」としている。 しかしヘンリー7世にしてみれば、裏で王子殺しの陰謀に絡んでいたとしたら、余計なことを訊いたり言ったりしてぼろを出すことはなかったのである。 王子たちがいないのならば、それでよし、ランカスター家の正統な王としては、彼等のことを気にする必要はなかった。 巷では「リチャードが殺した」と噂しているのであれば、そのままにしておけばよかったのである。

そして、1483年の夏に王子たちが殺されていたとなれば、その後の彼等のことがいっさい記録に残っていないということは当然である。 逆にそのことが、ふたりはもはや生存していなかったことを、もっともよく物語っているのである。 ここでの結論は、王子たちの行方不明(殺害)の陰謀に絡んでいたのは、バッキンガム公、モートン、ヘンリー、そして実行指揮者のティレルということである。

バッキンガム公は反乱に失敗し、逮捕されて処刑された。 ヘンリーは国王となり、モートンは王の側近として大出世を果たした。 残るひとりティレルも、ヘンリー7世のもとで優遇されていた。 しかし事件から20年近くたったころ、ティレルはおかしな行動をとったために逮捕され、裁判抜きで即刻、処刑されてしまった。 そして、「彼は処刑の前に過去の犯罪を告白した」と、処刑後に公表された。 みごとな口封じである。 ジョン・モートンは、「リチャード3世の命をうけたサー・ジェイムズ・ティレルがふたりの王子を・・・」と資料に残し、トマス・モアに『リチャード3世史』を書かせた。 これまた、じつにみごとな仕上げである。

しかし実際は、「バッキンガム公の命をうけたサー・ジェイムズ・ティレルが・・・」だったのだろう。 そしてそれを望んでいたのは、ヘンリー・テューダーだったのである。

ばら戦争ー1

===== 続く =====

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